アーティストが、こんな社会にできること
アトリエに篭っているような人生なので、あまり生活が変わっていない Masaki (WEB)です。
今回は新型コロナウイルスの世界パンデミックのこの状況下で、アーティストにおける様々なことを
みなさんと一緒に考えていけるような記事を書こうと思いました。
アーティストの社会的役割
「アーティスト」と括られる種類の人は、言葉の意味も広がったため様々です。デザイナー・クリエイターを含め、さらにはクラシックを含む音楽家・ダンサーなども同じようにアーティストと呼ばれるかもしれません。つまり、創造するタイプの人、もしくは表現をするタイプの(もしくはその両方を行う)人がいるように思います。今回はこのジャンル分けが本題ではないので細かい話はしませんが、世間一般的に、そして世界的にはこのような認識でいいのかなと思います。(正しいかどうかは置いておいて)更に言えばブロガーだったり、ライターなどの文字媒体対象の人々も含まれたりしますね。
また別の言い表し方では、上に挙げられたアーティスト達は、文化を作り、守っていると言われることもあります。この「文化」というワードがアーティストと社会を結びつける際の、「社会的役割」のキーワードのひとつになりうるのではないかと思います。
では「アーティスト」と「文化」、そして「社会的役割」の関連性を少し考えていこうと思います。
文化とは何か
よく使われるこの「文化」というワードですが、そもそもどういう意味を持つ言葉なのでしょうか。
ではアーティストが生み出す文化は
果たして今の社会に必要なのか
今ロックダウン、営業停止、自宅待機などの措置によって、世界中では失業者が溢れ(BBCの記事では世界中で2億人が失業するかもしれないと)社会が回らなくなっていっています。人間に必要な衣食住、それを支える金銭が優先される今の状況で、一般的に考えれば、この「文化的な範疇のもの」は市民にとっておそらく優先順位が下がるでしょう。精神的に余裕がなければ文化を楽しむこともできない、今こんな状態でいつお金がなくなるかわからない不安の中で、アート作品を購入している場合ではない。と考えるのは至極当然な考えだと思います。
芸術というのは、もちろん生活必需品ではありません。それがなくても人は生命を保てます。ですが肉体的な生命を保つかどうかのレベルをクリアした場合、逆に人々はエンターテイメントなど精神への栄養分を必要とします。
芸術作品を家に飾るような文化があまり根付いていない日本では、一般的な考えではないかもしれませんが、例えば「おしゃれをしてテンションを上げる」、「リビングに花を飾る」などといった、気分をちょっと豊かにするようなモノの中に、「音楽」や「芸術」を取り入れる人は少なくありません。
肉体的な生命維持には決して、文化的芸術は必要不可欠ではないかもしれませんが、
精神的な部分には、芸術はとても、とても必要だということ。
国家的な
文化尊重の考え方
世界各国の文化庁(同じ名称ではないとは思いますが、政府の文化機関)の対応が、今色々と話題を呼んでいます。特に先日のドイツ政府の発表は日本でも好印象だったように思います。(参考記事)
記事の中では、ドイツ政府は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」「創造性は勇気を与える」として、アーティスト登録をしているフリーランサー(この中にはデザイナーやダンサーなど、上に定義したアーティストが対象です。)ベルリン在住の知人も数十万円を一括で受け取った様子です。
特にアーティストフリーランサーが多いとされているベルリンでは、「ベルリンの多様性とそのパワーはアーティストによって支えられている」というような言い方で、支援をしていく姿勢を見ているようです。ドイツの対応が世界中で賞賛された理由の一つとしては、この発表と対応が他国に比べて極めて早かったことが大きな理由だと思います。失業保険申請が受け付けられない、通らない、申請でパンクしているなんてことが世界各国で問題になっている今、すぐにお金が振り込まれたとSNSで報告するアーティストが多かったことは素晴らしい対応だったと思います。
ドイツ政府が言ったように、アートが例えばベルリンにもたらしているものは非常に大きいと感じます。ドイツをメインに8年以上活動していると肌でも情報量でも感じますが、ベルリンのフリーランサーのパワーはとても強く大きいです。数万人もいるアーティストたちが作り支える文化によって、コンサートや展示会などで週末は賑わい、大きなイベントでは世界中から人が集まり経済をも大きく動かしています。そしてその全体的な活動が大きくなればなるほど、さらに人は集まり、社会を巻き込み、どんどんと大きくなっていきます。ベルリン一つだけをとっても、ドイツ政府が恩恵を受けているものもきっと少なくはないでしょう。だからこそベルリン市は「文化の大切さ」と「それを支えるアーティストの大切さ」を知っていたのかもしれません。
では日本の文化庁の
対応はどうなのか
少し調べて見たところ、生活支援に向けて動いているようでしたが、3月末ごろ(ドイツの対応と同時期)SNSで比較され騒がれていた「大変だと思いますが、文化を守るため頑張りましょう!」みたいなお手紙で、少し炎上しているように見えました。(参考記事)
