【美術史解説】セザンヌの林檎から振り返る絵画の空間表現

【美術史解説】セザンヌの林檎から振り返る絵画の空間表現

今回は美術史の一ページを解説していこうと思います。絵画にとっては、空間表現が非常に重要。
私の作品のコンセプトの中心は、「空間表現」というものが非常に大きな部分を占めています。現在はそれに脳科学や心理学を応用して、「主観性・認識性」と組み合わせている状態です。空間表現を始めるようになったきっかけは、2010年頃、アメリカ留学から帰ってきて、美術史を勉強するようになった時に、こんなポール・セザンヌの一言を見つけたことがきっかけでした。(今手元に日本語の本がないので意味だけざっくりというと、)

画家は静物を、例えばコップの縁を楕円で描くが、コップの縁は正円であって、楕円ではない。
つまり画家たちはずっと分かっていて、嘘を描き続けている。

当時は写実主義から、印象派が台頭してきた時代。見たものをどう描くかということにまだフォーカスを当てている時代に、見えているものそのものに疑問を投げかけた人物です。今回はそんなセザンヌの空間表現について。彼が何に対して「嘘」と言ったのかを見ていこうと思います。

と、その前にざっくりと絵画を通して見た美術史の流れをおさらい。

 

印象派までの絵画

この記事で、写実主義のこととミレーについて少し取り挙げていますが、まずは印象派の前後の美術史について少し知っておく必要があります。遡ると印象派の前は写実主義(レアリズム)、その前は新古典主義とロマン主義、その前はバロック・ロココなどになります。絵画にとっての時代の流れを話をざっくりと解説。特に描写の「真実性」を観点に見てみましょう。

ルネサンス(1300年前後頃〜
ダヴィンチについての記事で、ルネサンスについて触れましたが、最初は識字率が低い世界で、聖書が読めない人にキリスト教の布教のため、聖書の内容を描くことが始まりました。当時は宗教が力を持っていた時代。絵画の技法も成熟してきた時代です。神々を描くわけですから、もう完璧な肉体美で描かれています。つまり別にそれを見て書いたわけでもないので(神々なので)、描写の真実性について言うと「嘘だらけ」の構成ですね。なぜならば内容を伝えることがメインの、道具としての絵画だからです。さらに言えば偶像崇拝は禁止で、上の理由の為の特別アイデアなので。

バロック絵画・ロココ絵画(1500年頃〜1700年頃〜)
ギリシャ神話などを題材にすることもまだまだありましたが、どんどん貴族が世界を台頭するようになったこともあって、宗教中心の絵画から、貴族の絵画に変わっていきます。劇場の一コマのようなドラマチックなシーンだったり、劇的なアングルやライティング。優美さや官能的な描写が好まれるようになります。貴族の依頼で描くことがメインだった画家たちは、もちろん貴族を美しく描く必要があるので、まだまだ嘘ばっかりの装飾や、身体の構造だったりがあります。まだ天使とか宮廷に飛んでます。

新古典主義(1700年頃から)
バロック・ロココのアンチテーゼとして、もう一回古典的なちゃんとした絵画を見直そう?と始まったムーブメントです。装飾や劇的な描写は減って、解剖学的なデッサン力などを求めていきます。この辺りから見えるものをいかに丁寧に描くのかということ、つまり「写実性」という考えが広まっていきます。アングルの『グランド・オダリスク』があんなにも素晴らしい絵画なのに、背中が長いということで大批判を浴びたことは、この時代の画家たちが正確性を重要視していたことを裏付けていますね。

Jean Auguste Dominique Ingres, La Grande Odalisque, 1814.jpg
リンク
Jean Auguste Dominique Ingres, La Grande Odalisque, 1814

ロマン主義(1700年後半から1800年前半)
よく内容の部分で新古典主義と対立的に見られたムーブメントです。画家それぞれの感情や思想、個性などが描かれるようになった時代です。これまで宗教、貴族、古典と内容が決められていた主題を無視した初めての時代で、現代絵画の始まりになったような時代と言えます。よってかなり自由な構図やテーマ、シーンが多く、写実的とは言い難い描写も多いです。ただ人物などのデッサン性は優れており、絵画としての「クオリティ」の部分は非常に高いと言えます。

