作品の良し悪しは常に半分こ。

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今回はメンバーシップ記事からの転載です。
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間に合わないかと思ったpart 2

11月末まで応募に、コミッションに、ドイツに作品を送るやつに、アートフェアに香川の展示がどうだとかってかなりいっぱいいっぱいだったんだけれど、それが終わってそのまま12月。1月10日までにはインスタレーション4種を作らなければならない…という状態の年末でした。
なんとかギャラリーを埋められるほどの点数を用意できたはいいけれど、その4週間後の先週木曜日までには絵画作品でギャラリーを埋める必要がありました。

なんと手元に残っている新しくできた少ない作品も全部ドイツに送っちゃったので、アトリエには書きかけの100号が2点と中くらいの作品が数点。

あまり休んでいる場合ではなく、制作に取り掛かりました。
描き方を少し変えて、色は統一したものだけで構成するという5年位前にやってた描き方を戻してみた。ワックスも新しく用意して実験しつつ形にまとめて行きました。

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≪A study of the relationship between subjectivity, time and memory L” Mixed media on canvas,
91 x72.7 cm, 2024, Masaki Hagino
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≪A study of the relationship between subjectivity, time and memory XLIX” Mixed media on canvas, 91 x72.7 cm, 2024, Masaki Hagino

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突然いろいろと自信がなくなる

以前記事にもしてみたことがありますが、数年前からこのインポスター症候群に近いものと戦っていて、この制作に追い込まれているときに来なくてもいいのに!という状況に。
普段は筆が遅い方で、いろいろと考えたり悩んだりが長いんですが、それをすっ飛ばして勢いで作業していたので、これで大丈夫なのかという不安がずっと強かったです。

普段と違う別の要素が加わって(あまり悩む時間を与えられない)というこの状況は確かに困るんだけれど、でもこういうときになにか新しいことが見つかったり、いろんなことが見えたりする。
丁寧に作品を作ることは確かに誰でもできるし、みんなそこからスタートするんだけれど、いきなり訳の分からないことをショートカットでやろうとしたりするときに、新しいことができたりもするのかなと思ったりもする。事実これまでもなにかしらの制約や変化があった状態で、普段とは別なことを悩むことを強制させらた結果、新しいことが生まれたり気づくきっかけになったりしてきた。
例えばレジデンスとかも詰まるところそういうことで、時間、場所、環境、材料などの制限や変化で強制的に深化のきっかけになるということはある。

今回も絵としては反省点も実はたくさんあって、悩まずに描いた線、消してもどる勇気が出なかった色とか。余計な線を載せたんじゃないか。
そんな不安がどんどん蓄積していって、本来なら逃げるように数日置くっていう作業に入っちゃうんだけれど、それをしている時間がなかったのでもうその時の自分を信じるしかなかった。

何がいい作品かどうかは50:50

これもたぶんどこかで書いたことがあるんですが、何を良い作品とするかということは、作家と鑑賞者(評価を下す側)で50:50だと思っています。
制作中は作家が100%で悩むんだけれど、いざ出来上がって作品が手を離れてからの作品がいいかどうかは、作家がどれだけ頑張ったとか、どういうところに情熱を注いでますとか、研究がどうだとかっていうことはどうでもよくなって、鑑賞者がどれだけなにを見て取れたのかとか、つまりは鑑賞者に判断のすべてをゆだねることになる。なので制作中とその後で、作家と鑑賞者の100:100になる。

例えば、今ここで悩んでいる、後悔しているそういう細かい部分というのは、自分にとってはかなり大きな問題だと感じている。けれど結局その作家にとっての大きな悩みは、鑑賞者にとってはどうでもよかったりするケースも少なくない。もっと言えば作家が気に入らなかった部分が、実は気に入られてしまったりもするし、その逆もそう。
そういう意味では、この悩みもすごく難しいのだ。

じゃあ悩む必要ないじゃない?とは決してならない。
だってこういうのは、作家のこだわりなりプライドなり、制作にとってはすごく大切なことなので、制作にとっては死ぬほど悩むべきだ。

なんだけれど、その悩みで不安になる必要はあまりないのかもしれない。個人的には作品は別に100点の出来じゃなくていいと思っていて、それは100点とは何かっていう上の話にもなると思うけれど、鑑賞者次第の部分もあるだろう。そもそも作品の研究はずっと続いていくのだから、誠意と責任のために現時点でのベストであればいいと思う。
でもそれが100点の出来で、悩みもない自信たっぷりであるべき!とは全然思いません。悩んだりしたのがたくさん上に載った作品の方が、個人的には好き。自分の作品についてじゃなくて、有名な作家でも過去の作家のさくひんであっても。あ、ここら辺悩んでたんだろうなとかを感じることは多いから。作家のことを愛らしく感じる瞬間でもあるし、もしかしたらそんな小さなことを悩まないタイプの抽象的な作風とかコンセプトに全振りするタイプかも知れない。どういうタイプであっても、それがクオリティと直結はしないと思う。悩んだ線があることが、作品の質を下げているとは思わない。

と、他人の作品についてはこういうことを思うんだけれど、いざ自分の作品になると、自分のことになると一気に自分を認められなくなって、不安になってしまうのはなぜだろう…