「良いアート作品」とはなんだろうか?

「良いアート作品」とはなんだろうか?

投稿がだいぶ空いてしまってすみませんでした。
ちょこちょことクラブハウスではルームを開いていたのですが、ブログ更新までできないままでした。

さて、今回はすでにどこかで書いたかもしれないけれど、もう一度まとめてみよう!をスローガンに(言い訳に)いいアート作品の定義について少し考えてみようと思います。

ちなみに、ドイツ版美術手帖的な『Monopol』という美術雑誌のPodcastでも、興味深い議論があったので、リンクを貼っておきます。(全ドイツ語)

Was ist gute Kunst? (what is good art ?)
今までこのブログでは上記の「何が現代アートになり得るか」的なボーダーラインについてまでのことしか書いてきていませんでした。では、その条件をクリアして現代アートとした上で、何が良い作品なのかっていう、さらなる評価についての話。

評価基準について

この「何がいいアート作品たるか」という部分は、非常に定義しにくいものです。それは単純に、ケースバイケースだからです。見方によって価値付け方、評価のされ方が違ってくるからです。ただ今回の場合は、

・現代アート中心

・コンクールなどにおける本質的な美術的価値についての評価

に範囲を絞って説明をしていきます。
なぜこのような絞り方になるかというと、端的に言えば「売れる(or売れやすい)作品」とか、「個人的に好き」とか、その作品が良いか悪いかの判断は、時代、場合、場所、判断基準によって大きく異なります。なので、そういうことではなくて、純粋な「現代美術作品としての価値」についての話だと思って、サクッと読んでいただけると助かります。

 

時代に適合していること
〜誰でも描けるあんな作品がなんであんな高額?〜

現代アートに絞って話をする、ということを上で説明していますが、これはつまり評価対象の作品がどの時代的な作品なのか、ということが非常に大切だからです。例えば今でも日本では印象派っぽい作品が人気だったりして、有名な画家さんの美術教室や○○派など、現代美術としてではなく絵画としての価値を評価するケースがあって、その最たるものが日展や国展だったりします。
詰まるところ、「絵が上手い」という価値は、「絵画としての価値」であって、現代アートの世界での価値と必ずしも一致するものではないということです。なので日展でバチバチに評価される作品が、NY現代美術館で評価されるか?みたいなことを聞かれると、そんなことはきっとない。という答えになるでしょう。

時代に適合するかどうか、は美術評価にとって大きなファクターになり得ます。これは、流行りに乗れっていうことではなくて、一昔前では評価されるであろう作品だったとしても、現代では同じように評価されないということです。これは難解な現代アートにおいて、一般人?がよく疑問に思う「あんな絵がなんであんな値段になるのか」に対しても答えにもなります。簡単にいうとその答えは「あの時代にあの作品を作ったから」そして、「一番最初に、あの作品を発表できたから」です。ここら辺は何がアートで何がそうじゃないかの話あたりでも話しているので、気になる方は別記事で。現代美術は研究に近いものがあるので、今の時代に鉄の精製方法をドヤ顔で発表しても、は?ってなるよねって話です。今、ピカソ的な作品を描いても、もうそれが評価される時代は過ぎたよね?ということですね。

なので「いい現代アート作品かどうか」ということは、何が現代アートたるかということを理解した上での作品である必要があるということです。

 

美術的価値と史学的価値

この部分が今回の記事でメインで伝えたかった部分になります。
上の部分と少し重なりますが、つまり「いい作品かどうか」ということは、「その作品は美術的価値を多く含んでいるかどうか」と言い換えることができます。では現代アートにおける、美術的価値って何なのかということになりますが、それは史学的な価値に直結します。

上のパラグラフで説明しちゃっていますが、現代美術は新しい価値を評価する部分が強いです。どういうことかというと…
「美術作品は模倣は評価されにくい」(これって○○のパクリだよね?)というのが創作においての大前提があり、過去の作品(つまり美術史)を全て理解した上で、それに被らなかった場合それはつまり新しいものということになります。
これをこのブログではよく史学的価値として説明しています。

つまり新しい美術価値を持っている作品は、現代アートとして評価を得うるよね、という最低条件になります。ここが重要。つまりこういう新しい史学的な価値を持っていない作品は、現代アートとして評価されないということです。

ただもちろん評価基準とかっていうのはもう少し複雑なので、これは言語化する上での「最低ライン」とかっていう感覚で聞いてもらえると助かります。

さてここまでが前提。

 

では良い作品とは?

