【保存版】「art」と「芸術」と「アート」と「美術」の違いとその定義

【保存版】「art」と「芸術」と「アート」と「美術」の違いとその定義

今回はこのブログで割とそこまで厳しくルールとして、使い分けをしていなかったこの語群のちゃんとした定義・カテゴライズと由来みたいなものを、しっかりしておこうかなと思います。

これまでこのブログでは、学術的価値を保有しているものが「art/美術」で、クリエイションとして広義化したものが日本でよく「アート」って呼ばれてるよねー的な話で終わってました。
記事によっては、書いてる最中にめんどくさくなって(ダメ)ごちゃごちゃになってて、俗世的なカテゴライズを優先して、読む方の認識に任せてしまってことがあったので、正直この記事ってブログ開設した最初の方にやっとけよっていう話だよな?という指摘は受け付けておりません。(ごめんなさい)

なんで今更この話をしようかと思ったかと言うと、これから話すのは割と歴史的な背景と、学問的な定義とカテゴライズの話で、現実の世界での人々に認識をこれまで優先していただけの話です。学問的に正しいことを理解している人の方が圧倒的に少ないので、広義化した方の常識の方が正しいし、それが正解ってことになるのが世の常ということで。

前置きが長くなりましたが、さぁ行きましょう!

ちなみに基本的には日本の芸術の定義の話なんかは、東京大学名誉教授、美学者の佐々木健一さんの数々の本の内容を参考にさせて頂いておりますので、もっと詳しく知りたい方は佐々木教授の本を読んでみてほしいなと思います。

サクッと今回の答え

詳しい話に入る前に簡単な概要をもう話してしまいますと..
このARTとアートと芸術と美術の違いというのは割とシンプルです。

西洋で培われた長い長い歴史を持つのが「art」
そしてそれが明治時代に日本に渡って、日本語に翻訳されたのが「芸術」
芸術全般には6種類あって、その中の一つが「美術」
難解だったリベラルアーツの概念が庶民に間違った形で広まった和製英語が「アート」


です。ちゃんと歴史的な背景があって、しっかりと明確化できます。
ということでまずはARTの話からしていきましょう。

「art」とは何か

繰り返しになりますが、もちろん本質的な話ではなくて、定義とカテゴライズの話です。前提として。と言っても私も歴史学者ではないし、どちらかというと歴史は苦手なので、ざっくりとした内容になってしまって申し訳ないです。

話はかなりの時代を遡り、古代ギリシャ・ローマ時代。紀元前数千年とかそういう時代。
ARTの語源はギリシャ語の「τέχνη (テクニー)」その訳語のラテン語の「ars」なんかが元になっていて、元々は人の手で作られる(行われる)もの全般を指していました。なのでこの中には医療技術とか、土木建築技術(デザイン的な意味の建築ではなくて、基礎科学みたいなもの)とかまで含まれていました。その中の一つに、「リベラル・アーツ」と呼ばれるものがあります。自由七科に分類されて、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽。つまり人間に必要な学問とされていたものとされています。これがのちに日本に行きます。


少し話は逸れますが、西洋美術史の最初の1ページ目は洞窟絵画。人類の最初のARTの始まりはそこから始まります。世界最古の絵画と呼ばれる洞窟壁画は、フランス(ラスコーとか)やスペイン(アルタミラとか)に残っていることが多くて、年代はまちまちですが、これも紀元前数万年から数千年など、多くは西洋でたくさん見つかっています。
メソポタミア文明(イラクあたり)、エジプト文明の中でも美術の扱いはあったんですが、そこは置いておいて話は戻って、ギリシャ文明のギリシャ美術。クレタ美術やミュケナイ美術と呼ばれる形式なんかもありつつ、基本的には土器や青銅器、鉄器または建物などの装飾系の美術が発展していきます。ここら辺が紀元前1700年とか。