写実主義(1800年頃から)
「なんか今までいろんなテーマとかで、美化したり、ドラマチックに誇張したり、いろいろあったけど、そんなんやめて現実そのまま描こう」となったのが写実主義。「見たまま」を丁寧に描いているわけなので、デッサン性ももちろん優れていますが、デッサン性と言う意味での「写実」という意味合いよりも、内容として「美化しない、現実そのまま」を描こうという、内容の写実を優先した時代です。ただこの19世記にに発明された写真の技術が爆速で進化したことによって、肖像画家の立ち位置が「肖像写真家」に奪われていってしまいました。

 

さて、見えるものを瞬間に、完璧にコピーできちゃう写真技術が生まれてきた結果、
画家たちは今後どこに向かえばよいのか…??

はい、ここまでが今回の前提です。
おさらいすると、
聖書の内容を描かないといけないルネサンス
貴族を豪華に描かないといけないロココ・バロック
いや、やっぱり古典に忠実になろうとした新古典主義
一方、思想、感情とか自由に描いちゃおうとしたロマン派
現実そのまま美化せずに描こうとした写実主義

描写の真実性・デッサン性・写実性という言葉はいろいろ含まれています。内容の面なのか、場面を作る構成の面なのかetc.
これはなにがその時代にとっての「真実なのか」という命題が含まれているから幅が広がってしまいます。

ではここで写真技術にぶつかった画家たちが取った次の選択肢は?

印象派からの絵画

後に印象派と呼ばれる画家たちは、絵画を次の時代に運ぶために、いろいろと新しい要素を探しました。例えば写真というのは一瞬を切り取るものですが、人間が見ている世界は、常に「動的」です。動画が誕生するのはまだまだ先の話なので、印象派ではそういった水面の輝きとか、風の描写や、木々が揺れる様子などを取り入れるようになりました。空気感やテイスト、雰囲気を追い求め、そのため新しいタッチが生まれたりもします。色の研究をして、人間の目で、脳で見ているもっと鮮やかな世界を絵画に取り入れようとしたり。これまでの絵画とは打って変わって、デッサン性とか遠近法とかをもう無視して、感覚的に「印象的な」絵画を描き始めました。この印象派の「感覚的な」絵画が今もなお日本で人気であり、日本で「アートは感性」みたいな認識を植え付けているように思います。ちなみにジャポニスムという日本の絵画も、同じくフランスに上陸し、評判を得るようになってきた時代です。ゴッホが浮世絵に影響を受けていたのは有名な話ですね。ロートレックやマネも同じように、画面枠で物体を切り取るような構図を取ったり、手前と奥の遠近感ではなく、上下や斜めの遠近法を使うのは日本絵画の特徴でもありました。躍動感を付け加えるために、描ききらない(描き残し)があったり。いろいろな技法や新しい構図、新しい絵画的なテクニックがどんどんと生まれます。

上の箇条書きに付け加えるように書くとしたら、印象派の絵画は

人間の五感や感性などのフィルターを通した世界観を描く時代

でした。
ここで大切なのは印象派を含むここまでの絵画は、人間の目で見た世界を元に描かれているという事です。それぞれの時代で描写の真実性についての信念の差はあったとしても、元に描かれている人物や静物たちは、ある程度は「モチーフを見ながら」描かれたものです。

そしてキュビズムに進むこのあと、セザンヌとピカソたちが考えた次の絵画は
「人間の目を通さない、世界そのもの」をどう描くのかということでした。

長くなりましたが、やっと本編へ。

まずは簡単にセザンヌの人物紹介

のちに「近代絵画の父」なんて呼ばれるポール・セザンヌPaul Cézanne, 1839-1906)はフランスの画家です。なぜ父と呼ばれたかというと、印象派のメンバー、ピサロ、ルノワール、モネなどのメンバーと親交がありました。よくセザンヌのアトリエに訪ねてきては、作品談議をしていたのだとか。印象派というのは、のちに説明をしますが、みなさんもよくご存知のモネを筆頭とする錚々たるメンバーが集まって、展覧会「印象派展」を始めたことをきっかけに活動して行ったムーブメントでした。ですがセザンヌはその印象派展に二度参加をするも、評判はよくなく、パリから故郷の南仏エクス・アン・プロバンスに移住し、そしてのちに後期印象派と属され、あのピカソに影響を与え、キュビズムの走りともなる独自の空間表現を模索していきます。

