制作時間とその作品の価値について。そして「悩む」と「迷う」の違い。

制作時間とその作品の価値について。そして「悩む」と「迷う」の違い。

また少し期間が空いてしまってすみませんでした。隔週くらいで1記事をあげているペース(理想)ですが、こんなブログでも毎月少しずつ足を運んでいただいている人が増えていて嬉しい反面、なんかちゃんとした記事かかなきゃと、プレッシャーを感じているMasaki(@masakihaginoart)です。
アムステルダムに引っ越してきて、いろんなことでバタバタしていましたが、最近ようやく少し大きめの作品を、新しい技法を用いながら制作しています。ほぼ毎日の制作過程をインスタ(@masakihagino_art)でupしているので、そちらもご覧ください。

さて、今回は相談を受けた時に話に挙がった内容で、悩むと迷うの違いについて。
そして途中ちょこっと、最近ツイッター等で目にする「絵師さん」への依頼についてなども少し触れてみます。

制作において躓く時とは

制作の媒体がなんであったとしても、クリエイティブな作業をしている人は、よく制作につまずく瞬間があると思います。ここをどうしようか、こうした方がいいかもしれない。どんな些細なことであっても、そういう葛藤が作品をよくしていくものだと思います。
ただやはりその過程にも、レベルやクオリティの問題も含まれています。それはもしかしたら作家のレベルにもよるかも知れませんが、作品について考える内容は人それぞれ。そしてそれは周りの人が見ても全く変化がないような、とても小さなことかも知れません。

つまずいている状態、制作ができなくなった状態、スランプの状態。その状況に陥ってしまうとなかなか抜け出せないことがあると思います。その状態が長く続いてしまうと、どんどんと作品から距離が離れてしまって、制作することが怖くなってしまったりすることもあると思います。

展示中に、いろいろな人から声をかけられますが、よく受ける質問の一つに「この作品にはどれくらい時間がかかったか」というものがあります。これを聞いてくる人はわかりやすく分けると2種類います。作家ではない人が興味で聞いてくる場合と、作家が自分と比較して聞いてくる場合です。前者の場合は、制作時間、技法、そして値段の照らし合わせで、「おーそんなにも時間がかかっている作品なんだ」という印象から、この値段でも納得だ、だったり、もっと高くてもいいんではないか、など作品の価値を算出しているかも知れません。
後者の場合はいろいろと複雑だと思いますが、大まかにいうと、ひとつの作品にかける時間についての考察の参考にするためと言えるでしょう。

 

制作時間が長い方がいい作品なのか
作品の価値との関係性

これはもちろん作品の媒体や技法によると思います。例えば版画は、原板への時間はかかるとしてもプリント自体は数分でできるものですし、油絵なんかは乾燥の時間が1週間かかったりもします。ですので一概には言えませんが、ただこれまでこのブログで多く論じてきた「日本人作家によく見られる繊細な作品」は、単純に見てわかる緻密な技法による作品に対して言うと、時間がかかるべき作品が多いはずです。そうするといつのまにか「時間をかけた作品」=「素晴らしい作品」という考え方が生まれるのは無理もありません。しかしこの場合は手を動かした時間の計算なので、もしかしたらある部分は正しい労働基準で、それに対する対価として作品の価値となっているのも考え方としてはありえるかも知れません。(今回はこの話がメインではないのでここでは深く掘らず)

では、作品の制作途中に「悩んだ」場合はどうでしょうか。制作途中に悩んでしまってスランプに。何ヶ月もその作品が全然進まず、なんてことは作家として経験がある人もいるでしょう。この記事でもその話をしていますが、その過程は重要であり時間がかかるべきものです。そしてその中身で悩んだ時間も制作の一部だと思います。

こういう話によく引き合いに出されるのが、ピカソが残した名言でしょう。この話のストーリーはいろいろちょっとずつずれていることもあるのですが、一つ記事を見つけたのでリンクだけ貼っておきます。(7 Ways To Find And Unleash Your Inner Creative Genius)この話のピカソの部分の日本語抜粋はこちら(「この紙に絵を描いてくれませんか?」熱望するファンに対するピカソの行動−TABI LABO)

簡単に説明すると、
出会った人に頼まれたので、30秒でささっと絵を描いたピカソ。そして渡す時に「はい。この絵の価値は1億円です。」という。え、たったの30秒なのに?「いいえ、この絵は30年と30秒で出来上がったんです。」 
という有名なストーリー。

つまりピカソが作り出す作品は、ピカソが悩み苦しんだ数十年の上に成り立っているので、上でいう価値の話をするのであれば、30年分の制作時間、努力時間分の価値がありますよ、ということになります。とはいっても一般人にしてみれば、まあまあ腑に落ちない話でもあるでしょう。言ってる意味はわかっても、果たしてその30秒のスケッチに彼が本当に30年分の何かが込められるのかどうかという話になります。多かれ少なかれ、30秒のスケッチに技術と思考が乗るのはわかるけれど…っていう方も多いのでは。

