雑記: 100年後に残る作品を作ること
少し更新が空いてしまいました。
日本に帰ってきてから色々と雑務や生活環境を整えたりとか、精神的にもいろいろと抱えて
心構えはしていたつもりだけれど、やはり辛い期間が続いています。
アートとお金の話
最近Twitterなどではいろいろと話しているけれど、アートの話をする時には、高確率で「お金の話」に収束するような気がしていました。
これが非常に苦手というか嫌いで、資本主義な世界では仕方がないとは思うけれど、
アートの話 → アートマーケット → ギャラリー/アートフェア/オークション
の話になることが多い。
どのアーティストの話をしても、
どの作品の話をしても。
まぁ簡単に言えばうんざりだ
って言いたくなくなるほど。
作家はいい作品を作ることが仕事で
それに人生を注いでいで
漏れることなく、僕もまたそういう人生を送っている。
その「いい作品」が何なのかっていうことを研究して実験して悩んで苦しんで
それで十分過ぎるほど、色んなことを犠牲にして生活をしている。
これにさらにお金の話まで加わらなきゃいけないなんて、まっぴらごめんだ。
でも実際は、僕みたいな現代の無名作家なんてこそ、お金にシビアになって、情報を集めて、SNSなんてものも利用して何とかしないといけない。
これにはいくつか理由があるはず。
アーティストは基本的には
作品を売ってご飯を食べるか
コンペの副賞や助成金を得るか
そのどちらかしかお金を得る方法がない。繰り返すけど「基本的」には。
そしたら当然
何をどう売るかの話になって
代わりに売ってくれるギャラリーの話になって
それがいくらになったかの話になって
っていうことになる。当然だった。
アーティストは生きるためにも、いい作家としてキャリアを積むためにも器用にならなければならない。
もう苦手だとか、うんざりだなんて言ってても仕方がない。
良い悪いではないけれど、器用でそれがうまい人の方が色んな意味で有利だったりする。
妬みなんかが渦巻く世界なので、これは逃げてはいけない問題だったりする。
世界中のコンペやAIRなどの応募には目を通して、書類を作って作品を作って
作品をどう売るかとか、どう見せるかとか、将来どういう作家としてやっていきたいかっていうベクトルを決めて一歩ずつ進んで行くしかない
そして裏では研究を続け、思考を続け、諦めずに作品を作り続ける。
こう思うとすごくシンプルな生き方だなと思う。
ただ、少し進むと話が変わってきたりする。
ギャラリーと話が進んで、作品を多くの場所で誰かの手に渡るようになってきて。
そうすると上に書いた面倒なことっていうのは半分くらいギャラリーの仕事になる。
それは助かる。けれどそれ故にギャラリー選びが大切になる。
多くの人に作品が渡るようになって
ギャラリーが作品を扱うようになって
そうなったら、もう一つちゃんと考えないといけないことは、
その作品が100年後も形をちゃんと保てるのかということだ。
技法と保存性
現代美術家・もとい現代アーティストは
この手のことに弱い。
なぜかと言えば
基本的には作家はその問題にあまり思考を重ねなくて良かったからだ。
キャンバスに油絵を塗れば
印画紙に写真をプリントすれば
今ある技法の多くは、多くの失敗と改良が繰り返されてきて
科学的に担保された保存性があるため、
既存の技法を用いてどう作品を作っていくのかということをやる場合は
特別、保存性について思考を求められてこなかった。
なぜならその多くは画材の開発者の仕事だったりするからだ。
では現代作家はどうか。
技法から新しさを求めたり、新しい技法を混ぜ込んだりと
技法の検証から始まったりすることは多くある。
それは「新しいもの」を作っていく上で欠かせないことだと思う。
だけれど、その場合
その作品が「あと何年残るのか」という経年劣化問題が常についてまわる。
それは物によっては検証のしようがなかったりもする。だって誰もやったことのない組み合わせだったりするのだから。
保存性とお金の話
そして次の話は、その保存性とお金の話。
ここら辺は最近日本の画商さんとかディーラーさんとかと話をしてて習った話です。
ギャラリーなど、作品を扱う人たちにも種類がある。
大きく分けて2種類。プライマリーとセカンダリー。
簡単な話だけれど、一次販売と、二次販売(以降)の話。
一次販売はシンプルでいい。ギャラリーとアーティストがやり取りを行なって、
作品を渡して、展示をして、売って。
二次販売はその後の、オークションなどで最初の所有者から移った場合の販売。
プライマリーもいつかはセカンダリーを見据えての扱いにもなるので、結局のところ保存性が必要だったりします。
何年後、何十年後にこの作品はこの状態を保っていられるのか
もし作家と作品の価値が上がって1億円になった場合、それは1億円分の価値があるような状態なのか?
これが担保できない作品は、つまり、プライマリーの段階から価値が低い。
だって将来性がない、もしくは数年後にはガラクタになってる可能性があれば、ギャラリーとしては、売れないので扱えない。
話が散漫になってしまったけれど、結局のところ
作家自体は作ることに集中してしまいがちだけれど、自分以外の美術を扱う人たちの多くはむしろ保存性を気にしているという事実。
なんかこれって作家側からすると新しい発見だったなと思う。
もしかしたら当然のことかも知れないけれど。
どれくらい価値があるのか
どれくらいいい作品なのか
どれくらい新しい作品なのか
作家としては良いか悪いかの判断をし続けるような人生で回っているけれど
作品を買う人、売る人、研究する人、所蔵する美術館やギャラリー。そっち側の人たちの多くは、保存についての判断をし続けてる。
目から鱗というか、価値観の違いというか
視点を変えるとこんなにも見ている部分が違うのかと驚く。
作家としてもちろん作品の保存については考えるけれど
それが5年後10年後くらいのものだった。搬入できて、展示までできて
1年何も問題なければ、ある程度いけるでしょ、くらいだった。
ただセカンダリーの先を見ていけば、重要なのは100年後とか、そういう話になる。
最近このことを教えてもらってから、
制作の考え方も大きく変わった。
良い作品かどうかはもちろん大切だけれど
作品を世の中に生み出した後、この作品がどれくらいそのアートマーケットの中で生き続けるのかを考える必要がある。
こと、現代アーティストは新しい技法や素材を使いがちだ。
残す必要がないケースを考えるにしても、もう一度自分の作品が100年後どうなるのかを考える必要がある気がする。
Masaki Hagino
Contemporary painting artist based and work in Amsterdam and Cologne.
http://linktr.ee/masakihagino
Web : http://masakihagino.com
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