現代美術家が「ゴッホのひまわりにトマトスープがかけられた事件」について考察してみた

現代美術家が「ゴッホのひまわりにトマトスープがかけられた事件」について考察してみた

10月14日にイギリス・ロンドンの美術館ナショナルギャラリーに展示中だった
ゴッホのひまわりの作品にトマトスープがかけられる事件が起きました。世界中でニュースになっているし、Twitterなどでは多くの議論がなされています。日本だけでないけれどそのコメント欄でのリプライなどを見ると多くの方が「ズレてる批判」をしている気がしたので、今回は美術家としての考察も含めて、これにまつわる話をまとめていきたいなと思います。

ちなみに個人的なスタンスを先に伝えると、彼女達の行動には割と憤りというか呆れを感じています。なぜかと言うと
・作家(ゴッホ)へのリスペクトがないため
・artへの知識、理解、リスペクト全てが欠如しているため
・行動に矛盾ばっかでグダグダのガバガバであるため
そしてこの事件にコメントしてる人たちの意見も、的がズレてる意見が多かったので、まとめましょう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/458706a4634668ebe021f26138565c84925e7e5a

この抗議活動を行なった2人の女性は、環境保護団体JustStopOilに属していて、この団体は世界の化学燃料の使用に対してや貧困に対してのデモをこれまでにも行ってきています。

ちなみにこの団体は以前にも、他の作品の額にまた自分の手を接着剤でくっつけたりしています。

https://www.bbc.com/news/uk-england-london-62038615

この抗議団体は他にもメンバーがいるし、賛同者もたくさんいるようで、今回の活動はそのメンバーの2人。

≪ひまわり≫の作品はガラスで保護されていたため、額にはスープがかかりましたが、作品本体は無傷であることが、美術館の方からの正式な発表で明らかになっています。

今回の事件のキーになる情報をいくつかまとめておきましょう。

・JustStopOilの声明は「燃料とお金の話」であること
・スープ大手メーカー「ハインツ」のトマトスープ
・ハインツはインドネシアなどのパーム油プランテーションのスポンサーであるらしいこと。(事実確認してません)
→熱帯雨林の森林破壊が問題視されている点
・≪ひまわり≫にはガラスで保護されていたため、無傷であること。
・ガラスの存在は、犯人たちも知っていたであろうこと。
・ただ作品の外側の木の額にはスープがかかっていたこと。
・反抗に及んだ2人は即刻逮捕されたこと。

まず前提として

この活動は、アートコンテクストがあるような、アートパフォーマンスではないことが重要です。
犯人達の声明でも明らかになっていますが、これはアートにではなく「アートマーケット」についての抗議です。資源とお金の話であって、アートの文脈の話とはほぼ無縁です。
つまり世界で年間8兆円を超える金額が動いているアートマーケット。
彼女達の立場に立って言えば
「そんなもの(アート)」にお金を使っているより、環境問題、貧困問題にお金を使うべきだ。
ということが言いたいらしい。油絵の具に対しても、言いたことがあったのかなということ。

彼女達が喋った内容は以下

„What is worth more, art or life?” declared one protester. “Is it worth more than food? Worth more than justice? Are you more concerned about the protection of a painting or the protection of our planet and people?”

“The cost of living crisis is part of the cost of oil crisis. Fuel is unaffordable to millions of cold, hungry families. They can’t even afford to heat a tin of soup.”

「芸術と生命、どちらが大事なのか?食べ物より価値があるのか?正義よりも価値があるのか?絵画の保護と地球と人間の保護、どちらが大事なのか?

生活費の危機は、石油のコストの危機の一部だ。燃料は、何百万もの寒くて空腹の家庭にとって手の届かないものです。彼らはスープの缶を温める余裕さえないのです。」

Just Stop Oil


「空腹の家庭にはスープ缶すらも温める余裕はないんです!」

って言ってそのスープ缶をぶちまけて無駄にするってだいぶずれてんな!っていう印象。

具体的に細かく確認しましょ

このことをまずはちゃんと認識しましょう。
彼女達は、「アート」に対して知識もなければ、リスペクトもない。理解もない。マネーゲームになっている側面を持つ「アートマーケット」に対しての講義であるわけです。なので彼女達の声明でも使っている「art or life」は主語が間違ってます。
間違っている上に、主語が大きいです。

