作品を売るということは作家にとってどういう意味を持つのか
デザイナーであっても、クリエイターであっても、そしてアーティストであっても。物作りをする私たちは、多かれ少なかれ、作ったモノをを売るということで生計を立てています。作品を売ることがもちろんすべてではないとしても。
今回は、前回の記事を踏まえた上で、作品を売るという行為について、考えてみます。
そもそも売るという行為とは
作ったモノに値段をつけ、それを人が買う。ということが作品の売買の形です。ただ作家というのは、生活の基盤を制作行為に置いていることが多く、「売りたいけれど、売り方がわからない」ということをよく耳にします。制作のことに頭がいっぱいになって、苦しんでいる日々を過ごしている中、その次のフェーズにまで意識がいかないことが多いためです。 ただ実際に、作品がどれだけ良くても、作品を売る行為を行わなければ、作品はずっと売れることがないままです。ただアトリエの扉を開けて待っていれば、作品が売れるということではありません。つまり市場に出す行為が必要になります。アート作品で言うと、ギャラリーなどで、展示販売を行うことがメインになります。ここ最近では、インターネット上でポートフォリオサイトが世界中で数多くあり、インターネットで作品の売買を行うということも増えてきています。クリエイター系のサイトは特に多く、簡単に自分だけのページを用意でき、販売を行うことができるようになりました。ギャラリーなどで展示販売を行うことは、かなりハードルの高いことではありますので、そういったオンラインでの売買で、手軽にSNS等を利用して顧客を作り、ブランド力をあげていくことが可能な時代になりました。
値段と価値について
前回の記事で取り上げた作品の価値についてですが、作品の値段は材料費と制作時間に左右されるだけではなく、作家の立ち位置を含めた、作品の価値を直接反映しています。なかなか目に見えにくいこの価値の基準とその決め方ではありますが、確実に存在しているということだけ、なんとなく理解していただければなと思います。やはり市場での相場というものがなんとなくですが、存在しています。この年齢で、とか、あのアートフェアに出てるキャリアがあったり、受賞歴があったりといろいろな要素が含まれています。もちろんサイズや素材に依存する値段ですが、最初はそういったいろんな基準に合わせて値段設定をし、そこから自分のキャリアの成長に合わせて、つまり作家としてのブランド力の向上に沿って、値段の上げていくことがベターな流れかなと思います。現在値段が高い作品は、もともと高額からスタートしたわけではないと言うことです。
もう一つ値段の変動に大きく影響を与えるのは、ギャラリーの存在です。ギャラリー自体が顧客を抱えていることが多いため、アーティストはギャラリーで作品を展示できるということに付随して、「ギャラリーの持っているマーケット力を利用できる」という利点があります。ギャラリーにも作家同様、レベルというものがもちろん存在しています。それによって「あのギャラリーと契約した」ということも作家にとってのキャリアのひとつになります。ギャラリーのレベルによって他の作家の値段との関係もあり、レベルの高いギャラリーと契約すれば、作品の値段が釣り上げられるということもあります。
ですので、ギャラリーの存在はアーティストにとって必要不可欠です。ただ売るだけであれば自分でなんとでもできるでしょうが、アートの世界ではギャラリーの存在価値とアーティストの存在価値は表裏一体です。
売るという行為の必要性と時代性
さて、そもそもですが、「作家は作品を売る必要が果たしてあるのか」という疑問。作品の値段が作品の価値に直結するという話はこれまでにもしてきましたが、それなら値段をつけるだけで、実際に売る必要性にはなりません。つまりその値段に買い手がお金を払う行為、買い手がその作品に、その値段を通した価値を見出すことに意味があることになります。ということは、作品を売る必要性というのは、値段を通して判断される作品の価値を、誰かに見出されること(ギャラリー)、そしてそれを認められる(買い手)という部分に起因すると考えられます。ですが上で挙げたように、自分でサイトを作ったり、ポートフォリオサイトに登録してオンラインで作品を販売する場合、「作品の価値を誰かに見出される」というステップを受けられません。
ギャラリーの存在は、作家から見れば作品を売買してくれるエージェンシーのような存在ですが、買い手から見ると、第三者の証人というポジションを担っています。あのギャラリーが認めたアーティストだという価値が付随するからです。また作品が作家本人が制作したという証明書(複製があるかどうかなど)を発行することも行います。この証明書は買い手にとってはとても重要なもの(いわば血統証みたいなもの)で、すでに有名な若手作家が将来有名になった場合も、すでに有名な作家の作品の場合も、公式な第三者のサイン(ギャラリーまたは美術館)が必要になります。
そういった意味で、グラフィック系(コピーやTシャツ)や、自分の作った小物(アクセサリーなど)の販売を行うサービスがあるサイトなど、近年国内外で有名になりつつありますが、それらで販売されている作品は、ギャラリーや美術館を通して販売されている美術作品に対して、価値の低いものと言わざるを得ません。それらを美術作品と呼ぶか否かについては、また別の議論ですが、部屋に飾られる雑貨としてカテゴライズされてしまうのも、無理はないかなと思われます。
また最近はオンラインギャラリーとして、ギャラリーの形態を取っているが、実店舗(展示スペース)を持たず、オンライン販売のみのギャラリーもあります。作品を実際に見なければ高額の美術作品は難しいという声があるため、レンタルの形式を取り、気に入れば購入に切り替えるというものです。レンタルができるという形態は、例えばオフィスビルなど建物全体に作品を展示をする場合など、定期的に作品を変えたい顧客に適していると言えますね。
