絵は上手くなければいけないのか?
結構聞くことが、
「絵がもっとうまくなるためにはどうすればいいのか?」という質問、
「絵がうまいですね!」という感想。
これについて少し考えてみます。
「絵が上手い」
とはどういうことを指すのか?
ブログのネタ探しでYoutubeやSNSを見てみたら、割と美術系のものを見かけました。もちろんこのブログなんかよりもはるかに知名度もフォロワーも多いので、需要があって共感性があるんだなと思いました。
ただやっぱりSNSで目立つ人のほとんどは、美大を出ている人ではありませんでした。それは本職(アート)で食べていけてない素人出の人が、Youtubeを副業にしようとしているから、相対的に美大を出ていない人が多い、というわけでもありませんでした。すでに食べていけるような人が、私のようにポジショニングトークをしているケースが多いように思いました。
で、やっぱり思うのは、デジタルでもアナログでも「画家」の方が支持を集めていることはあっても、ここで言う「Artist」の方の露出はほとんどないということです。(ここで言う、ということがピンとこない方は、過去記事にたくさん美術と芸術の違い、現代アートとそうじゃないものの違いなどを言及しているのでそちらを参照)
そしてそこでよく聞く言葉が「画力」という言葉。成功に必要なのは画力。ということを聞くので、やっぱり画力があることが重要視されているし、それが「絵が上手い」ということなんでしょう。
では画力とはどういうことなのか?
一番わかりやすいのが、デッサンやクロッキーなどをベースとした、写実性の高い描写力であることが挙げられます。確かにわかりやすいし、画力だし、絵が上手いか下手かははっきり差がでます。以前にも挙げましたが、日本の美大入学に際し、そのデッサン力というのは非常に高いレベルが求められます。「入学する前」つまり大体高校生の段階、スタート地点前の段階で、それはもう高いレベルが要求されます。なのでそういう意味で美大生の、特に絵画系の学生の画力は非常に高いし、非美大卒の方が持つ学歴コンプレックスはこの画力の差がひとつの要因であったりするかも知れません。
もう一つはイラストなど自由なスタイルに見られるデフォルメだったり、独特のスタイルを通して、オシャレ、かっこいい、きれいと評価されたりもする、上記のニュアンスと少し違う「巧さ」でしょう。特に絵をデジタルで描く人が増えたことで、ここら辺の露出が非常に高く、興味がある人も多いので、「絵が上手い」と形容される幅も広がっていると言えます。
たぶん、絵の上手さを考えている人が今、頭に描いている絵画には
人物か、動物か、風景か。ほぼ静物画をイメージしているんだと思います。
なるほど、確かに静物を描く際には、画力があるべきだと思いました。絵画において、イラストにおいて、世界観や、個性なんかを求められはするけれど、それはたぶん、画力の上に成り立っているものである、かも知れない。と、思っている人が多い。
現代アートに求められるもの
さて一方、現代アートに対してはどうなのか。前提として繰り返すと、学術的価値がない作品は(現代)アート作品ではないよ!っていうことをこのブログではよく伝えています。クリエイションが全てアートではないこと、絵画が全てアートじゃないことを踏まえた上で。
上記で挙げたこと絵の上手さは、やはり技術面の話です。そしてかなり表面的な技法についての話だけですね。
よしもうはっきり言おう!
現代アートに、そんな表面的な絵の上手さなんて必要ない。
もちろんちょっと語弊はあるけれど、そう思ってもらってもいい。
逆に伝えたいことは、画力に悩んでいる、そして絵が上手いかどうかを論点にして作品と向き合っている場合は、それは逆説的に現代アートではないんです。ちょっと言い方を変えると、現代アートにそれは今、求められていません。
Interview mit Katharina Grosse
“Die Idee von Vergangenheit, Gegenwart und Zukunft verschwindet” – monopol Magazin für Kunst und Leben-
(現代アーティストの画像はまだ著作権がわからないので、雑誌のサイトのスクリーンショットを)
例えば、今年1月までベルリンの美術館で展示があった、今ドイツで大注目の現代アーティスト、Katharina Grosse (1961- カタリーナ・グロッセ)を見てみる。彼女のコンセプトはわかりやすく言えば絵画のキャンバスからの脱却。新しい空間表現やインスタレーション性のある絵画として新しい価値を持っている絵画です。
もちろん彼女の作品の中に、たくさんのテクニックや色の選び方、使い方が盛り込まれているが、おそらくみなさんが思っていた「絵の上手さ」はこの中に入っていないんじゃないでしょうか。ただ彼女の作品が、世界中で評価を受けていて、とてもフレッシュな現代アートであることは間違いありません。
前回の記事でも伝えましたが、美術史の中で絵画の基本的な画力の高さ、静物を写実的に描くという点において、それ単体で評価が得られていたのは、印象派より前の時代で終わっています。もう、古いわけです。求められていないし評価対象ではないわけです。ドイツの美大は、驚くくらいデッサンがへたな学生が山ほどいます。入試に求められない大学もあります。