なので、別に絶対になんとしてもゴッホのひまわりにスープをかける必要はなかった。人気で高額で有名な作品→アートマーケットの象徴 みたいなものであればなんでもよかったんだろうなということが見て取れます。
アート作品全てが、マネーゲームのアートマーケットに則っているわけではありません。
さらに言えばゴッホって、生前に数点しか作品が売れなかった、「アートマーケットに乗れなかった側」の作家なので、artに純粋に向き合った彼の作品を利用するのは間違ってますね。
彼だけでなく、art全てが、artist全てがお金のために作品を作っているわけではなく、純粋なartの探求や文化に対して、artの役割や学術的な研究として活動している人も多いので、主語が大きいのは大きな問題だと思います。

トマトスープについて言えば、あえてラベルを見せていたことを考えると、このハインツである必要がありました。このハインツは前述した通りにパーム油のプランテーションの大手スポンサーであるらしく、このことで標的にされたのでしょう。

キャンベルでやれよwwwは、ちょっと違う

ですので、ウォーホルのことを知っている人の
「どうせやるならキャンベルでやれよww」っていうコメントが散見されましたが、多分そんなコメントをしている人たちも、別にartに対して詳しいわけではないんだろうなと思われます。
さらに言えば、例えばウォーホルを意識し大量生産への抗議で、彼女達がキャンベルを利用したとしても、そのスープを投げて彼女達が「消費しちゃう」ってことは更なる消費を生んでいるだけなので、彼女達の行動とはそもそも矛盾してしまいます。ただこれはそもそもハインツだとしても、更なる消費をして、食べ物を無駄にしている人が、環境問題の抗議するってのは矛盾していますね。
左の女性は髪を染めていて、それってエタノールなしでやったのかな?とか
自分達で作ったそのロゴ入りTシャツは、何でできてるのかな?とか
正直言ってこの抗議活動自体、あまり成り立っていないなと感じます。

この団体の活動全てを批判するつもりはありません。
8兆円って言う金額で他に何かできるだろ、って言い分は共感はできないけれど理解はできるので、金持ちの道楽だと思っているこのマネーゲームアートマーケットに言いたいことがある人が、テロやデモを起こすのはあり得るだろうなと思います。
ただやはり思うことは、やり方に矛盾ばっかりだしなという点。

もうちょっと考えてみる
Artとアートマーケット

この抗議って、油絵の具使いすぎプンプン!!というよりは、こんな作品に数十億円なんて!アートマーケットに年8兆円!?そのお金、もっと使い道あるのに!
ということが言いたいという点。

まずそもそも彼女達にArtの教養が足りていないのですが、
artというのは、絵画というのは壁に飾られるための、平面に油絵の具が乗ったものではありません。

絵画が今の形と役割を持ったのは、紀元前数千年からざっくり見積もっても少なくとも5千年は歴史がある芸術で、それは文化と文明を支えてきた、人間の叡智の塊の1つです。洞窟絵画から数えれば数万年の歴史がある、人類の成長に欠かせなかったものです。

言語が出来上がる前から人間は図を描いて、絵を描いてコミュニケーションをとって生き残ってきました。古代ギリシャ・ローマ時代の文明の象徴あり、文化を作る上で欠かせなかった重要な役割を持ってきたものです。
ですので、このArtが存在してなければ、人々は今の生活クオリティを実現できていません。

現代でも、子供の成長などにはartが必要不可欠と言われています。1歳児になる前には子供は絵を描くようになり、幼稚園や学校でも世界中で美術教養があります。子供は自由な表現を行うことで「自己表現」を学び、別の子供と作品を見せ合って「多様性」に触れます。

ただの落書きに見えるそんなartだったとしても、人間の成長と営みには必要不可欠で、さらにそこには数千年の歴史がある文化を担うもの、それがArtです。

アートマーケットに8兆円、ああもったいない。
それはその数字だけを見ているからで、とても短絡的です。例えばその8兆円には多くの税金がかけられています。普通の税よりちょっと高かったりします。

わかりやすく例に出せば、今回の事件の舞台になったロンドンナショナルギャラリーは、世界トップ5に入る来場者数で600万人の観光客が訪れます。ルーブル美術館は1000万人を超えたこともありました。それの経済効果っていくらでしょうか?その来場者が近くでご飯を食べて、カフェでお茶して、ホテルに泊まって、5万円使ったら3000億円ですね?
Artというのは文化的な側面を持つし、持つものをArt呼んで、それ以外は呼ばれなくていいはずですが、文化というものに人は価値を見出して、お金が動きます。