セザンヌの空間表現

先に答えを書いてしまうと、セザンヌが行った事は、数百年前から続いたレオナルド・ダ・ヴィンチが作り上げた「一点透視法からの逸脱」です。遠近感というのは、わかりやすく言えば人間の目が起こしている錯覚です。手前のものが大きく見えて、遠くのものが小さく見えるというのは、観測者がいての話です。冒頭に挙げたセザンヌの言葉も、人間の視点が存在するので、コップの縁が正円から楕円に変形します。デッサン性というのは、「人間の目に映る(人間が認識する)物体を正確に平面に再現する」ことを指します。
ということで、セザンヌが試みたのは「多点透視法」です。テーブルは上から見て描いて、ジャーは低い視点から描いて、これは右から、これは左から.. なので陰影法も複雑なものになっているのが見て取れます。

 

Nature morte aux pommes et aux oranges, par Paul Cézanne.jpg
ポール・セザンヌ – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる
『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900

 

Paul Cézanne, The Basket of Apples.jpg
Paul Cézanne, The Basket of Apples, 1895 リンク

 

セザンヌの林檎やコップ、ジャーをモチーフにした作品はいくつかあります。
上の作品では、真ん中の器(なんて名前だっけ)は、人の身長ほどの視点からのパースで描かれていますが、その左下のお皿はかなり高い視点で描かれているのがわかります。同じようにそれらが置かれているテーブルもかなり上からの視点なので、全体を見ると、真ん中の器やジャーが滑り落ちてしまうほどの斜面になっているのがわかります。
下の作品では、机の右側と左側の線の高さが一致しないのが見て取れると思います。つまり描いている視点が違うということですね。

このあとキュビズムが始まっていきますが、セザンヌのピカソたちがやる事との大きな違いは、多点透視法でずれた描画をうまく繋げて、歪んだ絵にならないように再構築を心がけたことです。この部分が後にピカソに「そうあるべきではない」とアンチテーゼを取られ、ピカソはキュビズムをさらに展開していきます。セザンヌはこの布や物体をうまく使い、視点の歪みを隠しているのが見て取れますね。下の絵では机の端の線が、物体で隠されているのがよくわかると思います。
キュビズムの観点から見ると、「セザンヌ的キュビズム」「分析的キュビズム」「総合的キュビズム」と、三段階に分けられたりもして、世界を分析・解体・構築していくことでさらに複雑化していきますが、話がどんどん伸びていってしまうので、今回の記事ではキュビズムまで全部解説はやめておきましょう。

 

絵画の空間表現について

絵画というのは、平面の上に立体の世界を描いていて、観察者は中の世界を立体だとちゃんと理解できています。それはなんでかと言えば、空間表現が平面上で行われているからです。こうしてルネサンスからの絵画を見てみると、空間表現においての”写実”は大きく変容していることが分かります。中身は何を描いていたのか、それにおいて外から何を求められていたのか。アンチテーゼがあってそれぞれの時代で、描いている”写実”の内容は変わりますが、それぞれの真実を描いてきました。

このあと、DADAがあって、シュールレアリズムが来ますが、精神世界での写実世界を画家たちは表現していくことになります。同時期には抽象主義や表現主義もあったりします。美術史をこうして流れで見てみると、絵画が何をしなければならないか、という命題に画家たちは常に向き合っていることが見て取れます。
セザンヌが行ったことは、美術史の中で非常に大きなことだったと思います。数百年続いた一点透視法からの逸脱と、「世界」の捉え方は非常に新しいものでした。

私が学部生の頃に出会ったのが、このセザンヌの作品についてで、卒論の研究のメインだったのがこの辺りでした。このあとさらにホックニー、マグリットと、デュシャン辺りを追加で研究した形です。
ドイツでDiplomをやっていたときの研究(修士論文)は空間表現に美学を取り入れて(ヒュームとカント)、そして現在は脳科学を足して「主観性」についての制作研究を行っています。
需要があれば自分の研究についても解説しますね。

 

 

ということで今回はセザンヌをベースに、絵画の空間表現についてまとめてみました。
本当はこのままモランディと、キリコまでやっちゃおうかと思ったのですが、それこそ論文的なアプローチになってしまうので、ここで区切ろうと思います。