留まること。量産に走らないこと。

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今回は半分雑記。
普段このnoteのコンテンツというか、僕が書く文章は一応いくつかジャンル的なものがあって、オピニオン系だったり自分がこう考えていることだったり、あとはドイツで美術を最初に学んで現地でキャリアをスタートしたという日本では稀なケースだと思うのでその話とか。公募だったり情報を提供するようなことから様々。
特に欧米の話というのは日本人作家にとっては有益な情報かなと思っていたのでドイツに居た頃からブログを始めたりしていました。
今回は制作中の雑記です。
留まること。
量産に走らないこと。
最近はインスタレーション作品の比重が増えていて、絵画作品と平行しつつもあるけれど、あまり数を作っていません。展示に追われているわけじゃないということもあるので、数を作るということよりももう一度いろんなことをちゃんと考え直して、新しいものを作れるように実験とか思考を含めインプットとやり直すこと、アウトプットまでを慎重にすることを考えています。
なんかこう他の作家の作品を見ていても思うけれど、量産になってしまって何年間も変化がない作家はたくさんいるように思います。自身の代表作を作るということは非常に大切な気がします。作品を見て「ああ、あの人の作品ね」と一発で分かるということはすごいことだし、それを目指す必要があるのはなんとなくわかる。ただ、それはブランディングの話であって、マーケティングの話であって、決して美術家として正しい形なのかと言われればそうではないと思う。
特にコンテンポラリーというジャンルでは、新しいものを作り続けなければならなくて、実験と研究の上にそれは成り立つのでもちろんある程度「同じように見えてしまう」作品や失敗作なんかの上に出来上がるものなのはわかる。けれど一度成功したり人気が出たりしてからというもの、そこからずっと成長がない作家というのは、私はあまり好きじゃない。良いとも思えない。
シンプルな話、過去の作品を自分が模倣し続けていることになるだけなので、新しいものを作るという命題からすでに逃げているように思います。
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何かの締め切りに追われていたりすると、結局制作にスピードを求めてしまうのだけれど、これはやった経験が何度もあるから分かるけれどこういう時というのは、思考の時間を削って、「過去の成功」の道のりをトレースして歩いていけば近道だということを知っているので、自分の中にある成功体験に頼ってしまう。
結果的に作品は量産に近づいてしまう。
作家として一番正しいと思うのは、時間とかけて思考をちゃんと続けて、そうして止まる・留まる時間を作ることが大切な気がします。そして自分はどんな仕事をしなければならないのか、どんな作品を作らないといけないのか。
そういうことを考えて作品をちゃんと深化・進化させていくことが大切なんだと思います。
これはたぶん「量と質」の質の部分の話だとは思うんだけれど、質というものは絶対的な量の上に成り立つものだとも思う。
なので、量をたくさんやってみたり、いろんな紆余曲折、関係のないインプットとかをしたりっていうそんな時期を経て、たくさん量を作るとかっていうフェーズの先にあることなのかもしれない。
僕は筆がそんなに早くはないタイプなので、そういう意味ではあまり量をこなせていないとは思うけれど、それでもこうやって止まってみたりすることは大切なことだったなと、振りかえって何度も思ったし、なにより量産したりして後悔することの方が多かったので。
インスタレーション作品の話
最近インスタレーション作品の数を増やしていて、実績もそうだけれど、自分のやりたいこととして、いろんな発見と成長がある気がしています。
そういえば僕がデザイン系からアート系の道というかそういう方向展開をしたときのきっかけは、コンセプチュアルアートの本を読んだからだったことを思い出した。
うわぁこういうの作りたいな!と思ったんだった。
22歳の頃だったりするので、数えたくないくらいの前のことを今ふと思い出しました。コスースとか、オッペンハイムとかの作品をここで見て羨ましいというか嫉妬に近い感情を持った。
なぜ今までインスタレーション作家にならなかったかというのはまた多分別の話だけれど、紆余曲折あって今そしてインスタレーションの比重が増えているのはよいことなんだと思う。
砕けて言うとインスタレーションというのは、形にこだわることなく、絵画よりも自由だからいい。
写真を最初に使って作品を作っていた自分からすると、写真はもっともっと不自由が多い。制限が多いという方がいいかも。薬品のこととか、天候、機材、明るさだったりいろんな制限があるわけで、絵画の自由さに憧れていた。
そして絵画の方にシフトしたあと思うのは、絵画というのは基本的には平面と顔料という制限というかがある。
そうしてみると、インスタレーションはもっともっと自由だ。形態も画材ももう何でもありだ。
そしてなんでもありということは、それだけコンセプトに振った作品を、様々な制限を受けずに作れるということはやっぱり楽しいのかなと思う。
別に絵画をやめるという話ではないんだけれど、平行して作品を作りたいなと思う。
今の手掛けている作品
今着手している作品は大きいのが二つ。そして構想的にぼんやりしているのは3つなので5つが同時進行している。
2つは亀山トリエンナーレ用の作品なので、いろいろなことが進行している。
その中でメインになっているのは、シュールレアリスムの作家アンドレ・ブルトンの『溶ける魚』からの発展だ。
なぜなのかと言われると、偶然にこれに触れなおすきっかけがあったというだけなんだけれど、なぜだか興味がそそられて、これまでやっていた言語学とか脳科学とか主観性のところとの親和性があったからかもしれない。
こういう点と点が繋がるような、全身の毛が立つようなびりびりする瞬間というのは年に1回あるかどうかな気がする。
そんなことがあって、今はブルトンにくびったけなのだ。
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