作家活動における分析力と行動力の話
いくつかいただく質問の中でも、ずっとある質問で
・作品を売ろうとしているけど売れない
・海外でどうやったら活動できるのか
・賞が取りたいけれど取れない
・助成金が欲しい
という内容が非常に多いです。このブログの中でも結構いろいろと話してきたことなので、今回は改めてもう一度まとめてみようと思います。
それぞれの細かい話は過去の記事を探してもらえばもっと詳しくダラダラと書いてあると思うので、お時間がある方は探してみてください。
自分のやりたいこと、
目指していることは何なのかを分析をしてみる。
まず相談を受ける方の圧倒的に共通している部分があります。それが自分の分析があんまり得意ではないということ。これまで私自身が注意して、分析をして行動してきたことを元に簡単な分析に必要な項目を挙げてみます。出来るだけ細かく説明してみます。
繰り返しになっていますが、世間一般で認識されている「アート」というものは、4種類に分類できるかなと思っています。
技法や画材が油絵だからアートとかそういうことは一切なく、内容の部分での話なので、ゆっくりと何に当てはまるのかを考えてみてください。
自分の作品のスタイルについて
- 「学問的」な新しさを求める美術/ARTである。(コンテンポラリーアートとも言えるかも)
このブログでは多く説明していますが、美術としての新しい価値を探している作品。例えば学術的な研究の上に成り立っていることを一つの条件にしてみてもいいかも知れません。自分の作品のコンセプトなどについて、技法の説明だけではない内容の部分で研究論文が30枚くらいは書けるのか?というあたりを考えてみるといいかも。世界中の美術の数百年の歴史を見て、自分の作品に新しい価値を見出せるかどうか。例えば『カテランのバナナ』(解説記事)の作品の内容を咀嚼できるかどうか。形態は違うにしても彼のような作品が現代アートの新しい価値で、それを追っているかどうか。 - ある種「継続的」な芸術作品である。(非コンテンポラリー系)
絵画で言えば、「上手いか下手か」の判断ができるような作品が当てはまりやすいと思います。これまで多くの人々が作ってきた形態の作品を、自分のテイストで作っているような作品形態。上の分野とは少し別で、コンセプトな学問的な価値よりも、上手いかどうか正解がある上で判断ができるような作品。例で言うと、日本画などの伝統的なもの、人物画や風景画、花などの静物画が多い芸術作品。わかりやすく言うと世間一般で「アート」として多く認識されている作品。コンテンポラリー系ではない、例えば二科展とか日展国展とかに出品されているような作品群を想像するとわかりやすいかも。多分日本では多くの画家がこの中に分類されてると思います。 - グッズや雑貨や家具の延長に近い芸術作品である。
これはわかりやすくと、おしゃれなものだったり、センスがいい!と評価されてるような作品。主にグラフィックやイラストレーション系に分類されてもいいのかなと思います。アナログデジタルはどちらでもいいですが、グッズ販売として展開が予想されているような作品が該当しやすいかなと思います。上の②よりも、専門的な上手さなどを問われることはなく、「テイスト」「センス」「個性的かどうか」が大事になっているような作品。 - デザインの範囲内の芸術作品である。
例えば2Dで言えば、ポスターとか、タイポグラフィとかグラフィックデザインとして展開されているもの。アートとは少しベクトルが違うのですが、中にはアート的な表現を持っているものも含まれるので、判断が難しくなっていることも。
自分が目指すベクトルについて(上記の選択肢と連動しています)
- 「学問的な」美術としての新しい価値を追うスタイル。
極端なことを言うと、誰かの手に渡ることや、売ることを目的としていなくて、美術としての新しい価値を追うスタイル。最近ではビデオ系やインスタレーション系などが多いので、そういうタイプを想像するとわかりやすいかも知れません。一見すると意味がわからない作品も多いけれど、美術史の長い歴史の線上に新しく立つかどうかを目指すような作品。 - コンセプト内容よりも「表現力」といった、技術的な進歩や自分のテイストを探し、それを追求するというスタイル。
日本的な「アーティスト」に多いベクトルだと思います。自分の個性やテイストを研ぎ進め、自分だけの自分ならではの作品を作ろうとしているスタイル。上記①と大きく違うのは、学問的な研究をベースとしているかどうかが、大きな分岐点になるのかなと思います。 - 作品を商品として、売れるかどうかを目指しているスタイル。
①も②も、それぞれの目指す「良い作品」を作ることを重視していて、売ることが最大の目的ではありません。ここでは作品を売るということが大きな目的になっているので、例えば色違いやサイズ違いで量産が行われていたり、印刷できるような媒体で作品を量産して売っていくということを目指していることも考えられます。もしくは色を使って抽象画を描き、家具の一部として売るということのみを考えていて、あまり美術がどうだとかそういったことをメインに考えていない方向性もあると思います。雑貨や家具に近いということは「多くの人の手に届けたい」という気持ちがある方。 - クライアントがいて、注文を受けて制作していくスタイル。
