芸術をどう広めるべきかの話
今回は少し特別なトピックを。
僕は結構作業中Youtubeを流していることが多いんですが、以前からずっと活動されているクラシックバレエ系youtuber?の、ヤマカイTVさんの一件が今話題になっています。(結構昔から動画を拝見しております。)
今回は少しその内容で考えたことがあったので、みなさんに少しシェアしようかなと思います。ただ今回の一件では少しその後の動向が複雑になって、大きな一件になってしまったので、そのことについてとか、炎上商法だったかとか、お互いの内情についてなどは触れません。どちらの肩を持つということもしないし、ただ2つの別の角度の意見について取り上げているというだけなので、予めご了承ください。なので、記事タイトルにも二人の名前を出しておりません。(ヤマカイさんの精神状況も考えております。それでアクセス数を稼ぎたいわけではないので)
先に動画だけシェアします。一応お互い動画内では名前を伏せてはいますが、既に両者ともお互いを指していることは露見していると思うので、シェアしてしまいますね。
何があったかをざっくりと。
ヤマカイTVさんは、アメリカのプロのバレエ団体所属のバレエダンサーです。63万人の登録者数を持つYoutuber。
活動内容は「バレエを(日本に)広める」ということを掲げて、たくさんのバレエ系の動画やプロの実情などをシェアされています。アニメ系の音楽の踊ってみた動画とか、なぜか裸になったりとかということが多くて非難を浴びることも多々あったようで、そのことが今回の一件にもつながったんですが、それはここでは触れません。
要するに彼のスタンスは、
「敷居が高いであろうバレエというものを、少しバラエティ要素を混ぜて、多くの人にまずチャンネルの見てもらって、つまりご自身のチャンネルの認知度を上げて、それを通してバレエそのものの認知度上げ、その上で本質的なバレエに触れていって欲しい。」
ということで活動されています。
一方の方はヒューマさん。クロアチアのバレエ団体所属のバレエダンサーで、彼の言い分は
「敷居を下げたバレエっぽいものを、間違った情報として60万人に伝えるのはやめて欲しい。バレエは芸術であって、わからない人はわからないままでいい。それを敷居を下げてまで、多くの人に広める必要ない。」
というスタンスです。
細かいニュアンスとかは省きましたが、お互い誤解している部分があって、それの訂正があったりしていましたが、とりあえず二人の意見はこんな感じです。
芸術とハイカルチャーの関係性
今回は二人の意見を参考にしましたが、この二つの意見から、色々と考えていこうかなと思います。
前回の【保存版】「art」と「芸術」と「アート」と「美術」の違いとその定義の記事でも説明してきましたが、芸術の中の6カテゴリーの中に、舞台芸術(バレエを含む)と、美術が含まれています。ですので本質の部分ではバレエと美術はart/芸術で同じカテゴリだとして話を進めます。(カタカナのアートは別だよって話は上の記事参照)
芸術はもともとずっとハイカルチャーで扱われていたものです。要するに貴族とかそういう教養がある人たちが楽しむものでした。つまり知識があって、それを理解することができる耳とか目を持っている人たちのみが楽しめるものでした。1780年頃の欧州の産業革命以降、美術館やギャラリーとかが広まって、芸術は庶民が楽しめるようなものになってきました。つまりメインカルチャーとか、サブカルチャーに芸術が降りてきたとも言えます。なのでバレエが広まったし、artも広まりました。
ヒューマさんの意見はどちらかというとこの感覚を持たれていて、彼の言う「バレエは芸術です。芸術をわからない人にバレエを知ってもらおうとは思わない」という意見がここら辺になるかなと思います。要するに「バレエを割とこの崇高な部分の価値を落とさず、保有したまま、教養のある人(芸術に興味があって、芸術をわかる人)たちのみで扱っていくべきである」というスタンスかなと思います。
芸術の敷居を下げること、裾を広げること
ヤマカイさんがやろうとしてることを、僕が全て詳しく理解しているかというと、それはおこがましいし、間違ったことを言いたくはないので、ざっくり。
彼がやろうとしていることを少し考えてみましょう。張り合いに出していいのかはわかりませんが、歌舞伎の海老蔵さんの活動的にも近いものがあるのかなと思っています。
ちなみに否定をするつもりは全くありません。どっちが正しいのかは分からないので、ただ思考しているだけだと思ってください。
バレエの素晴らしさを多くの人に広めたい。ということは素晴らしいことです。特に絵画と比べて、バレエというのはとても敷居が高いものでしょう。その方法として彼がとっている方法が、
バラエティ要素なんかを入れたり、コミカルなことをしたりして、まずは自分のチャンネルのいろんな動画を見てもらう → バレエの動画を見てもらう → バレエを知ってもらう。
っていうことを行なっています。
まぁそれがバラエティすぎるとか、本質のバレエの動画が少なすぎるとか、そういう部分で批判があったようだけれど、それは置いておきましょう。
海老蔵さんとかも、昔からある題材の歌舞伎とか、古語的な日本語で展開されていく要素を少し軟化させて、浦島太郎とかみんなが知っている童話を題材にしたり、あまり難しい日本語を使いすぎないようなものだったりを使って、少し敷居を下げたような歌舞伎を展開されているパイオニアなんだと思います。そしてご本人もメディアに出たりブログが有名だったりと露出度を上げて、歌舞伎業界?に大きな貢献をしているように思います。
確かに多くの人が興味を持って、それに携わる人口が増えることは大きな可能性を含んでいると思います。プレイヤーが増えれば、支援する人も増える。そうしてそのコミュニティが大きくなれば、大きなお金が生まれて、国も潤うことができる。そうすれば国からの支援金も増えて、プレイヤーにお金が返ってくる。そういういい循環が生まれれば、文化がどんどんと強く、広く、大きくなってくると思います。