少し別な話で、話は戻ってしまいますが、制作時間においての価値も同じことが言えます。いくら時間がかかる緻密な作業だとしても、例えば100時間かかって、時給900円だとして9万円でいいんですか?っていう話になります。絵画で言えば、例えば写真のように上手な人物画を描くとします。時間も必要な上に、人物を正確に描く画力が必要。ここまで上手くなるための鍛錬、努力の対価でうん百万円!!とは現代ではおそらくなりません。これはこのブログでよく言っていますが、コンセプト等の学術的な中身がないため、アートと呼ばれない、工芸に近い作品形態になるからです。極論を言えば、上手なだけの肖像画なんてこれまでの絵画の数百年の歴史の中で、何億枚描かれてきたんでしょうか。という話になるからです。そういう絵は、練習したら誰でも描くことができるということの裏付けです。ですので価値が上がりません。

そうして時間と技術をかけた作品が値段にならない一方、こんな作品だってあります。

Onement VI, Barnett Newman Date: 1953; United States Style: Color Field Painting Genre: abstract Media: oil Dimensions: 259.1 x 304.8 cm  

wikiart

シュールや表現主義にカテゴライズされる、Barnett Newmanの『Onement VI』という、カラーフィールドの作品です。簡単にいうと3mもある大きな青色の絵に一本だけ白い線(しかもおそらくマスキングして描いた)があるだけの作品。これだけやれと言われたらもしかしたら1日でできちゃうんじゃないか、という作品ですが、これが2013年には44億円で落札されました。彼の作品についてや、この時代についての解説は、要望があればまた別の記事でやるとして、制作時間ではない、「内容に価値がある」作品のいい例かなと思います。

 

悩みの「内容と質」と、
そしてそれは「迷い」ではないのかという疑問

技術もある、これまでたくさん悩んできた。だから自分の作品も1億円してもいいはずだ。 という考えがここで出てくるかも知れません。ここからがようやく本記事の本題ですが(またも脱線してここまで長くなっているが)、問題なのはその悩んできた時間の「内容と質」が大切なはずです。後期印象派の激動の世代を牽引し、キュビズムという新しい時代、作品形態をも作り出していったピカソの30年と、子供頃から絵が好きだっただけの人の30年では、悩んできた内容と質が大きく違うのはなんとなく想像ができるはずです。

そして、いや時間をかけて悩んでる!スランプだ!と言い張るそれは、もしかしたら「迷い」ではないのかという問いかけです。これまで散々、学術的価値や研究の大切さをこのブログで言ってきていますが、そういうものが全くない作品を描いている場合、それは迷いである可能性が高いように思います。つまり自分が進むべき方向が定まっていないから起こる現象です。少し掘り下げて考えてみます。

「悩んでいる」という状況は、障害物が多い一本道を頑張って乗り越えながら進んでいるイメージです。自分の進むべき道が見えていて、それに到達するためにいろいろな障害物をどう乗り越えていけばいいかを「悩んで」います。

「迷っている」という状況は、いろんな分岐がある迷路のような道をどっちに進めばいいか迷っているイメージです。ああすれば面白い作品になるかも。こんな感じにしてみるのも面白いかも。なんていう衝動的な感覚に進んでいるうちに、どこに立っていたかわからなくなって、フラフラしてします。そうするとふとした時に自分のやりたかったことと少しずれていることに気づいては戻る、進んでは戻るを繰り返しちゃうようなパターンです。これは道を迂回して進んでいるように見えて「迷っている」状態です。

どちらも手が動いている制作時間とは別の、思考での時間ですが蓋を開けてみるとこんなにも内容が違います。後者に当てはまる人の場合、陥りやすいスランプの原因は「インスピレーション」というワードです。これは個人的な意見ですが、私の中には「インスピレーション」はあまり存在しないような気がしています。どこかの記事でも書いたと思いますが、自分が「いいな」と思う感覚を追うのはよくないと思っています。それは惰性を生むフックの先な気がしますし、多くの場合インスピレーションという名の「パクリ」になっちゃう可能性があるからです。「あ!こういう作品もいいかも」「こういうの面白いな」なんていう感覚ってどこから来ると思いますか?もしかしたら他の誰かの作品を見て思った感情ではありませんか?それを自分の作品に取り入れるのは、結果的に模倣の先駆けかも知れません。そうして突発的な衝動→インスピレーションに従っていってばかりだと、自分の本当に進みたい道から逸れていくことが多いでしょう。こういうことがきっかけで左に、右にとふらふらしていると、迷ってばかりで、自分の目指す先がわからなくなってしまいます。そしていつかそれに自分で気づいて、後戻りをして…スランプになってしまうのではないかなと思います。

 

いつものように長くなってしまった… ので、じゃあどうすればいいのか?の話は次に持ち越します。
作品の内容とそれに対して向き合った姿勢や時間が作品の価値になる。ということを知って欲しかったのと、
その中でも、内容と質が大切なはずだということを理解していただけたらなと思います。

Masaki Hagino
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