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作家に必要な「基礎力」とは何なのか。

作家に必要な「基礎力」とは何なのか。

画家にとっての基礎力は?と聞かれると、恐らく日本人の多くの人が「デッサン」を頭に浮かべるのではないでしょうか。
それって本当かな、と思うので少し考えてみましょう。絵画中心の話題になって行ってしまいますが、美術全体にも関わる話になっていくかなと思います。

今回の記事の内容は、Podcastでも同じことを話しておりますので、合わせてどうぞ!

 

デッサンは絵画の基礎なのか?

日本では特に、美大の入学試験でデッサンを描かされると思います。有名美大になればそのレベルは本当に高く、美研(デッサン中心の美大入試用予備校)みたいなものに通って、さらに浪人までしないと合格レベルに達せない、みたいな構図にもなってしまっています。もちろん合格後、一年生の間は基礎としてデッサンの授業があるのはどこも同じかなと思います。そういう構図なので、高校生も入学に向けてデッサンをやりまくり、美大生の1、2年生もデッサンをやりまくっている。そんな状況。
(もう一つ別角度の話をすれば、最近はキャラクター、イラストなどを描くような絵師さんも多いので、人体構造を理解するためにも解剖学やデッサンを勉強する方も沢山いるのかなと思います。)

なぜデッサンが基礎なのか?という話をすると、これは多分長い歴史からの影響かなと思います。
昔はやはり具象画が多かったですね。例えばゴシックから写実主義まで数百年、画家たちは人間の目で見た三次元の世界を、二次元の平面に表現をすることを行ってきました。内容はもちろんそれぞれの時代で様々でしたが、印象派から徐々に抽象絵画の表現方法が生まれるまでのこの数百年はずっと、「具象画」と括れるような表現を行ってきました。日本でもスタイルは違えど同じように世界の表現を行ってきました。日本画は静物を書くことも多いですし、物事をしっかりを見て捉えるという基礎力が求められることは理解できますね。

ただ絵画の在り方は時代と共に変化してきています。写実表現の先に、抽象表現があるとは思うので、「抽象画家にデッサン力はいらない」というのは一概に正しいとは言えないと思います。ただ現代絵画をいろいろと見ていると、具象か抽象かの二択ではないことは一目瞭然だと思います。そのカテゴリー以外の絵画にとって、デッサンは基礎としていまだに扱っていいのかな?という疑問が残ります。

現代美術の多様性とデッサン力

つまりこれまでの絵画の歴史、日本の定番の美術、もしくは過去の美大が教えていた美術の種類・属性にとって「デッサンは基礎力」として必要な物だったのかもしれません。では現代美術を行なっていくであろう、学びたいであろう現代の美大生にとって美大入試はデッサン力を基礎力として求めるままでいいのだろうか?
美大は置いといたとしても、現代美術を志す作家にとって今の時代も、デッサン力がいるのか?という話になってきますね。

現代美術は絵画や彫刻だけではなくとも、様々な形態がどんどんと生まれてきています。インスタレーションやメディアアート、もっと言えばパフォーマンスに対しての「基礎力」もデッサンなのでしょうか?デッサンを学ぶことで、物体を正しく見て二次元に表現する力を得る。もしくはその副産物的に、忍耐力とか集中力とか、そういったものも手に入るかもしれません。ですがそれだったら別にデッサン以外でもいくらでもそれを得る方法ができます。そう考えると、別にデッサンが作家の基礎力として扱われ続けるのは限界なんじゃないかなと思います。

では何が基礎力と成り得るのか?

