【あつ森】つねきちの美術品を解説 part 2 – レオナルド・ダ・ヴィンチ
結局全然つねきちに出会えておらず、絵画をゲーム内では集められておりません、Masakiです。
今回もNintedo Switchのゲーム「あつまれどうぶつの森」(Animal Crossing: New Horizons)に登場する美術品を、美術史をもとに解説していきます。今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの3つの作品をまとめて紹介します。
『ウィトルウィウス的人体図』1487年頃 -Leonardo da Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ) (アカデミックな絵画)
『白貂を抱く貴婦人(しろてんをだくきふじん)』1490年頃 - Leonardo da Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ) (たおやかなめいが)
『モナ・リザ』1503年頃- Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ) (ゆうめいなめいが)
の3作品です。かなり後ろの方になるとは思いますが、ひとつずつ解説を進めて行きますね。
(正直に言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチを解説するのはめちゃめちゃ怖いです。研究が今もなおされている画家で、彼の作品に込められている膨大な研究と実験は、専門家でもいろんな見解があり謎が多いものだからです。嘘の情報は伝えないつもりですが、専門的に正しくない書き方をしてしまった場合には、すぐに訂正しますのでコメント欄で教えてください。)
レオナルド・ダ・ヴィンチという天才
後に、「万能の天才」と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチ。日本では「ダ・ヴィンチ」として親しみがありますが、美術史の中ではレオナルドと呼ぶようになりつつあります。なんでかというと、ダ・ヴィンチという名前はヨーロッパでたまにある苗字の取り方なんですが、「ヴィンチ村生まれの」という意味になるのだとか。
絵画の解説を進めたいので、人物史の部分はざっくりといきますね。 レオナルドは美術だけではなく、解剖学、天文学、気象学、物理学、建築学、地学、力学などなど様々な分野で活躍をしていた天才の中の天才でした。レオナルドの代表作『受胎告知』『最後の晩餐』などでも知られるように、レオナルドの絵画で共通している特質な点は、彼の完璧主義な部分と多方面な知識によって出来上がる、理論的な絵画だったことです。(これだけでも覚えて帰ってください。)今となっては絵画を描く上で「こうしたらこう見える」とか、「人間はこういう構造をしているからこう描く」とかそういう絵画理論を初めて実践的に行った人だったと言っても過言ではありません。『モナ・リザ』にも見られる、実際には存在しないはずの「輪郭線」を描かないフスマート技法や、『最後の晩餐』にはっきりと見られる、消失点に向かって遠近線が収束される一点透視法、奥の山などが霞んで見えるように描く空気遠近法など、現代の絵画では当然となっているような描画技法を積極的に使用した人でもあります。
The Baptism of Christ (1472–1475) by Verrocchio and Leonardo,
By Andrea Verrocchio, Public Domain, Link
14歳で、フィレンツェで有名な彫刻家ヴェロッキオに弟子入りをします。その際に二人で共同制作を行った『キリストの洗礼』(上の作品)は高い評価を受けることになりました。ヴェロッキオはレオナルドのあまりに卓越した才能に、この絵画の完成後、自信を失くし自らの筆を折り、その後絵画を描くことはなかったとさえ言われています。
その後レオナルドは様々な貴族に認められパトロンについてもらうことになり、教会や貴族からの依頼によって作品を残していきます。ですがレオナルドは自分の作品にサインを残さなかったことが原因で、レオナルドの絵画作品だと分かっているものは(諸説ありますが)13点から約20作品ほどだけとなっています。完璧主義だったこともあって、一つの依頼に何年もかけるほどの遅筆と研究量。ドローイングは約900点ほど残っているとされており、そのドローイングでさえも作品としての価値があると言われれています。
ルネサンスという時代