わかりやすく言えばデザインのひとつの形になるのかなと思います。③と似ていますが、大きく違う点はやはり相手がすでに存在して、例えば打ち合わせがあって、それに沿った作品を作るということ。自分の作品の内容や形をクライアントの意向に沿った形に変化させるということですね。
という感じでまとめてみました。上記二つのカテゴリーを連動させているので、あまり二つに分けた意味はなくなってしまったのですが…
こうして見ると、①と②、③と④はそれぞれ似ているけれど違う、というような印象を受けました。
質問をいただく中で、まずご本人が自分の作品のテイストと、目指すものを分析できていない方が多いので、自分が何を作りたくて、どういう活動をしていきたいのかということを定められていないことが大きな問題だと思います。まずは上の二つのカテゴリにどれとどれが当てはまるのかを考えてみてください。
自分のやりたいことと目指すことが
同じ方向を向いているのかどうかを考えてみる
さて、分析をしてみるとわかると思いますが、一番いいのは連動した番号(①ー①とか②−②)を選べているかどうかが重要ですね。これは極端な例ですが、例えば自分の作品がインスタレーションなのに量産するのは難しいでしょう?ということです。実際にここまで極端でなくとも、自分の目の前にある作品とやりたいことが一致していないように見える方は結構多いと思います。特にこのブログでは大きなトピックとして扱っているのですが、①と②の区別が付いていないため苦しんでいる人が多いと思います。これはなんどもこのブログで取り上げたのですが、日本では特に①と②の区別があまりなくどちらも「アート」として扱っているので、ごちゃごちゃになっているパターンです。そして多分日本作家の多く、8割以上は②に該当すると思います。(何がアートで何がそうじゃないかの話参照)
頂く質問で多いのが
②に該当するけれど、①を目指している。というケースです。
もう一度強調して書きますが、
①は歴史的な美術史や現代美術をすべて視野に捉えて「内容的に全く新しいもの」を探していくものです。
②は静物画など例えば絵画としての継続的な枠組みの中で、自分の個性などの「表現の新しさ」を探していくものです。
つまり②でいう「新しさ」は、世界中の数百年の絵画の歴史の中でどう新しいかということを研究された「新しさ」を求めていないことが分かります。ですのでそれを①と誤認してそのベクトルで進んでいくと、壁にぶつかるという現象が起こるのだと思います。
例えば①の中では、例えば絵画で上手いかどうかなんていうことは、もう別に求められていません。例えば静物画や風景画で、「まるで写真のようなくらい上手く描く」ということは素晴らしい技術です。これは②や③の範囲内では、評価も受けられるでしょうし、作品も高額で売れるかも知れません。コンテストによっては最優秀賞も獲れるかも知れません。
ですが①の分野の中では、ほとんど評価されないでしょう。1970年頃にすでに「フォトレアリズム」という流れがアメリカですでに流行っていました。ですので絵画の美術史の中では、2020年にその作品を描いたとしても何も評価されません。
世の中には数多くのコンテストがあるし、美術館も多くの来場者を獲得するために様々な分野の美術を展示します。ですので別に何かを受賞したからといって、どこかの美術館で展示されたからと言って、どちらかに対してどちらかが優れているということではありません。上で参照した別記事にも例をあげていますが、①の世界ではCy Twombly (1928-2011)の作品は評価されても、②の分野では絶対に落書きとしか扱われないでしょう。カテランのバナナだってそう。
なので重要なことは、しっかりと自分のやりたいことや自分の作品と、自分が進んでいく方向を照らし合わせて、マッチしているかを考えていくことです。そしてこれができていないまま行動して悩んでいる人が多いというのがこの記事の本題ですね。
日本で上手く活動できないので
海外で活動をした方が良いのか
質問の中で割と多いのがこれです。海外進出を考えているのだけれど… という内容ですね。
これもいくつかのケースを分けならが話を進めないといけません。
まず前提的な話を先に書いてしまいます。おそらくこの場合の海外というのは欧米諸国のことを指していると思うのですが、欧米だからといって全ての美術のレベルが高いというわけでは全くありません。ドイツで活動していても、趣味の範囲で制作している人はもしかしたら日本よりも人口が多いようにも感じます。それは単純にドイツの方が日本よりもアート業界が盛んだからだと思います。いわゆる「同人系」などのデジタルでイラストを描く人は日本でかなりの人数がいて、興味がある人も多いのは、コミケとかの様子を見てもわかると思いますが、ここで言っているような現代アート業界とは少し別の世界かなと思います。アーティストも少なければ、ギャラリーが少ないし、イベントも少ない。ということで日本ではアートの社会的露出度が、欧米と比べてかなり低い、もしくはかなりハードルが高い上の世界でしか賑わっていないことが、一つの問題として挙げられると思います。