ネットでは、同時期のドイツの対応と比較されて、「これだから日本は…」と多くのアーティストも肩を落としているようにも見えました。もちろん個人的な感情では日本政府も頑張って欲しいとは思いますが、無い袖は振れないと言われてしまえばそれまで。そしてもうひとつ思うのは、日本のアーティストは、ドイツのアーティストに比べて社会貢献ができていないのではないかという点です。アーティストの人口等を詳しく比較しようと思ったのですが、アーティストのジャンル、副業があるのかどうか、税務署登録の名称など同じ条件での比較ができるような数字のデータを持ってこれませんでした。ただ日本でもドイツでも活動経験がある私から言わせてもらうと、こと美術関係(デザイナー系を除く)アーティストの人数や活動の熱量、露出度、レベルなどは、ドイツの方がはるかに盛んだと思います。ギャラリーの数、アーティストの数、作品の数やレベル、値段、そして市民の関心度など、数倍数十倍の差があるのではないかなと個人的な感覚では思います。
その要因は様々だと思います。日本社会におけるアーティストの地位が低いせいだと言われればそうかも知れないし、ヨーロッパの真ん中と極東の島国という場所や、英語ができるできないとか、歴史的背景とか、税金制度も違えば保険制度も違うわけで。コロナウイルスのパンデミックにおいて各国の政府の対応に差が出るのは当然なので、あまり他の国とを比較しても意味がないように思います。そことそこの2点を見ただけでは批評はできません。
そしてもう一つ言えることは、例え上であげた外的要因、内的要因などの複雑な要因があるにせよ、例えばドイツ政府の対応と比べて、日本政府の対応が悪いと思われる理由は、単純にそして結果的に、日本のアーティストの日本社会への貢献度が少ないからとも言えると思います。これは「いや、それはそもそも日本の社会が…」という水掛け論になるとは思いますが、あくまでも結果的に、です。極論を言えば、もし日本のアートティストが作るアート・文化産業で毎年年間数兆円の経済効果が叩き出せていたら、日本政府だって多額の支援を出せたはずです。
具体的に言えば、日本政府の対応を批判している画家がいたとして、その画家はきっと自分の個展で数百人集めて、数百万円分の展示作品を売って、国民としてではなく、アーティストとしての税金をたくさん納めている人は、きっと少ないだろうということです。
じゃあアーティストは今
どうすればいいのか
現状をどうするかをする前に、少し未来の話をしましょう。上で挙げた例のように、つまりは日本がアートで世界中で有名で、経済効果を生んで、アーティストが社会貢献をたくさんしていて、社会的に重要なものだという実績と認識があれば、今回のようなことにはならなかったはずです。なのでつまり今から日本のアーティストがすべきことはそういうことなのかもしれません。文化の定義の部分で出てきた習得・共有・伝達は、文化にとって必要な三要素です。次に繋げていくことが文化を守り育てる上で大切なファクターです。今がまだ足りなかったとしても、いろんな要素を整理して、クリアしていけば、日本の芸術文化水準を上げることができます。そしてそれは社会貢献に繋がり、相乗効果でどんどんとよくなります。世界的に認められればベルリンのように人がさらに集まってきて、さらに賑わってくる。人が集まれば競争が生まれ、切磋琢磨できて、レベルが上がって– そうやってきっとベルリンも文化を繋いできたはずです。
私は、もともとあまり他人に興味がない人間なので、日本のアーティストのために身を粉にして何ができるか、なんてことを考えているわけではありません。ただ個々に対して言えることは、自分の作品のレベルを上げることだと思います。みんなが、そうすれば必然的に日本全体のアートのレベルが上がることになり、上記の連鎖を生むきっかけになると思っています。結局は自分の作品のことしか考えていない私ですが、今ここでブログを書いている理由は、自分の作品のレベル向上にまつわる経験や思考をまとめるためだけにしかすぎません。
最近はアートしての絵画の使命や、自分が本当の意味でのアーティストになれるのかどうかという使命感を、勝手に感じながら制作・活動をするようになりました。それは現代アートと呼ばれるジャンルで活動している中で、今の作品の質を上げて発表し「共有」をして、今の現代アートのレベルを底上げして、次の時代に「渡す」ためだと思っています。自分主義でとても立派なことはできないけれど、今自分でできる最大限のことが、「自分の作品を価値のあるものにすること」だと思っています。その価値判断は、自己判断ではなくて、世界レベルで見た価値を追っていく必要があります。
私がこんなことを思うようになったきっかけのひとつ。
以前、情熱大陸で前に森本喜久男さんという方が紹介されていました。(情熱大陸)テキスタイルデザイナーの森本さんは、カンボジアで村を作り0から村人に技術を教えて、世界レベルの織物を作り、がんで余命宣告を受けてもなお現地で「自分には何ができるのか」という問いに答えを出そうとしていた方です。
番組内での森本さんの一言に心を奪われた記憶があります。
「僕らはこうやって伝統の織物を復元して、それを新たに創る仕事をしている。だけどそれはね、伝統を守る仕事じゃない。伝統を創る仕事なんだ」
森本さんと全てが通ずる分野ではないですが、物作りをする上で、とある人は「伝統」という言葉を背負って活動している。なんだかすごく悔しくて、映像を見ながら涙したのを覚えています。
この話がこのトピックと合うのかどうかわからないですが、これを読んでくれているみなさん各々が、アーティストとして今できることはなんなのかという葛藤を、今この社会状況だからこそもう一度考えることができるきっかけになればいいなと思います。
Masaki Hagino
Web: http://masakihagino.com
Instagram: @masakihagino_art
twitter: @masakihaginoart
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