美術史を知るためには、その前後の時代について知る必要があります。基本的に美術史の世界は「アンチテーゼ」が基本になっています。それまでの時代に対して、「いや違う!これが正しいんだ!」ということが批判され評価され、新しい時代が生まれていくということです。
ルネサンス以前の時代は、12世紀後半からゴシックの時代です。建築が中心だった美術形態から絵画が注目されていきます。その中でもイタリアではフィレンツェ派とシエナ派と呼ばれる大きな派閥が存在していました。その中でも有名な画家の一人がジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone、1267-1337)です。その後のルネサンスに影響を与えた、西洋絵画の父とまで言われる画家です。
その言葉に「再生」、そして古代ギリシャ、ローマ文化の「文芸復興」という意味を持つ、ルネサンスは14世紀イタリア・フィレンツェで栄えた時代で、15-16世紀前半に最盛したと言われています。この時代の三大巨匠と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロこそがこの盛期ルネサンスを代表する画家です。ルネサンスは絵画だけでなく建築などにも見られる時代の流れですが、絵画において古代ギリシャ・ローマ文化の文芸復興という意味は、ヒューマニズムにあります。見えたままに人々を描く写実性を通して、感情さえも見て取れるような自然のままに描くということを意識しました。今では当然のことのように見えますが、当時はキリスト教が世界の中心だった時代。キリスト教絵画では「神はこう描かれなければならない」というお決まりの絶対ルールがありました。キリスト教絵画の発信は、識字率が低かった当時、布教のためにと考えられた一つのアイデアです。「文字が読めない人にも、キリスト教を伝えよう」ということで、絵を使うことが始まりです。ですが一神教であるため、偶像崇拝は禁止。(つまり神様の人形を作って、その人形を神だと思って祈るのはダメ。神は天に一人だけ、ということ)そんな厳しいルールがあったのですが、この絵画作戦は布教の為に除外しましょう、ですので絵画の中の神はあんまり本物っぽく描かなくていい。内容を伝える為だけの絵画だから。ということがルネサンス以前には当然のルールでした。
荘厳の聖母, (1310年頃), 板にテンペラ, 325cm x 204cm, ウフィツィ美術館 By Giotto di Bondone – downloaded file from Wikimedia Commons, Public Domain, Link
ジョットの作品を見てもらうとわかると思いますが、レオナルドの作品に比べて まだまだ顔の描き方に人間味が感じられません。後期ゴシックで、ルネサンスに影響を与えたとされるジョットの作品ですらこのような描き方をしていました。他にも背景の書き込みの無さだったり、顔の大きさがみんなほとんど同じで遠近感が感じられません。
『受胎告知』、1475年 – 1485年、板に油彩とテンペラ 寸法 98 cm × 217 cm ウフィツィ美術館(レオナルド・ダ・ヴィンチ , パブリック・ドメイン, リンク)
そんな150年後、レオナルドが描いているこの最初期の完成作品。背景にはうっすらと空気遠近法が用いられ、建物の線には透視図法。草花やレンガの細かな描写まで描かれている作品です。左手のガブリエルの羽も、鳥の羽を研究して描かれています。
レオナルドが、そしてルネサンスが、いかに同じキリスト教の題材で違う絵画を描いているのかがわかると思います。
ウィトルウィウス的人体図
『ウィトルウィウス的人体図』1487年頃、レオナルド・ダ・ヴィンチ – Leonardo Da Vinci – Photo from www.lucnix.be. 2007-09-08 (photograph). Public domain, Link
さて、話がようやく戻ってきましたが、レオナルドの絵画作品の話。上にも挙げましたが、レオナルドは10数点の絵画の他に約900点のドローイング、スケッチ、メモなどが残されています。この『ウィトルウィウス的人体図』もその中の一つ。英Vitruvian Man (Italian: L’uomo vitruviano ; originally known as Le proporzioni del corpo umano secondo Vitruvio, lit. ‘The proportions of the human body according to Vitruvius’) なぜこのようなタイトルかと言うと、マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ(Marcus Vitruvius Pollio, 紀元前約80-15年頃)というローマ時代の建築家が残した、De Architecturaという本に書かれていた内容を元に視覚化したものが、この人体図です。Wikipediaからの引用ですと、レオナルドはこの中の第3巻1章2節から3節の内容を視覚化しているとされています。