現代アートに必要なことは、学術的価値であり、史学的な価値です。つまり史学から見た新しさが一つの指標になっています。新しいから次のレベルに進んだということになります。そして文化を次に進めることが求められています。
彼女だけではなく、ゲルハルトリヒターのスキージーの作品だって、簡単に言えば絵具を伸ばしただけだし、トゥオンブリーの作品はクレヨンでぐちゃぐちゃってやっただけだった。けれどそれが現代アートの中で正解だったし、評価をされたわけです。
現代アートに求められること
絵画に求められること
わかりやすく言えば現代アート・ファインアートはそういう一つの枠です。絵画とか、彫刻とかの中の別枠。なので絵画に求められていることをファインアートの中でやっても評価されません。どちらが正しいということを話しているわけではなくて、画力よりも目を向けなければならないことがあるということが言いたかったんです。自分の作品の中に、現代アートとしてのコンセプトの中に画力もいる作品だったなら、そりゃもちろん画力が必要です。ただ闇雲に、全ての絵画の現代アートに画力が入らないという暴論を唱えるつもりは全くありません。
ただ画力さえあれば評価される時代はもう100年前に終わってる。
あなたの作品が、絵画に止まるクリエイションなら、それは素晴らしい技術で評価されるべきものなのは言うまでもないです。絵が上手いことはすごいことです。それを目指すことを止めなさいなんてことが言いたいわけではありません。
ただもしあなたが現代アート・ファインアートの枠の中で、絵を描くのであれば、画力よりも必要なことがあることを知って欲しいなと思います。
絵画として基礎力としてデッサンを求められるのはわからないでもないけれど、必ずしも正しいのかというのは疑問があります。
実際ドイツの美大入学にはそんなに求められないし、オランダだってイギリスだってそうです。アジアの大学は求められる印象があり、作家の作品も似ていて、表面的な技術を押す傾向にあります。コンセプト力や、ここでいう学術的な価値が足りない作品をの価値を高めようとすると、どうしても外観=画力を、作品の表面的なクオリティを求めるほかなくなってきます。
見方によれば、作品の表面を素晴らしくしてしまうと、それは逆説的に「作品の中身が薄いこと」を露呈する可能性が出てくるということになります。ただこれは極論というか暴論で、決して画力を見せることが悪い結果をもたらすわけではなく、前述したとおりコンセプト上に必要な場合はなんの問題もなければ、むしろ画力が必要な話になります。
ただ事実、表面的なクオリティのみを追い求める作家も非常に多いわけで、それに紛れてしまうことは否め無いことかなと思います。
絵画と呼ばれるものが、全て「アート」にはなり得ません。クリエイションであることは間違い無いのですが。それは別に写真でも、彫刻でも同じです。なので絵画の画力を極めていく、ということだけに着目すると、その行動やベクトルはどちらかというと工芸の分野に近くなっていくような気がします。
制作において
個人的に気をつけていること
上に挙げたことにも繋がってくるのですが、絵のうまさ、かっこよさ、おしゃれさ、綺麗さ、エモさのような画力に繋がることを、私は個人的に作品の上に持ってこないようにしたいなと思っています。大切なのはコンセプトの部分なので、やはり作品を見る人が、上のような感覚を先に掴んでしまうと、思考を止めてしまうことが多々発生するからです。
上手い絵を見ると、「上手い!」という感情が先に芽生えたり、そこがその作品の持つ性質なんだと誤認され、作品の中身に目を向けられない可能性が出てくるということです。
逆に訳のわかんないものを見ると、「このアーティストは何を伝えようとしてるんだ。。。?」という流れになりやすくなりますね。
絵のうまさというのはそれだけを見れば、辿り着くのはあまり難しい話ではありません。日本の美大を出たような人ならデッサンなんて入学時にでさえ描けないと始まらない訳です。グローバリズムが進む世界で、おしゃれなもの、かっこいいものというのは「トレンド」という名前に変わって、みんなが共通した感覚を持っていたりもします。なのでなんとなくそのようなものを作るということは簡単なことで、そして多くの人が似たような作品を作れてしまいます。私が作れるのであれば、あなたも作れるし、誰かも作れるということです。
・史学的価値を持たせるために、新しくなければならない。
・作品の中身・コンセプトが重要。
ということを求める時に、私は制作をする際はずっと
かっこよくならない様に、上手くないものを作らないと。。。
と思いながらずっと制作をしています。わかりやすい答えにすがってしまわない様に心掛けています。いくら頭で作品のことを四六時中考えていたとしても、やはりいざ手を動かしていると、ふとした時に楽な方に寄って行ってしまって、時間を開けて作品を見直して後悔するという様なことがあったりします。なので頭で反芻しながら制作していることが多いです。
ということで、今回は画力について色々とまとめてみました。
これはきっと絵画だけではなく、他の媒体にも当てはまるだろうなと思います。何がアートで何がそうではないかということに繋がりますが、何を求めて制作をしているのか、作品を通した先に何をみているのか、どの部分での評価を求めているのか、ということを考えながら制作をしていくと、作品に必要なものが見えてくるのかなと思いました。
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