お金の話で抗議活動をして、それを否定するのであれば、アートマーケットの8兆円のお金にどれくらいの副産物があって、経済効果があって、どれくらいの意味と価値があるのかを無視して話はできません。

アートなんて食べられないものに、8兆円!ぷんぷん!!じゃないんですよ。

歴史を理解して、Artがどれくらい人類の成長に影響を与えたのか、
文化と文明が人類の営みにどのくらいの価値があるのか、
現代においても、Artに触れて人間はどのくらい内面的な成長に影響を与えているのか

そして今も昔も、Artistというのは文明を先に進めるために、人生を賭している人たちがいる。マネーゲームに参加している金儲けアーティストもいるかも知れないけれど、それが本質ではありません。そんなArtistばかりではありません。


もうちょっとリスペクトしようね、勉強しようね。
って言いたくなりました。ガラスで保護されてダメージなかったからいいでしょ、ではないです。それなら私は君たちにスープをかけ続けるよ?洗えばいいじゃんって言って。

この額だって、ただの枠かどうかは私は情報を持っていないけれど、中にはすごく昔の木材を使っていて、その額自体にすごい価値がある可能性もあれば
作家に直接由来のある、(例えば作家が自分で作ったとか、サインが入っているとか)そんな可能性さえあって、額にも美術的な価値が存在する可能性もあります。額だから変えればいい、という訳にも行かない可能性があります。


追加で彼女達が嫌う現実的なお金の話をすれば、
このガラスだって結構高いし、額だって高いし、
接着剤をつけたこの壁だって、もしかしたら特別な防火性の石膏とかを使っていたり、防水、防湿のペンキがあったり、美術品を守るための文化を守るためのものだったりします。高額だったりももちろんします。
さらにいうと、美術館に飾られている作品には、個人蔵からのレンタルの可能性と、美術館が所有している作品があります。そしてそれぞれには保険がかけられていて、こういう事件が起こったりすると保険の査定金額に影響があったりもします。
近代のゴッホの作品でさえ100年以上の歴史があって、その作品がここで展示されるまで、多くの人たちが換喩しています。その人達の気持ちは無視でいいんですか?

こういう事件があって模倣犯が出てきたりもする可能性だったってあって、それだけのことで他の危険性を間接的に誘発することになります。


彼女達の抗議活動全てを批判するつもりはありません。環境は大事、貧困は解消しなければならない。お金持ち達のマネーゲームは良くない。それはわかるけど、
その活動や思想を世界中に注目してほしいがために、「世界のことを考えている自分」に注目してほしいだけの、視野の狭い自己陶酔的な活動のために
歴史や文化を否定し、作家への冒涜を犯し、これまでに携わった多くの人間の気持ちを踏み躙って、

無傷だったとはいえ、作品にスープをかける行為は絶対に間違っています。
反省してください。やり方が違う。

追加で別の話。この行動がアートかどうか

あとね、
「彼女達の活動こそアートだ」とかいう人もいたんだけど、
違います。そもそもこの行動は上でも言った抗議活動で、アートコンテクストがあったわけではありません。話題を呼ぶことがアートじゃないよ。違う理由は上で散々説明してきましたが…

ただ、こんなグダグダでガバガバで矛盾だらけの行動じゃなくって、
「アートマーケットのマネーゲームへの批判」として、パフォーマンスアートで似たようなことを行うことは、可能だと思います。
もっと作家にリスペクトを込めて、多少の批判を覚悟で世界を巻き込む方法っていうのはアリだと思います。

似たようなパフォーマンスっていうのは、ちょくちょくありました。
渋谷駅の岡本太郎の≪明日の神話≫に追加で描き込んだChim↑Pom
オルセー美術館で、クールベの≪世界の起源≫の前でM字開脚をした女性とか

作家をリスペクトして、Artを理解した上で行う行為で、コンテクストがあれば、良い悪いかは別にしても、パフォーマンスアートとして世界に投げかける行動は可能でしょう。そう成るためには、それなりにコンセプトを考えて、アウトプットを考えて実験をして美術作品として精度やクオリティが大切だなと思います。