顎から額、髪の生え際までの長さは身長の1/10で、広げた手の手首から中指の先までも同じ長さである。首、肩から髪の生え際までの長さは身長の1/6で、胸の中心から頭頂までの長さは身長の1/4である。顔の長さは、顎先から小鼻までの長さ、小鼻から眉までの長さ、眉から髪の生え際までがいずれも顔の長さの1/3となる。足の長さは身長の1/6、肘から指先まで、胸幅は身長の1/4である。これらの他にも人体は対称的に均整がとれており、この対称性を用いて古代からの画家、彫刻家は後世まで賞賛される作品を創り出すことができた。
人体と同様に神殿も様々な箇所が対称的に均整がとれ、建物全体として調和していることが望ましい。人体の中心は宇宙の中心と同じである。人間が両手両脚を広げて仰向けに横たわり、へそを中心に円を描くと指先とつま先はその円に内接する。さらに円のみならず、この横たわった人体からは正方形を見いだすことも可能である。足裏から頭頂までの長さと、腕を真横に広げた長さは等しく、平面上に完璧な正方形を描くことが出来る。
— The Project Gutenberg eBook of Ten Books on Architecture, by Vitruvius
解剖学にも精通していたレオナルドが、人体を正確に描くということをどれだけ真剣に研究していたのかが伺えるドローイングの一つです。本人にとってはただの研究のメモの1ページに過ぎないのかも知れませんが、このレオナルドがのちの絵画に多大な影響を与えたのは言うまでもありません。
白貂を抱く貴婦人
伊: Dama con l’ermellino、英: Lady with an Ermine 1483-1490年頃 Leonardo da Vinci – Frank Zöllner (2000). Leonardo da Vinci, 1452-1519. Taschen. ISBN 38-22859-79-6, Publiek domein, Koppeling
『白貂を抱く貴婦人』 1483-1490年頃 木版にテンペラと油彩 54.8 x 40.3cm
現在ポーランドの国立美術館所蔵、そしてポーランドの国宝となっているこの作品。このモチーフの女性はCecilia Gallerani。当時レオナルドが貴族画家として仕えていたミランの Ludovico Sforza公爵の妾だった女性です。レオナルドの描いた女性の肖像画はこれの他に3点 『Mona Lisa(モナ・リザ)』『 Ginevra de’ Benci(ジネヴラ・デ・ベンチの肖像)』, 『La belle ferronnière(ミラノの貴婦人の肖像)』があります。レオナルドは生涯こだわって、このように左を向く人体構造を描いていました。
貴族絵画では、その人物の高貴さや裕福さを象徴するようなものが、画面の中で追加で描かれることがあります。この絵ではこの白貂がそうです。この白貂(エゾイタチ、アーミン)とは(オコジョまたはフェレットだったという説がありますが、)当時貴族の間でペットだったり毛皮としても人気が高く上流階級を象徴する動物でした。この時代「冬毛のアーミンは(狩人に捕まって)純白の毛皮を汚されるよりも死を選ぶ。The ermine out of moderation never eats but once a day, and it would rather let itself be captured by hunters than take refuge in a dirty lair, in order not to stain its purity.」と信じられていたため「純潔の象徴」とされていたそう。さらにそういった理由で勲章のエンブレムのシンボルとしても使われていたアーミン勲章(Order of the Ermine)を1488年に王から受勲したLudovico公爵へ向けたものだともされています。またアーミンのギリシャ語が galê (γαλῆ) or galéē (γαλέη) というようで、この女性の苗字のGalleraniの名前とかけていたともされています。さらには、1491年に生まれた男の子がいたのですが、この子供のように大事に抱かれているこのアーミンは、Ceciliaの妊娠を象徴していたのではないかという説も。