ギリシャ美術で有名な画家はZeuxis(ゼウクシス)とParrhasius(パラシオス)の二大巨頭がいました。これが紀元前5年頃です。作品は残念ながら残っていません。蛇足ですが、この二人はどっちがうまいか絵画勝負をして、ゼウクシスはぶどうを描きました。あまりに本物のようで、小鳥が啄ばみにきたほど。一方パラシオスは描いた作品をカーテンで隠して相手に見せました。ゼウクシスは怒鳴って「そのカーテンをめくって作品を見せろ!」と言ったところ、実はその作品はだまし絵で、パラシオスはカーテンの絵を描いていました。一方は小鳥を、一方は対戦相手そのものを本物と間違えさせることに成功したのでゼウクシスは負けを認めて、この勝負はパラシオスの勝ち。っていう話があります。これがトロンプルイユの起源だとか。

プリマポルタのアウグストゥス

時代と場所は少し移ってローマ時代。こちらはエトルリア美術/ローマ美術。この辺りが紀元前500年頃。多くは神話的な内容の古典的な絵画テーマを用いた時代も多かったのですが、戦争なども多かったので文明発展の激動の時代。古典的なものが衰退して現代的に、つまりその当時の象徴的な人物の彫刻がよく見られました。
もちろん陶器などの装飾も栄えましたが、こちらの時代はやはり何といっても素晴らしい彫刻の数々。左の画像の『プリマポルタのアウグストゥス』(バチカン美術館所蔵)なんかは見たことある人も多いでしょう。
コンスタンティヌスの凱旋門とか、ローマのコロッセオなどそういった独創的な建築なんかも有名ですね。

この後時代はキリスト教美術の時代に変貌していきます。この辺りが中世で、紀元2、3世紀あたり。教会が増えたので教会の中の装飾だったり、キリスト教の聖書の内容を描いたりなどなど。この時代がルネサンスが衰退して、貴族絵画に移行するまで、ざっくり1500年もの期間、キリスト教美術っていうものが広がり、時代とともに進化してきます。ここら辺はダヴィンチの解説の記事でも話していますね。

ここからキリスト教美術っていうのは美術史では分類があるんですが、
初期キリスト教美術(2世紀から
ビサンティン美術(330年から
初期中世美術(5世紀から
ロマネスク美術(9世紀から
ゴシック美術(12世紀から
イタリア初期ルネサンス(15世紀くらいから)アンジェリコとかボッティチェッリとか
イタリア盛期ルネサンス(15世紀末から16世紀初頭)場所はヴェネチア。ダ・ヴィンチ、ラフェエロ、ミケランジェロとか
マニエリスム美術(16世紀くらい)ヴァザーリとか
—ここから貴族絵画も含む—
バロック美術(17世紀くらい)オランダでは、フェルメール、レンブラントとか。スペインではベラスケスとか
ロココ美術(1700−1760年まで)フランス。アントワーヌ・ヴァトーとか

とても暴力的な説明ですが、こんな感じで特にイタリア、スペイン、フランス、ドイツ、オランダでキリスト教美術とバロック・ロココが栄え、発展していきます。

ここで重要な部分は
ギリシャ・ローマ美術っていうのは、知的財産のような扱いで、文明発展と共に皇帝などに献上される、もしくは命令で作らされているようなもの、重要建造物などの装飾だったり、全身像みたいな権威を象徴するものだったりしたこと。キリスト教美術では、キリスト教が世界で力を持つことによって、宗教の布教のためだったし、バロックロココは主に王族、貴族やメディチ家みたいなパトロンのためだったりしました。つまり様々な権利者に利用されていたものでした。実用的な側面があったわけです。


さて話は膨らんでしまいましたが、このまま時は進んで1760年ごろのイギリス産業革命。そしてフランスの産業革命。最初の方で話したars(≒art)の「人の手で作られるものすべて」っていう意味だったものの中に含まれていた、医術とか(基礎科学)技術とかっていうものが発展したことによって、それらが語源だった「τέχνη (テクニー)」を用いてTechnologyとして分離しました。このことで上で説明した「実用性の部分」は、テクノロジーが持って行って分離してくれたので…

18世紀後半でようやくARTが、単純に美を扱うものとして誕生しました。
要するに自由な表現をしてもよくなりました。これはARTに大きな大きな変化をもたらしました。


