絵画としての使命について考えてみる

絵画としての使命について考えてみる

今回は久しぶりの思考的な記事です!
グループ展やギャラリーとの仕事をしていると、基本的には絵画、彫刻、写真などとセットを組まれ、バリエーションをもたせたものが多くなります。
私の作品は絵画ですので、必然的に他の彫刻作家や写真作家(もちろん他の画家とも)と話をすることが多くなるので、
ここ最近考えるようになった「絵画としての使命」について少し言語化してみたいと思います。
メディアアートや、インスタレーションなど、新しい形に捉われない美術作品が今主流と言えるなか、絵画が背負っている使命とはなんでしょうか。

絵画の歴史

今皆さんが思い浮かべる絵画の形になる前は、洞窟絵画というものがあります。最古のものはこれまでヨーロッパで約4-6万年前と考えられていましたが、2014年にNatureに掲載された新しい報告では約4万年前にインドネシアの洞窟の中にも、描写されたものが発見されました。言語の歴史が数千年であることから考えると、つまり世界中で数万年も前から人類は描写して何かを残し、そして相手に伝えてきました。その行動は、人間の本能的な部分に起因するとする研究者も多くいますね。
研究の専門分野ではないので、ここからはざっくりと言ってしまいますが、その後エジプト美術、ギリシャ美術、ビザンティン美術など、絵画だけでなく造形物を含め美術の歴史は発展を遂げていきます。絵画で言うと、例えば造形物の装飾や、または教会などの壁画などと、洞窟の壁から描かれる場所や形と、外の世界の動物を描いていたものから、神や王、貴族など描かれる対象も変わって来ました。

さて、では形としての絵画はどうでしょうか。みなさんが思い浮かべる絵画。ゴシックやルネッサンスのキャンバス絵画が西洋絵画の中で普遍的になった14-15世紀頃以前、それまでは日本語では板絵と呼ばれる、いわゆる木製パネルの絵画がありました。最古の物は紀元前6世紀にあった「Pitsa panels」と呼ばれる作品ですが、おそらく一般的になっていたとされているのはそれから数百年後だったと言われています。
そして時代によりそれぞれ絵画の保存方法を念頭に、染料、つまり絵の具の種類と、パネルやキャンバスの下地処理の方法が変化、そして進化していきます。

つまり、木パネル絵画誕生後、約2000年もの間、絵画の形態はほとんど変化していないということです。更に言えばキャンバスと油絵の具が普遍的になった15世紀からこの600年は全くと言っていいほど変化していないということになります。
またキャンバスや木パネルがなぜ長方形かというと、これも諸説ありますが、一般的には 1.人間の視野角が長方形であること。 2. 四足歩行動物や人間(長方形の物体)を主に描いていたため。とされています。

これってすごいことじゃないですか?もちろんその形態から脱出しようとした作品は途中いくつかありましたが、ほとんどの作品はこの四角形の板状の物体に、色彩豊かで粘性がある色の変化がしにくいもの(絵の具)を塗ったものが、「絵画の形」としてこんなにも長い間変わらないのです。

 

絵画の本質

絵画の歴史に比べて、上にもちらっと書きましたが、今世界中で主流であるメディアアートやインスタレーションなどの空間や素材を大きく使ったものは、ここ数十年で急速に変化を遂げ、その新しい素材の可能性と自由度から、どんどんと新しいスタイルが生まれています。私もいろいろと別の作品を作って発表することはあるのですが、とっても自由で楽しい。新しい美術の形、方向性、そして可能性を含んでいるような気がします。今後もインスタレーション作品を発表していきたいと思う一方。。。

美術、アートと聞いて、おそらく多くの人が思い浮かべるのは絵画なんじゃないかなと思います。そのくらい絵画作品は世の中に多く、そして小さい頃から誰でも触れて来た一つの表現方法です。それだけ身近でそれだけの数の絵画作品がこの2000年で描かれて来ました。