今まで述べてきたように、人物画に人間味のあるやわらかな表情に、『モナ・リザ』の右手にも共通するような精密に、そして丁寧に絵が描かれた右手の様子が、レオナルドが研究に研究を重ねて何度も描いている構図だということが見て取れます。
ちなみにレオナルドの油絵作品は、保存状態が悪いものが多く、これまでの歴史の中で修復が何度も行われているものがあります。この絵の背景も同じように状態が悪かった部分を19世紀頃に修復されており、以前はこのように真っ黒な背景ではなかったようです。
モナ・リザ
Mona Lisa(伊: La Gioconda、仏: La Joconde), Door Leonardo da Vinci – Cropped and relevelled from File:Mona Lisa, by Leonardo da Vinci, from C2RMF.jpg. Originally C2RMF: Galerie de tableaux en très haute définition: image page, Publiek domein, Koppeling
『モナ・リザ』 約1503-1517年 ポプラ版に油彩 77 × 53cm
世界で最も有名な絵画、そして世界で最も高額な絵画とも言われる『モナ・リザ』です。パリのルーブル美術館所蔵ですが、フランスの国有財産となっている作品です。(ちなみに唯一『最後の晩餐』だけが「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」として修道院ごと世界遺産に登録されています。)
1911年にルーブル美術館で一度盗難にあったことがあることでも有名。犯人はその2年後、イタリアの美術館に転売しようとしたところで捕まったとか。
1962年の保険金は$100 million(約100億円)。現代に換算すると、約8倍くらいの価値があるとかないとか。(この価値計算ですら諸説あるので、とんでもなく高いなくらいに思っておきましょう)非常に状態保存が難しいことと、一度盗難があり、その後も何度も事件が起きたことから、ルーブルでは大きな防弾ガラスのケースに入れられており、接近して直接間近で見ることはできません。盗作やレプリカも多いことから、ルーブルに飾られているのは実は偽物(贋作)で、だからあまり接近して見せられないためである、とかいう都市伝説も。
モナMonnaとはイタリア語でマドンナMa donnaを省略した言葉で、マイ・レディ みたいなことのようです。なので外から見た場合は「リザ奥さん」といったような意味合いになるそうです。
この『モナ・リザ』はそれはもういろんなところでいろんな内容で研究がたっくさんされています。よって細部に渡り、本当にたくさんの諸説があります。なのではっきりと正しいことはあまりお伝えできません。制作年も一応1503-1517年とされていますが、様々な研究結果があります。実際に10数年かけてレオナルドが描いたと言う人もいれば、4年で描いたと言う人もいます。モデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの奥さんのリザさんという説が有力です。1503年に彼らに生まれた次男の誕生祝いと引っ越し祝いに依頼されたという説があります。このモナリザのタイトルは別名『ラ・ジョコンダ』 確かにレオナルドがリザ・デル・ジョコンドという女性の肖像画を描いていたという記録は残っているらしいのですが、それがルーブル美術館にあるあの作品と一致しているのかは断言できないそうです。同じモチーフで描かれたその肖像画は少なくとも4点存在するそうです。
背景はこの時代の西洋絵画では珍しい空気遠近法が使用されており、ぼんやりと霞んだ背景で奥行きが表現されています。輪郭線を描かずに指で何度も何度もぼかしながら描く、レオナルドのフスマート技法が、モデルの柔らかな肌の質感と表情を作っています。レオナルドの研究が完成されつつあるような、そんな印象を受ける作品です。
というように、当初予定していたより非常に長くなってしまいましたが、ルネサンス、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの解説でした。美術史の本を読みながら加筆していったので、大きな間違いはないと思いたいのですが…
あまり深くはつっこまずにざっくりとした説明を書きましたがいかがでしたでしょうか。このボリュームで残りの作品を全部解説するのか…?と悩んでいますが。自分で説明できるくらい、自分の知識を言語化してもう一度勉強し直したりして、自分にとってもとても勉強になるのでこれからも頑張って続けていけたらなと思います。
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