途中で美術史講義みたいになってしまいましたが、言葉の定義の話に戻ると…
なんとびっくり。「人の手で作られるものすべて」っていう言葉から、医療と基礎科学技術を抜いてようやくそれっぽくなったのが、つい300年前の話。さっきまで紀元前数千年とかの話をしていたのに。もちろんここから新古典主義とかロマン派、写実派、印象派…と続いていきます。
まぁそれは置いといて、つまりARTはこんなにも長い長い長い期間、文明も入れ替わり、戦争も起こりまくり、舞台となる培われた国も様々で、宗教や多種多様の文化背景に影響を受け、圧倒的な作家数からなる作品数と研究量。そんなバックボーンがあるものがartと呼ばれるものです。
私が普段から「作品に学術的価値、史学的価値がないとARTとは呼ばれない」とこのブログで言っているはこういうことです。artをする、自分の作品をartにカテゴライズするのであれば、この脈略に沿ったものでなければなりません。なので、美術史を勉強しないといけません。学問として体系化されていてるものなので。


「芸術」とは何か

さてこのカテゴリーでは「芸術」の話になって、日本文化・歴史に目を向けることになります。後述しますが日本にこの西洋美術「art」が入ってきたのは明治維新・文明開化のあたり。ではその明治以前の日本画などの日本美術は、「art」じゃなったのか?」という疑問が出てきそうなので、先に答えておきます。
結論から言うと、西洋美術に比べて日本の明治以前の美術では「美術」と「工芸」の差があまりありませんでした。日本建築や寺院などがあって、仏教画や、巻物とか、屏風絵とか。どちらかというとインテリアに近い、装飾に寄ったものが多く、西洋で培われたartとは求められていたものが別のところにあった、という解釈でいいと思います。
西洋ではアカデミアがすでにあってリベラルアーツがあってartが育まれてたのに対して、日本ではそういったものは明治以降に誕生しました。なので古来から世界中の人類が行なっていた、「何かを創造するというクリエイション」の延長で日本の美術は発展していたということになります。これは極論的に言うと、文明レベルが低い、先住民とかどこかの部族だって絵を描いたり装飾したものを身につけたり、建築に使ったりしています。体系化されず学問として研究されいない創造物と言うのはそういうことです。伝統工芸は世界中どこにだって存在しているけれど、それとartは別物。
それがartと同様の価値や概念を偶発的に持っていたのか?ということは別の議論なので今回は敢えて掘り下げずに進みますね。



さてそんな「art」が日本に入ってきたのは、明治時代、幕末。つまりペリー来航、鎖国からの開国で西洋文化がドバッと入って文明開化、明治維新!!!な時期。1850年ちょっとからのそんな時期。西洋美術史でいうと写実主義で、写真技術が生まれて印象派に切り替わるちょうどそんなタイミングです。

この時期にヨーロッパで開かれた国際博覧会(万国博覧会)に、日本の工芸品や美術品というのはたくさん出品されました。ですが、前述した通り当時は美術と工芸とか、ちょっと俗世的な浮世絵とかっていうのは、はっきりとした区別がなかったので、artとしての評価はあまりよくありませんでした。このままじゃ世界においていかれる!!!と焦った文明開化中の日本。どんどんとartを日本に取り入れました。それまでに江戸時代で栄えた絵画といえば浮世絵。それは逆に西洋に渡って、ジャポニズムとして評価を受けて、ゴッホとかに影響を与えてたっていうのはよく耳にする話ですね。そんな中もちろん日本にも印象派が流れてきて、日本の印象派っていうのも誕生しました。

ですので、この時期。いろんな意味を含んだ「art」が入ってきた流れで、その中の一つのリベラルアーツという概念が日本に入ってきたこのタイミングで、リベラルアーツの方を西周(にしあまね)という人が、日本語訳した時にできた言葉こそが「芸術」でした。
なので当時はもちろんこの膨大な西洋美術史すべてと、その概念が体系化されて説明されてもいなかっただろうし、「art」作品は入ってきてもそれだけでは全てを理解できなかったので、リベラルアーツの方(これはまとめられていたんでしょう)を「芸術」と翻訳しました。なので「art」=「芸術」とするのも細かい話、間違っているんでしょう。

