作家としてあるべき姿の話

作家としてあるべき姿の話

noteのメンバーシップ記事からの転載です。メンバーシップでは国内外のコンペやレジデンスの情報や、もうちょっと踏み込んだこと、個人的な内容も多く含んだ記事など頻度高めで更新しています!

では今回の本題。

これはコンテンポラリーじゃない美術家の人にも当てはまるのかどうかはまだ考慮してないけれど… 
もしかしたら当てはまらないかも知れません。

コンテンポラリーをやってる僕がどう思うのかという意見になるのかな、と思って読んでみてください。

ギャラリーが作家を
プッシュする事について

ギャラリーは作品を売る作業を、アーティストの代わりに請け負うよっていうだけじゃなくて
いくつか役割を持っています。
その中の一つは、別記事でも話しているけれど、作家の作品の価値の担保です。
美術作品の価値判断は非常に難しいから、例えば美術館の学芸員さんとかは国家資格なわけで
そんな人が扱う美術というのは、所謂「お墨付き」を貰っている状況で、だから素晴らしいということが担保されているようなそんな状況。

ギャラリストは資格こそないけれど、つまりは良いギャラリーのギャラリストは名前を出す代わりに、その一部の担保性をあげているようなものであるべきですね。

砕けて言えば、
「あの作家は今まで知らなかったけど、あのギャラリーが契約したんだから凄いに違いない。」
が成り立つべきですね。


そして同じように作品をギャラリーが売るときにどう売るのか?という時に
色々謳い文句やセールストーク、ストロングポイントがある中で、そのうちの一つが「この作家、そのうちビッグになるんで、今の内に買っておくと良いですよ」というのが恐らくある。大なり小なり。

良いか悪いかで作品を買う人もいるけれど、それに加えて、もしくはそれとは別に資産価値を求めて、投資対象として美術品を買う人は数多く存在する。

それが良いかどうかは置いておいて、そんな人たちは出来るだけ高値になるものを買おうとするだろう。そりゃ当然だ。だからピカソやウォーホルが売れ続けたりする。

じゃぁそんな人に向かってのセールスポイントは、絶対的に「後々価値が上がります」という事だろう。

でもこれを言う言わないはギャラリストにもよるから、どっちが正解とかをここでは言うつもりはないので、まぁ話の筋としてはあるよねくらいで読み進めてください。

その場合
作家はどうすべきか

問題はここからで、作家の中でもいくつかタイプがあって、
「毎回テーマを変えて作品をバラバラに作るタイプ」と
「作品のテーマを決めて作り続けるタイプ」がある。

そしてさらに後者の中には
「ほぼ同じ作品を量産するタイプ」が存在する。

もちろん少しずつは変わっていくとは思うんだけれど、ほぼほぼ研究の意思が見られない人もたくさんいる。もうそれは工芸の様な量産体制に見えるほど。
例えば花を描いて、花の種類や角度、キャンバスの大きさが違うだけで同じ様なことをずっと続けるとか。
なんでこれが生まれるか?というとこれは画家だからなんだと思う。
同じテイストを守り続けることを軸に置いている場合だ。そしてなぜそうするのか?といういくつか理由があると思うけれど、大きなものは「売れるから」であることが大きい。

これを描けば売れる、待ってくれてる人がいる。

これを悪く言うつもりは全くないけれど、僕は個人的にこれはコンテンポラリーではないだろうなと思うのだ。丁寧にいうとコンテンポラリーアートとしての役割や価値の所有度が低いケースが多い印象だ。

ギャラリーがプッシュできるか?

話を戻して考えてみよう。
ギャラリーのセールストークで、
「この作家は後々有名になって作品の価格は上がります。今買っておいて損はないです」
こんな謳い文句があるとしよう。

では
全く同じ作品を作り続けている作家は
今後の伸び代がどれだけあるのか?

ということだ。
今現在100万円で売れてる作品が
いつ、どのタイミングで1000万円になるのか。
どこかの賞を取るのか。

今、取れてないなら未来も同じじゃないか?
だって今後もその人は同じ作品を作り続けるんだから。

じゃあどうすれば知名度や作品の値段をあげる理由を作るのか?作品はあまり成長してないのに。

となるとやはり話は戻って、展示機会を増やして知名度を上げる。見てくれる母数を増やして顧客の母数を増やす。つまり薄利多売のようなビジネスケースに走ってしまうのではないか。

作品を進化、
深化させ続けよう

今の作品から次の作品は少しずつ変化があるべきだ。それを研究だと言うと思うし、何より美術家は研究者だと思っています。

今後いろんな変化をさせて作品をよくしていかないと。
賞も取れなければ、売れもしない。

多くの人に届くことが正解なのか?
コンテンポラリーとしては何が正しい形なのか?

悪くなっても良いし失敗もたくさんすれば良いと思う。
それをやり続けられる作家でありたいなと思う。