(冒頭に書いたけれど)今までこのブログでは上記の「何が現代アートになり得るか」的なボーダーラインについてまでのことしか書いてきていませんでした。では、その条件をクリアして現代アートとした上で、何が良い作品なのかっていう、さらなる評価についての話をここからしていきましょう。

色々な記事を読んだり本を読んだり、話を聞いたりして、このよくある議論をこれまでたっっっくさんしてきましたが、私が納得したシンプルな答えは、

その作品が何を表現しているのか、
そしてその作品が良いのか悪いのか、
すぐに分かりきらない作品。

冒頭にLINKしたmonopolのPodcastでも同じことを言っている人が出てくるので、やっぱそうだよなーなんて思ったのが今回の記事を書き始めたきっかけ。

そう、すぐに分からないことが大切。私が制作をしている時も、常にわかりやすい答えにすがらないようにすることを心がけています。色が綺麗とか、上手いとか、オシャレとか、そういうこと。

これに対して思い出すことがあって…
友人と、とある当時の私よりも遥かに成功している画家の作品について話をしていて。友人がぽろっと言ったことを10年近くたった今もはっきりと覚えている不思議。
「僕なんかみたいな美術がわかんない一般人でも、あの人の作品ってすごいなって思うんだよねー。やっぱり誰にでもすごいなって感じられる作品って、評価されうる作品なんじゃないかな」
ってことを言っていました。
ちなみに私は、その画家の作品をあまりいい風には思っていませんでした。絵画としてのうまさ、凄さはあったけれど、日本人っぽい雰囲気推しの作風だなと感じていたので、友人に「そんなことないんじゃないかなあ」くらいに返していたと思います。

10年経った今この違和感を言語化できるようになったわけですが、結果的に言うと友人が言っていたことは、現代アートとしての評価としては真逆な感想だったことがわかります。

整理をするためになぜかということをもう一度説明すると、
現代アートにおける評価基準は、まず史学的価値から来る評価です。つまり評価をする側の人間に求められるのは、もちろん美術史学の知識が必要。なので結局見る目が必要になってくるのが美術評論になるわけです。美術館やギャラリーで、対象の人が「すでに評価した作品」をどう感じ取るのかということをしているのが、詰まるところ一般人ですが、これは価値を担保されている作品を見ているとも言えます。
コンクールなどで評価を下せるような人たちは、膨大な知識量とそして何より膨大な数の作品を見てきています。なのでパッと見て、「作家が何をしようとしているのか」ということがある程度わかります。中身(コンセプト)がない作品はすぐ分かるし、こねくり回して難解風を装っている作品。あの時代のムーブメントの後追いetc…

現代アートは非常に難解になりつつあります。コンセプトの価値の比重が非常に重くなっています。絵が上手いっていう絵画の純粋な価値っていうのは、上でも説明したように、時代に合っていないわけです。なのでそういったシンプルなわかりやすい作品というのは、判断が簡単なので「すぐ分かる」わけです。

逆説的につまりは、経験・知識豊富な評論家さえも「すぐに分からない」作品ということは、潜在的な価値を秘めているのかなと思います。もちろん素晴らしい作品はパッと見で分かる!みたいなこともたくさんありえることだとは思います。私も経験はあるのですが、ただ多分その時は、80%を直感でシビれて「すごい!」と思った後、残りの20%の作品の核の部分をじっくり吟味するのに時間がかかる作品だったりしたなと思います。

そこの割合だったり、「すぐ分からない」のすぐってどのくらいの時間なのかみたいなことっていうのは言語化すると難しいなと思うのですが、大事な部分は「分かりにくい」でも、「分からない」でもなくて、「すぐには分かりきらない」という絶妙なバランス部分かなと思います。

作家的にも、コンセプトを元に作品を作るわけですが、一目で内容が全て分かってしまうだけの作品内容はよくないのかも知れません。ただ伝えたいだけであれば、文章に書いて全員に配ればそれでいいだけになってしまいます。なので間接的な表現を行うわけですが、うまく隠してあることもいい作品たるファクターの一つになるでしょう。

例えば絵画ではないけれど、ふと思い浮かんだのが、Yoko Onoの『White Chess Set (1966)』という作品。真っ白い机と椅子、チェスの駒とその碁盤が全て真っ白に塗られたインスタレーション作品です。そこには「Play It by Trust(信頼して駒を進めよ)」という文字。チェスは例えば争いや戦争に置き換えることもでき、それが真っ白であればプレーすることは容易ではありません。純白という誠実さを印象付ける白、そして信頼というメッセージから、オノヨーコらしい、世界平和のメッセージが読み取れる作品かなと思います。

今回の記事に沿って説明すれば、
表面的なかっこよさなどよりも、コンセプトが目につき、一体何を表現しているのか?と思わせることに成功しています。見る人は、そしてチェスが真っ白であることで、「これじゃあチェスできないよ?」ということに気づき、ここで初めてこの作品の意図のきっかけをつかむことになるでしょう。ですがそしてPlay it by Trustの文字を確認して、このままチェスをしなければならないことに気づきます。信頼をキーワードにプレイをさせるという、彼女のインタラクティブアートは(見る人に命令をして実行させるインスタレーション)、こうして実際にプレイさせて初めて作品が成り立ち、見る人に伝わることになります。

このように、表面的な美しさや表面的な作品価値は一目で判断がつくものですが、内容を徐々に浸透させていくように相手に理解させることができる作品というのは良い作品だなと個人的に思います。今回は言語化するなんて野暮、と言えるような内容の記事だったので、難しいかったのですが、あえて言語化して説明するのであれば、こうかなと思って書き始めました。
いつものように長くなってしまったのですが、皆さんが思う良い作品のファクターなど、ご意見があればコメントにてお待ちしております。

Masaki Hagino
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