「美術」とは何か

日本でその後文化人の皆様が体系化して行った「芸術」は大きく分けて6つにカテゴライズされます。
体系化して書籍とかに残されてる方はたくさんいるようです。今道友信(1922 – 2012) とか青山昌文(1952-) とか。冒頭でも紹介した佐々木教授とか。

・文芸(言語芸術)
美術(造形芸術、視覚芸術)
・音楽(音響芸術)
・総合芸術(舞台芸術と映像芸術)
・デザイン(応用芸術)
・その他(サブカル系等、漫画とかイラストとか)


ということで、ここでようやく美術が出てきました。日本で体系化されたのは6種類なわけなので、「美術」が含むものは非常に多いです。造形芸術と視覚芸術は「彫刻」と「絵画」っていう意味ではありません。造形芸術では、建築も含むし、陶芸とかだってそう。日本では庭園とかも美術的な意味合いがあるのはそういうことです。視覚芸術は、華道とか書道も含むし、工芸だって含みます。
なのでここも細かい部分を見れば「art」=「美術」ではありませんね。華道とか西洋になかったし。

民芸についてはちょっと別の話になるし、ややこしいし、あれの論議には首を突っ込まない方が良いと教えられてきたので、ここでは話しません。

冒頭でも説明しましたが、今までこのブログではいろんな記事でどちらかと言えば
「クリエイティブなもの全般」=「芸術」
本質的な意味での「アート」(art) = 「美術」
みたいな風に話してきましたが、実際にはどちらも全然違うのが分かりますね。

「アート」とは何か

はい、ということでようやく出てきたカタカナの「アート」。これまでこのブログでたくさんこのアートとは何か?ってこと書いてきましたが、今回はそういう内容的な部分ではなくて、言葉の定義的な部分ですので、そっちに興味がある方は他記事を。

結論から言うと、「アート」って言う言葉はまだはっきりと体系化されて認められていない、みんなが勝手に「art」をカタカナに翻訳して、自由な言葉として使っている、和製英語です。なのでみんな勝手に造語を作り出していけます。レジンアート、チョークアート、ネイルアート、ラテアート。もちろんこれは日本語だけで起こっている訳ではありません。
美術大学も芸術大学もあるけれど「アート大学」ってない。それは学問的に体系化されてないからです。ここ数十年で誕生したカタカナの日本語ですね。

上で説明してきたように、art、芸術、美術はとても難解です。現代アートなんてもう何が何だか。ハイカルチャーで扱われていた従来のartが、メインカルチャー、サブカルチャーに降りてきたことで、ハイカルチャー的な教養がなければ嗜むことができなかった西洋美術・artは、一般市民も楽しむチャンスが出てきました。それは美術館とかギャラリーの誕生のとかが理由です。なので英語がたくさん入ってきてartって言葉が使われるようになったことで、一般市民むけにそれを訳してカタカナにして触れやすくなったものですね。

印象派以降シュールレアリスムとか、現代アートって呼ばれるものが、表面的な絵の美しさ、旨さとかっていう部分の、「表面的な美」ということから、コンセプチュアルな「内面的な美」に注目するようになってきました。そうすると知識がなくても見たまんま「すごーい、上手〜!」っていうことが出来なくなってしまって、「何これ???」って作品が多くなってきました。つまり知識元にした読解力みたいなものがないと(美術的教養とか美術リテラシーがないと)現代のartを理解することができなくなってきてしまいました。artが入ってきてまだ間もない、教養レベルが低い日本では、知識がないのであれば黙っておけばいいのに、わかんないが故に、わかりやすい言葉を使って「artは感性で描くものだ、見るものだ」とか「artは自己表現・問題提起」みたいな勝手なことを言い始めた人がいます。持論を展開されるのはいいですが、全くの嘘を言うのはやめましょう。artを育んだ、1500年も続いたキリスト教絵画って自己表現でしたか???????問題提起してましたか??????そういう作品が評価されていた時代や、作品は山ほどありましたが、必要十分条件ではありません。
つまりこういったことがここ2、30年で起こったことによって、日本ではartというワードの部分に、「アート」が当てこまれ、本質の部分とは少しずれた解釈が広まりました。なので「art」と「アート」はまっっっっったくの別物です。

