アーティストとはどんな人? part1

アーティストとはどんな人? part1

Hallo ihr Lieben!

今回はアーティストと形容される人々について。

アーティストとはどんな人を指すのか

昨日の記事内で、あらかじめ知っておいて欲しいことの一つに、僕自身は自分のことをまだアーティストだと思っていないという事をお伝えしました。

これは端的に言うと、僕が誰よりも尊敬する人(70歳の正真正銘のアーティストです)が自分の事をアーティストとはまだ言えないと言ってることがざっくりとした大きな理由ですが
今日は少しこのよく語られる疑問について考えてみましょう。

アートを作る人→アーティストなのか

この流れが一番分かり易いとは思うのですが、そうなると、アーティストと自分を形容している人すべてが、アートがなにかを知っていることになります。個人的にはそれを探すために日々制作をしているので、その答えを見つけるのは、生涯かかるのではないかと考えています。
言葉を選ばずに言うと、特に日本人アーティストに置いては、アーティストを名乗っている人は
・本当にそれがなんなのかという答えを持っている人
・利便上ただ使っている人
・第三者に形容されているだけの人
・アートについて特になにも考えたことがない人
にわけられるのではないかなと思います。

では一体アートとは何なのか

日本でよく「デザインとアートの違いは」ということについて議論される時、

デザイン=問題解決
アート=自己表現

とされることが多々あります。これが正しいかどうかは置いておいて、そしてデザインについては思考が足りないので、あまり詳しく言及できませんが、
つまりデザインはクライアントなり、すでにある問題に対して、デザインの力で(モノのデザインとコトのデザイン)で解決していくということ。アートに関して日本で「自己表現」と解釈されているのは、とても日本らしいなと思いますが、それは日本の作家の多くが、作品のテーマを自己表現にフォーカスしていることが多いからです。自分の感情なり、自己投影、または奈良美智さんの様に内なる自分を表現したり。
それがアートかどうかという観点でこれを見ると、「アートの一つの形になりうる」にとどまるかなと思います。ルネサンスだって写実派だって、ポップアートだって、どれも特別自分を表現した作品で栄えたわけではありません。

僕がよく考える、アートになりうる作品かどうかの判断基準は、作品の中に「何かが詰まっているかどうか」という部分が非常に大きいです。これはそこに「〇〇的価値が付随しているかどうか」ということになります。端的にいうと、「質の高いコンセプトを持っているかどうか」ということです。

歴史学的価値があるかどうか

上で出て来た「〇〇的価値が付随しているかどうか」ということのベースになる部分の一つに、歴史学的価値というものがあります。これもわかりやすく言うと、美術(史学)的価値です。
欧米の大学では多くの総合大学に美術史学科という専攻があり、史学としての確かな分野があります。もちろん美大でも美術史の比重はとても重く、講義も多いのです。美術というのは文化として、そして史学として価値をはらんでいるもので、この歴史的価値を加味するかどうかが、作品が「趣味の延長かどうか」という部分に影響を与えるのではないかなと思います。

また一見、なんでもありのアートに見えますが、そんな中ひとつだけルールがあります。それは「誰かの作品&作風を盗んではいけない。」つまり盗作ということですね。ルールというと難しいですが、「あーこれどこかで見たことある」「あー誰々の作品のパクリだね」なんて言われてしまうと、自分の作品に美術的価値が失くなるという性質を持っているということです。これが様々なところから作品の「個性」を求められる一つの理由かなと思います。

話が脱線しますが、日本の美術大学では欧米に比べあまり美術史に力をいれていません。そして独自の作品、つまり美術的価値を作品に持たせるために中身よりも、より新しい誰も見たことのない外見を求めがちになります。クオリティを求められ、そして新しい技法を求めがちです。緻密で繊細でこれまで誰も作ったことのない作品。これは確かに上にある個性ではありますが、個人的にはそれらには中身よりも外身に意識が行ってるものが多いために、工芸的に感じる事が多いです。

長くなってしまうので今日はひとまずここまで!