逆に欧米では人々の関心度も、アーティストの地位や人口、ギャラリーの数、どれを取っても日本よりかなり多いでしょう。
「じゃあやっぱり、日本で活動するより、アート業界が活発な欧米で活動した方がいい」
という結論に至るのはわかりますが、果たしてそれが正解なのか。
繰り返しになりますが、日本でアートと大まかに呼ばれている②の分野の作品と、①の学問としての「ART」もしくは現代アートは全くもって別物です。なので②に属している方が、例えばドイツで作家活動をして行くことが、日本に比べて容易になるのかと聞かれれば、絶対的にNOです。
理由は大きく分けて2つです。
- 欧米は①に属する現代アート作品の露出が多く、レベルが高い。
上に書いたように「アート業界が活発な欧米」ということを裏を返せば、それだけレベルが高く、それだけ業界の人口が多いわけです。ギャラリーは契約アーティストを抱える形がほとんどですので、入れ替わりも少なく、新規アーティストを常に探しているわけではありません。そして上でも言いましたが②に属する作品は、①に属する業界ではあまり評価を受けません。上手い絵を持ってこられても、「うまいね」で終わります。そういうわけでいきなり欧米のギャラリーを探し、こちらで活動を開始するのは無謀と言わざるを得ません。 なので私は時間をかけてこちらで評価を受けれる方法を模索するために、ドイツの美大ディプロマのために2年準備して、5年大学に通いました。7、8年掛けてもまだまだの場所。 - 欧米で②に属する世界で戦う難しさ。
とは言いましたが、もちろん欧米にも②に属する世界をアートとして捉えていない人がいないわけではありません。教育や業界の露出度もあて、日本人の感覚より少し①と②の区別がついているかなとは思います。②の業界に属するギャラリーだってもちろんたくさんあります。作品の単価は①のギャラリーに比べて下がりますし、アートフェアのレベルや価格帯だって様々です。ただここで忘れてはいけないのが、島国の日本と欧州、アメリカの様々な状況の差です。英語が通じるし、EU加盟国間ではビザがいらないし、税金も掛からないし。ということで画家、イラストレーター、デザイナー、クリエイターの人口が他の国からの移民で既にかなり多く飽和状態です。ドイツでは数十万人のうち、ちゃんと活動できている作家は上位2%だと言われるほどです。多くて難しいからやめたほうがいいなんてことは言うつもりはありません。ただ、例えばこちらに住むことのリスク、ビザの内容(アーティストビザを取ったらそれ以外の所得はほとんど認められないとか)。 住まないとしたら、展示の度の渡航費、作品輸送費。こちらのあまり有名ではないようなギャラリーと仕事をして、様々なことを天秤にかけるほどの価値があるのか?ということをもう一度分析してほしいなと思います。
結論として、「難しいからやめておけ」ということが言いたい記事ではありません。難しい理由を今ここで思いつく限り挙げるので、ご自身の作品がどういうものなのか、欧米で活動するメリットや、日本で活動できない理由など、多角的な分析力をつけて打破していってください。ということを伝えたいんです。
ドイツで知り合った在独の日本人作家で、結局うまく活動できなくてドイツを去った人がいたり、別のことで生計を立てていたり、いろんな人に出会いました。多くの話を聞いていると思うことは、「そんなこと絶対にもっと早い段階で解析できたんじゃないか」ということです。24歳の頃にドイツに来たあの頃の自分にも同じことが言えます。
ドイツのアートフェア等で知り合った、私の記事を読んだと声をかけて頂いた、日本から展示のために来た作家の方も多くいます。渡航費や滞在費、展示費を考えるとかなりの出費だと思います。「海外でチャレンジをした」と映るかも知れません。ですが、分析も解析もせず何の成果もなければ、それは「別の国で展示をした」ということに止まるだけになると思います。それはお金さえ払えばどんな人だって可能です。じゃあなにをしに海外で展示をしに来たのかということです。外国人に作品を売りたいんだったら、日本に観光に来ている外国人に売れば済む話です。「他の国で展示をする」ということがキャリアに必要?ヨーロッパだと国境を徒歩でもまたぐだけで、「他の国」なわけですから、それがそんなにも価値があるのでしょうか。あるとしたらどこに付加価値が付くのでしょうか。
日本で聞くセリフがあります。
「目の肥えた外国人達に、評価を受けた」「見知らぬ土地で、大盛況のうちに展示が終わった」
外国人が全員、美術を判断できる目を持っていると思いますか?