例えばオペラとかバレエとかは、まだお金持ちが楽しむものとか、ハイカルチャーっぽいそんなイメージがあると思います。実際オペラはドイツ語だったりもするし、聞ける知識とか耳が必要ですね。オペラはそれが保たれているので、○○オペラみたいなものは生まれてないし、一般市民がその裾を広げて広い解釈でどうこうみたいなことはまだあんまりされていないと思います。日本でいうと能とか歌舞伎とか。近年海老蔵さんのご活躍で裾が広がったのはとてもすごいこと。ちょっと話が別か。
一般市民に難解すぎて、衰退していくとさらなる進化・発展のスピードが著しく下がります。伝統芸能とかはむしろ守っていくことが大事なので裾を広げすぎると危険かもしれませんね。

artの場合、やはり時代の流れを見てもらえばわかるように、長い時間をかけて凄まじい進化と発展をしています。また、絵を描くという作業は、幼児期から世界中誰でも行なっていることで、身近にある行為です。なので「アート」という言葉が多用され、多様化されて、広義化するのもわかるし、結果として美術の本質を誰も気にしなくなってしまうのは自然なことなのでしょう。

裾が広がって、アートとして間違った認識が広がった日本のartですが、もちろんいいことだって山ほどありました。裾が広がったことでアートに関わる絶対的人口が増えただろうし、アートマーケットが拡大しただろうし、それによっていい作品が生まれたことだってあるだろうし、artに行った人だっているので。

ここで書いた部分を踏まえた上で、皆さんはアートという言葉を多用していくことは何の問題もないと思います。間違った言葉を使うな!「アート」っていう言葉を使うな!みたいなことが言いたいわけではなくて、知識のどっか奥の方で「art」と「アート」って言葉の意味は本来違うんだなーくらいに思っておいてくれればいいのかなと思います。重複しますが、これは言葉の意味の定義を話しているのであって、実際のアートの中でもいい作品はあるだろうし、アートがartを超えることだってあるだろうし。

これは個人的な見解ですが、
分類学っぽいカテゴライズとは別に、現代的なニュアンスで分類した場合は、日本人の多くが思い描いている「アート」は「クリエイション(手作りのもの全部含む)≒ハンドメイド」的な意味の方がしっくりくると思います。

まとめ

今回説明してきたのは、あくまでも言葉の定義的な部分。
なのでもし今までこんなことを勉強したことがなかった人がいた場合、現状の認識とか活動に影響を与えることはなくていいと思います。無知だったことを恥じる必要なんて微塵もないです。

ただわかっていて欲しい部分は、この記事で扱ってきた知識を理解した上で
・活動をしている人(ライバルになるかも知れない人)
・(コンクールなどの)評価を下す審査員
・ギャラリスト
・作品の購入者
などが世界中で山ほど存在していることです。
また同じように、すごい立場にいる人でも理解していない状態の人もたくさんいます。

知らないといい作品が「絶対に」作れないのか?と言われればそりゃバスキア的なことは起こりうるかも知れないけれど、絶対に「知った上で」勉強をしながら模索して作り続けた方がいいと思います。
なんで評価されないんだ!と嘆く理由の一つに、やろうとしてるジャンルが違うっていう場合があります。「アート」の世界にいるのに、「art」の世界に行こうとしたって評価されません。逆も然り。

今回の記事は、ただの言葉の定義かも知れないけれど、
現存する本質的な部分に基づいているものであることは間違いありません。

自分がどこに向かっていて、どうなりたいのか、を明確にするための思考に、少しでも知識をお分けすることができたなら嬉しく思います。

ということで今回はここまで。できるだけ正しい情報を提供しようと書籍なんかを確認しながら書きましたが、間違っている部分があればご指摘いただければ修正したいと思うので、教えていただければ助かります。

参考になった!という方は是非是非シェアの方よろしくお願いいたします。



Masaki Hagino
Contemporary painting artist based and work in Amsterdam and Cologne.
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