ここからが本題になりますが、では現代美術のカテゴリーでは、なにが基礎力として扱うのがいいのかなと考えてみました。というのもこれはClubhouseで質問を頂いた時に答えた内容なのですが、割と自分でしっくりきたので、この記事を書いています。

僕が基礎力として必要かなと思ったのは、作品に対する評価力です。多分どこかの記事でも書いたような気がしますが、(後でリンク貼りますね)
いい作品を作るためには、「何がいい作品なのか」を知っていないと作れません。ただ自分でいいと思うという感情先行で作品を作っても問題はなにもないですが、世界的な評価を求めようと思ったり、美術の新しい価値を追い求めるような場合では、その評価は高くなりにくいでしょう。なので「この現代美術の世界でなにが良いとされ得るのか」ということを意識して、判断を自分でする力が絶対に必要になります。

これが過去の場合だったら、人体を、静物を、風景を上手に描くということが、評価される大きな要因の一つでした。現在でも別に絵画にとって価値になり得るのは間違いではありませんが、これを現代美術の枠内で考えると評価が落ちます。(なぜならつまりその時代が過ぎ去ったから)

制作をする間は、その作品をいいものにしようと作家は頑張っているはずです。その間の良い悪いのジャッジは、100%作家本人が行うものだと思います。なのでその判断力を持たないといい作品が生まれてきにくいであるだろうと思うわけです。(逆にない方が、いいものができるっていう考えもあるのかも知れませんが、あくまで現代美術では史学的価値がないといけないという前提論なので、「絵画としていい作品かどうか」ではなくて、現代美術作品といていい作品かどうか、ということを混同されないようにして読んでいただきたいです。)

判断力はどう養うのか

ではその判断力はどう手に入れ、どう養うのか。そしてそれが基礎力としてどう作用するのかということですが、簡単にいうとその判断力は、作品をたくさん見るということになると思います。作家個人の中の在庫量(知識量)を増やすということが必要になると思います。それはよくここで言っている「美術史勉強しないと、史学的価値を理解できない」っていうことに直結すると思いますが、要するに作品をたくさん見ると、同時に作品のいい悪いを自分で判断する力を養うことができるのかなと思います。美術史を勉強する、本をたくさん読む、ギャラリーにいく、美術館にいく。インターネットで世界のアートシーンをしる。

なぜ作品をたくさん見なければいけないのか、たくさん見るとどうなるのかというと、自分の中に在庫が貯まっていきます。経験値ですね。その次にこの経験値、在庫っていうのが貯まっていくとどうなるかというとランキング付けができていきます。このランキングがきっと重要。
判断力というのは、わかりやすく言えば比較をするということです。そして比較とは、つまり○○(3位)よりは優れていて、△△(1位)よりは劣っている。という比較を行うことで、暫定2位を決める作業です。
例えば、これが食・味覚については人間はとても得意です。食べる行為をずっと繰り返してきているわけですので、子供よりも大人の方がつまり「舌が肥えている」ということになると思いますが、この舌が肥えているという状況は、自分の中のランキング総数が増えているという状況になります。その総数が多いということは、ランキング付けが繰り返された回数でもあるわけなので、精度が上がっているということが言えるでしょう。(これは個人的な趣味趣向という点を度外視して)

 

つまり美術に関しての基礎力とは

いい作品を作れるようになるために。
つまり大切なことは、「いい作品がなにかを知ること」だと思います。それが別に絶対的に正しい必要もなければ、おそらく正しくないとは思います。その良し悪しを判断する精度というか純度みたいなものはまた別の議論になると思いますので、まず自分で判断してそれを信じていくほかありません。個人的な趣味趣向でもきっと構いません。その後その判断をただの個人的趣味趣向から、研究を進めて自分の感覚と世界レベルの感覚をすり合わせていくような行為が大切になってくるだと思いますが、基礎力という段階ではそこを気にしなくてもいいでしょう。

自分の作品にどういう価値を見出すのか、その発見と思考の手伝いをしてくれるのが、この自分の中の在庫を増やすという行為になると思います。これができていれば、「自分の作品は絶対にいい作品なのに、なんでだれもわかってくれないんだ!」っていう井の中の蛙的な事故はなくなるはずです。

今ではインターネットで世界中のアーティストを知れる時代です。それは美術史の中の人でも、現代アーティストでも、好きなだけ知ることができます。
「知らない」は、「できるのにやらない」という結果です。ただの怠慢の言い訳でしかありません。

知ることで、つまり在庫を増やしていくことでどんどん評価の力がつくので、自分の作品について、制作段階からブラッシュアップが可能になります。技法は後からでやればついてくるものです。なので一番最初の基礎力っていう部分では、この判断力になるのかなと思いました。

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