むしろ見知らぬ土地だからこそ、物珍しがって最初は人が寄って来るんじゃないのか?欧米人はリップサービスがお上手です。オープニングパーティで盛況だったのはギャラリーや、アートフェアであって、別に自分の作品が盛況だったかどうかの判断にはなりにくいと思います。
なので、行けばなんとかなると期待をしてなんでもやってみることは確かに大切だと思いますが、その前に現地状況を分析してから取捨選択を行うことで、さらにその収穫量とその確率を増やすことができるはずです。
もう少し踏み込んで
具体的なアイデアを考えてみる
ここまでいろんな人に当てはまるように、分析力と行動についての大まかな話をしてきました。最後に何かヒントになればいいなと思うので、私が今パッと思いつく内容で、具体的なアイデアを考えてみます。長々と書いてしまうと思うので、先に結論として、この記事全体で伝えたかったことを書きますと、
多角的に、多様的に分析して、計画を立てて
目的を持って活動すれば、絶対に答えは見つかると思います。
自分の作品がどんな作品なのか
それはどんな人に届くのか
自分の目指すゴールはどこにあるのか
そのゴールにたどり着くのは逆算的に、どうすればいいのか
何年くらいかかるものなのか
そしてどこの国で活動するのがいいのか
成功する人と、成功できなかった人との違いは、作品の良し悪し以前に
この分析と解析がうまくできていたかどうか、そして計画を立てられていたかどうかの違いです。
結果的には作品の良し悪しに収束するのは、この業界は特にそうかも知れません。ですがその部分で葛藤して、苦労しているのは絶対に幸せな人生だと思います。そんなのどのレベルに行ったってみんなそれで苦しんでいるに決まっています。問題なのはそれ以前の部分で悩む場合なはずです。そしてその悩む原因が、分析不足と計画不足にある、ということです。
今はオンラインで作品を販売する、プラットフォームも増えて来ました。ここ最近SNS等で露出度が高いのはSINGULART(https://www.singulart.com/)だったりは手が出やすいかも知れませんね。もちろん有名どころだとARTSY(https://www.artsy.net/)だったり。コロナの影響で有名なアートフェアもオンライン販売で済ましたところもあります。作品をもっと多くの人に、世界中の人にマーケットを広げたいという、販売を視野に入れている方はもっとSNSをうまく利用すると良いと思います。Instagramの人気で作品販売ができることも結構多いようです。
そうすれば作品は売れるまでは手元に置いておけるし、渡航費も展示費用も無駄に掛からないですね。
アートフェアにだけフォーカスしないで、ギャラリーに事前に個人的に連絡をしてアポを取ってアプローチすることも簡単にできる時代です。インターネットを使えばギャラリーの活動や、契約アーティストの様子だって何でもわかります。数日間しかなく、さらに参加アーティストが数百数千いるようなアートフェアに出て、声がかかるのを待つ、作品が売れるのを待つよりは絶対に建設的だと思います。
コンクールにも種類やレベルがあります。どんなものが自分に合っているのか、合ってなくても手当たり次第に送ってみるのか。英語で検索をしてみるだけで、応募できるコンクールの幅は何十倍に増えるはずです。日本だけで完結する必要は全くありません。むしろインターネット上での書類、作品データ提出で第一審査が進むものが多い昨今。ということは、現地に行って作品を持っていく手間と費用を考えればお得でしかないはずです。ノミネートされてから作品展示に話が進むものがほとんどなはずですから、まずは応募して、ノミネートされてからいろんなことを考えてみればいいと思います。
日本でうまく活動できない。だからアートが盛んな海外でやってみた方がチャンスがある。
という考え方は、本当に単純でなんの根拠もない浅はかな考え方だと思います。誰が言ったかわかんないこのセリフ。
日本で活動できないのはなぜなのか。アートが盛んってどういう意味か。海外ってどこの国を指すのか。盛んだった場合そこに自分が参入する隙はあるのか?
考えて、分析できることは山ほどあります。
ただ、考えすぎないで欲しいということは、「失敗した時のリスク」です。チャレンジっていうことは常にそういうリスクを抱えているもので、あまり先すぎる将来に不安になってチャレンジを諦めるのはもったいないと思います。
私は、人生は全部「取捨選択」の繰り返しの上で成り立っていると思っています。後悔しない選択というのは、自分の過去未来の「取捨選択」に後悔をしないということだと思います。それはつまり自分の選択に合理的な言い訳をしないことだと思います。
そのためには、様々なことをちゃんと分析をして出来上がった自分の判断に納得をすればいいのではないかなと思っています。
この記事を書くのにいろいろあって1ヶ月くらいかかってしまいました。そのため支離滅裂で非常に読みにくいなと思うのですが、ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。なにかみなさんの次の判断に役立つ内容が少しでもここにあったら嬉しく思います。
Masaki Hagino
Web: http://masakihagino.com
Instagram: @masakihagino_art
twitter: @masakihaginoart
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