文化が広まれば、プレイヤーが増えれば、その質も上がってくるはずです。なので結果的に優れたプレイヤーが生まれることに繋がることになるのは間違い無いと思います。
サブカルとして広まった美術の現状
さて、一方美術。「絵を描くという行為」は、紙と鉛筆さえあれば誰でもできるし、1歳児でもやり始めるような人類の営みとして割と必要な行動の一つである行為です。バレエやクラシック音楽とかに比べてはるかに簡単で、世界中で広まっています。
そして私が結構問題視しているのが、
美術っていうものがサブカル的に、知識を持たない(リテラシーが低い)一般人、庶民に降りてきたことによって、「アート」っていう言葉が広まって、美術という学問的なものが、誰でも楽しめる体系化されていない「アート」っていうものに置き換わってきました。
別にそれだけを見ると大したことはないんですが、本質的な問題は、どんどん広まっていくと本質的な美術とは無関係のものも「アート」と判断する人が増えていくので、みんなが「何がアートなのか」「何が美術なのか」みたいなことを判断しようともしなくなるし、判断できなくなっていきます。
この感覚が今の美術、アートの現状で、プロであろうが有名なギャラリストであろうが、そのことを理解していない人も沢山いるし、この問題の根本は「日本人のアートリテラシーの低さ」が原因なのかなと思います。
そして帰納的に考えると、サブカルとして美術が広まったことがきっかけで、日本人のアートリテラシーの低さを招いたとも言えるでしょう。
「広まること」が果たして正しいことなのか
バレエにしろ、美術にしろ、ただただ広まってしまうということは、上で説明したようにいいことばかりではないと思います。大衆がわかりやすいように
・敷居を下げること
・裾を広げること
ということは、一歩間違うと「質を下げること」につながってしまう可能性があります。
美術→アートの広まり方は、多くの人が美術に触れる機会、きっかけを与えることに非常に大きな効果があったはずです。ですが「知識やリテラシーというものが本来必要だった学問だった美術」というものが、知識がない多くの人々に広まることで、間違った広まり方もしたことは事実だと思います。
なので個人個人が適当に描いた絵を持ってして「これが私のart(アート)です」って言っちゃうことが積み重なった結果が今の現状かなと思います。すごいねーいいart(アート)だねー!っていう人もたくさんいるから余計に加速します。
一番いいことというのは、「正しい知識を持ってして広める」ということに尽きると思いますが、果たしてそれが可能なのかというところに議論がいくのかなと思います。
詳しくないのであれですが、例えば歌舞伎っていうのは個人でできるものではないし、お家元というか本家があって、って色々超えなきゃいけないハードルがあるのも確か。なので、海老蔵さんがいろんな広め方をしたとしても、個人個人が自分の歌舞伎を始めることはないだろうし。なので、少し敷居を下げたバージョンを用意して、歌舞伎に触れやすくしつつ、本物をすぐ横に用意してそちらにも興味を持たせる。という図をうまくできている歌舞伎と海老蔵さんの活動はまさに理想系なのかなと思いました。しかも海老蔵さんって本家のトップの人なわけで、この方が表に立ってやっていることの付加価値というのも忘れてはいけません。
じゃぁバレエは、例えばピアノは、バイオリンは?とかってなってくると、やはりそこらへんのハードルが少し下がるので、独学でやる人もいれば、個人でレッスンを始める人も、それを受講する人もいます。もちろんYoutuberもいますね。
そういうそれぞれの個人個人の活動の中で、それぞれが「少しハードルを下げて」「少し敷居を下げて」「少し分かりやすい形で」が展開されていくと、いつの間にか「少し質を下げたもの」に成り代わっていく可能性が出てきます。
ヒューマさんが指摘したかった部分の本質の部分はそういうことなのかなと思います。
どっちが正しいのかはわからないけれど
未来のことはわからないし、どっちに転んだとしてもどっちにもきっと利点はあるはずなので、どっちが正しいのかは、どこの観点から見るのかということで大きく変化すると思います。
間違った広まり方をしたアートという存在は、アートという新しいものとしての価値を持ち始めています。それがジャパニーズアートだとして価値を持つこともあります。
プレイヤーやそれに関わる絶対数が増えたことで、文化を守ることにもなるし、進めることにもなる。この「絶対数」を増やすということは大きな可能性を秘めているでしょう。
ただ別の角度で言えば、繰り返しになるけれど、間違った広まり方をすることで、「何が本物なのか」ということがわからなくなり、「何が本物なのか」をそもそも考えることもできない人ばかりになったり、行きすぎた結果何の知識もないまま「これが(アート)が本物だ」って言っちゃう人も出てきているのが、アート界隈の現状です。
これが根深くて、このスパイラルがアートリテラシーが低い日本を生んでしまいます。そしてそれは明治から続いている根深いものだったりするので、大人たちももちろん間違ったものを子供達に伝えてしまいます。話を掘り続けるとこれは、教育現場にも言えるし、文部科学省にも…っていう感じで続く話だともいます。
どうした方がいいなんてことは言えませんが、まだ絵画やアートの現状とは違い、まだこうなっていないジャンルの芸術が、正しい形で広まって、正しい形で文化成長をしていくことができればいいなと、心の底から思います。
Masaki Hagino
Contemporary painting artist based and work in Amsterdam and Cologne.
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