果たして売ることがすべてなのか
作家として食べていくために、作品を売るって収益を得ることは必要なことです。ですが作品を販売することが、作家にとってどういう影響をもたらすのかということも考えていかなければなりません。
作品を売ってお金が入るということは、次の作品の財源に繋がりますので、今後の活動費等を捻出するためには、必ずといっていいほど必要なことなのは言うまでもありません。収入が不安定かつ難しい作家人生で、この収入源を確保する問題というのは常につきまといますし、定期的な収入を得るということは多くの作家の目下の目標でもあると思います。作家の収入源は作品販売の他にも、受賞賞金や、助成金などの獲得資金というものが他にも挙げられますが、作品販売よりも場合によってはハードルが高いものになります。「場合によっては」というのは、絵画や彫刻などは個人購入があるでしょうが、例えばインスタレーション系などの制作を主に行なっている作家にとって、作品販売の方がハードルが高くなる可能性があるからです。
生活が厳しく財源難の作家は日本だけではなく世界中で見かけます。そうなるとどうしても「売れやすい作品」を作ってしまうようになる、そんな問題が生じてきます。これは至極当然の流れではありますが、ことアーティストにとってはこれはあまり望ましいものではありません。雑貨やアクセサリーなどを手がけるクリエイターの場合、①よく売れるために、②(周りと差をつけるために)個性のある、クオリティの高い作品を作るという思考順序が当てはまります。しかしアーティストの場合、多くの場合は「美術的価値の追求」など、美術としての価値を追い求めている場合が多いため、①作品の価値を高める②作品を売る=購入という形で評価を得るという流れになるのがベターだと考えます。
つまり生活難のため「売れやすい作品」を目指すことが危険という意味は、多くの場合作品の価値を追うという本業の部分から離れてしまうことに繋がるためです。もちろんそうならないケースも多くありますが、簡単な例で言えば、作品のサイズなどが当てはまります。コンクール用では3mあるような大きな作品や、形の維持が不安定な作品が受賞することも。ですがこれは一般の個人邸に作品を置くことを考えると少し難しい、なんてことがあります。大きな作品はそれだけ値段も上がりますので、「売れやすい」ということから少しずつ離れていくことになります。ですが、それこそが作家のやりたいことだった場合、売れにくいからという理由で、小さな作品に切り替えるのは本末転倒なわけです。
以前にも例えとして出した、テーマについても、「死」などのくネガティブなイメージテーマの作品は、色鮮やかな印象派のような作品に比べて、個人邸に飾る確率を考えると難しいだろうなと想像できます。
個人的なことを言えば、私の作品にもモノトーンの作品とカラフルな作品がありますが、カラフルな作品の方が売れていくのが早いです。それは一見で「綺麗だ」という感想を多くもらうことからもわかりますが、綺麗だという表面的な評価を得やすいためであって、そうしてしまうと作品がなにを表現しているのかという本質の部分に目を向けられにくいため、最近では色遣いについても、「他人からの評価」という部分を意識するようになりました。また私の作品では浮絵の空間表現法を利用するのですが、それが時に「日本的だ」として、評価を得て購入まで至ることもあります。つまりこれは「日本画のようなテイストを家に飾りたい」という感情からの評価なので、これもまた本質からずれていると言わざるを得ません。
言葉を選ばず、わざとわかりやすい言葉を使って言うと、美術の知識も全くない、成金がただ気に入ったから金を出した作品と美術の知識とその地位がある人からの評価を得て購入に至った作品では同じ値段だとしてもその価値は別になるでしょう。美術作品の評価というのは、「クラシック音楽鑑賞に肥えた耳」が必要なことと同じように、「的確な評価を下せる肥えた目」が必要です。一見自由でレベルの差がわかりにくい美術作品ですが、そこにはレベルというものは確実に存在しています。不特定多数に評価を得ることを目的としがちな「売れる作品」を作っていくよりも、限られた正しい評価を追った作品制作を心がけていくことが、作家にとってなによりも大切なことなのかも知れません。
ドイツに来て作家として生計を立てるようになって学んだこと
次の記事に繋がるのですが、我々作家はなんのために制作をしているのだろうという疑問です。制作することが生活の軸になって、作品の展示を行い、作った作品が勝手に売れていくというサイクルが出来上がって来た時、なにがしたいのかという自問自答によくぶつかります。もちろん作品の価値を追うことは常に思考にありますが、それならば作品を売る必要性はなくなってきます。展示する意味は?作品の販売の意味は? ここ数年、生計を立てるために、作品を売ることと、本質の部分である作品の価値を追うことを擦り合わせていくことにフォーカスを当てていたように思います。売れるだろうなーと思う、薄っぺらい作品は世界的アートフェアの中でさえ見かけます。誰々のパクリだなーなんてこともしばしば。 そういう意味で売れることについてと、価値のある作品についてを常に考えるようになりました。
ですが最近、なんとなくしか答えが出てなかったこの疑問に、ふっと答えが見つかったような気がしたので、この記事を踏まえて次回の記事でシェアしていこうと思います。
Masaki Hagino
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