新しい作品を生み出すことがアーティストに求められている一つの課題です。それが美術の価値を追うことに繋がるからです。私たちは研究者であり、探索者でなければなりません。じゃあさらなる可能性がある方向に進めばいいじゃないか?とも自分で思ったことも。別にそれは自由なんですが、ここ最近気づいたことがありました。それはとある人に言われたこんな言葉がきっかけでした。

『私はあなたのような可能性を持った画家としてのアーティストを探していた』

実際に私がそうかどうかは置いておいて、可能性を持った画家としてのアーティストってどういうことでしょうか。漠然とした「アーティストとしての可能性」というワードではなく、あえて画家という絞られた言い方をしたのはなぜだったんだろうと気になりました。

 

アートとしての絵画の可能性

まず前提として、画家が必ずしもアーティストではないということです。これ関係の話は今まで何度もこのブログで言及していますが、美術(ART/アート)とは学問です。この考えがないものは得てして工芸と呼ばれるか、趣味や落書きということになってしまいます。絵を描く人は総じて画家と呼ばれても問題ないはずです。もちろんそこにはプロかどうかという差はありますが。 アーティストであって画家である人、つまりは絵画をアート作品に昇華している人がアーティストとして存在できるのではないかなと思います。ということで、絵を描く人=画家がアーティストで必ずしもあるわけではないんです。ですので私は自分のことをこのブログ以外など利便性を考慮した言い方以外では、アーティストとは名乗りたくありません。それは自分の作品がアートとして昇華できているか自信がないからです。

ではその可能性とはどういうことでしょうか。上に述べて来たように、絵画というのはこんなにも歴史があり、さらには誰もがアートと聞いたら絵画をまず思い浮かべるであろうほど普遍的な表現技法です。これまで一体何億人何十億人の画家が何兆という数の作品を作ったのでしょう。そしてその中で画家が自身の作品を、アートに昇華することができる余白はどれくらいあるのでしょうか。技法も形態も自由で新しい、メディアアートやインスタレーションと比較して、絵画がやれることはかなり使い古されていて、そして固定的なのは上で述べました。その中でまださらにこの古い形態に止まりつつ、かつ新しい価値を持った作品を生み出すことを求められているのが、今の時代の絵画アーティストたちです。作家のコンセプトや研究テーマ自体がアートに直結しているのであれば、それは必ずしも絵画である必要はないはずです。アートはそれだけ自由であるわけですから。例えばピカソやマン・レイやホックニーだって、絵画だけでなく写真や映像、造形だったりと様々な媒体で、ですが同じコンセプトのもと作品を制作していました。ですが彼らは結局絵画を捨てませんでした。

絵画は結局のところ、他の作品媒体に比べて狭い範囲で行われているものです。ですがその自由度はとても高い不思議な媒体だったりします。例えば同じ2次元である写真は、カメラの部品や薬品、天候だったりプリンターや現像手順など、技法的な制限がありますが、そういった点では絵画はほとんどありません。素材の幅は未知数ですし、技法だってまああってないようなものです。

どの媒体を使っているアーティストでも、そのコンセプトは、そのジャンルにこだわった、そのジャンルの中にある可能性を追求するものであることが多いはずです。つまり絵画であれば、四角い二次元の空間に絵の具を用いてどのようなことを表現するのかという点に集中します。もちろんそうする必要があるわけでもなければ、その絵画の線引きを脱する作品も多くあります。メディアアートなど、時代とともにどんどん新しい技法が生まれて来ている昨今、私たちは2000年変わっていないこの古い枠の中でまだ戦っています。
それは自由度が高い技法だからかも知れませんし、人間の本能的な欲求の一つなのかも知れません。 ですが絵画にはまだ課せらている使命みたいなものがあるように感じます。

2000年間数多くのアーティストにこんなにもやられまくっているけど、でもまだ形態はキープしている。その反面やっぱり自由度が高い表現方法。
絵画の価値ってこう見るとシンプル故にとても複雑な要素がからみあっていますが、
21世紀の画家、もしくは絵画アーティストに求められているものは、いつの時代と同じく、「絵画として」の新しい可能性の発見なんだろうな、と思います。