世界中のアート業界が驚く1600万円のバナナ?【カテランのバナナ解説】
珍しく今hotな話題を取り上げてみようと思います。2019年12月5日から8日まで、そう丁度今週末あったArt Basel Miamiという世界最高レベルのアートフェアで、なんと1600万円のバナナが購入に至り、世界中のアート業界が騒然とおり、ニュースになっています。(しかも売れたのは水曜日のVIP先行プレビューの段階で)
前回からアートってなんだろうっていうような記事を上げていたので、まさにぴったりのテーマなので、今回はこのバナナの作品についていろいろと考えてみましょう。なぜ、こんな作品が1600万円もするのか?みなさん不思議ですよね。
参考記事 : That Banana on the Wall? At Art Basel Miami It’ll Cost You $120,000.- New York Times
Maurizio Cattelan Is Taping Bananas to a Wall at Art Basel Miami Beach and Selling Them for $120,000 Each – artnet news
::::2022年7月1日追記::::
ブログのタイトル・文中など、「1300万円で売れたバナナ」にしてましたが、3番目のエディションの1600万円の値段の方が取り上げられがちなので、混乱しないように1600万円に変更しました。
Podcastでも話しました。
まずは概要!
freshな話題ですので、いつものように画像はgoogle検索ですみません。上のリンクからNewYork Timesに飛べますので、そこで作品の綺麗な画像が確認できます。
概要を簡単に説明します。
世界5本指に入る最高レベルのアートフェア、Art Basel Miamiは、アメリカ・フロリダ州のマイアミで開かれます。世界最高峰ArtBaselがオーガナイズするマイアミ版といったところです。その中で先日、 Galerie Perrotin 所属、Maurizio Cattelanというアーティストの『Comedian』という作品が今世界中で話題になっています。彼のこの作品は控えめに言っても、普通のバナナをダクトテープ(アメリカでいうガムテープ)で壁に貼っただけなのです。驚くべきことは、彼はこの作品を3部作っており、そして最初の2つは$120,000(約1300万円)、3つ目は少しプレミアがついて$150,000(約1600万円)で、すでに売れたということです。このアーティストは、以前にも金のトイレ『America』という作品を作っており、それは約6000万円ほどでも購入されている、世界中ですでにかなり有名なアーティストです。
(ちなみに今日、さらに別のパフォーマンスアーティストが、彼のこのバナナを食べちゃったっていうことでさらなるニュースになっています。
– A $120,000 Banana Is Peeled From an Art Exhibition and Eaten)
彼はインタビューでこう話しています。
“Wherever I was traveling I had this banana on the wall. I couldn’t figure out how to finish it. In the end, one day I woke up and I said ‘the banana is supposed to be a banana.”
–旅行するとき僕は常にこのバナナを(ホテルの)壁につけていたんだ。でもどうやってこの作品を完成させればいいか悩んでいたんだ。最終的に、ある日起きた時にこう言ったんだ「バナナはバナナじゃなきゃいけない」–
彼はこの作品をただ適当に考えついたわけではなく、長い時間この作品と向き合っていました。ブロンズでバナナを作るべきか、合成樹脂で作ろうか、いろんなことを考えたそうです。結果的に本物のバナナを貼る”だけ”になってしまったのは、彼が長い時間かけてようやく出せた「正解」でした。
そして世界中の人が思うことでしょう、
「なんでこんな作品がアートと呼ばれ、1600万円もの値段がつくのか?」
今回は私の見解も含め、前回の記事にも出てきているアートと芸術の違いについてもう一度おさらいする題材として、いろいろ考えてみましょう。
この作品は
何を含んでいたのか
彼が実際に意図していたことやインタビューでの回答などはあとでご紹介しますが、アートの知識がある人がこれを見るとどういう風に映るのかを少しご紹介します。おそらく知識がない人が見れば全く理解できないこの作品。私はとても素晴らしい作品だと思います。
なぜかといえば、彼のこの作品は
しっかりと美術史の長い一本の線状の上に立っていることが一目見た瞬間に分かるから
です。私がここでいう美術的価値が多く含まれていた作品だと思います。
どうしてそう思うのかというと、わかりやすく説明すると彼のこの作品の裏に、いろんな過去の美術作品が見えるからです。
①アンチウォーホル的
バナナを見てまずなにを思い浮かべるかというと、Andy Warhol(1928-1987)が『The Velvet Underground & Nico』というバンド(アルバムと同名)のアルバムのジャケットを手がけたバナナの作品を連想させます。いろんなデザインになっているので、このバナナを見たことがある人も多いはず。これを想起させるということは、M.Cattelanの作品は多かれ少なかれウォーホルの作品コンセプトを、引用、オマージュしているのではないかと考えられます。
ウォーホルの作品は、様々な実験的思考が繰り返されましたが、最終的にはシルクスクリーンプリントを用いて、有名なもの、身近なものを大量に印刷するという技法が有名になりました。マリリン・モンローやキャンベル缶の作品がとても有名ですが、彼の作品はアメリカの大量消費社会、表面的な記号性を利用したものでした。何度も何度も様々な色で印刷が可能なシルクスクリーンという技法を用いることで、作品のどんどん薄っぺらいものにしていき、表面的な部分だけを浮き彫りにするということです。
美術作品は得てして、裏に潜む深い意味を追いがちですが、彼の作品は対照的に、とてもとても表面的な部分を切り取った作品でした。それがポップアートを牽引した大きな理由となります。
M.Cattelanの作品は、このウォーホルのバナナと逆向きであったことが印象的でしたね。
つまりここで逆向きという意味が、ウォーホルの表面的な意味の作品に対して、非常に内面的だということを示唆しているように思えます。
別の作品でいうと、私はYoko Onoの『Apple(1966)』を思い浮かべました。
②オノ・ヨーコ
日本では、オノ・ヨーコはジョンレノンの奥さんとしてしか知名度がないと思いますが、彼女は優れたインスタレーション系のアーティストでした。むしろアーティストとして優れていたのでジョンレノンと知り合うきっかけになったくらいです。彼女の作品群の中にinstruction artというものがあります。『grapefruit』という本にまとめられている作品もありますが、彼女は観客にinstruct(指示をすること)というインスタレーションの作品を多く作っていました。私は個人的にYoko Onoのこの時代の作品が大好きです。
この林檎の作品は生の林檎を台の上に起き、展示期間中に腐り行きタネに還元される様子を観客に観察させるという作品でした。
今回の作品と、生の果物を展示するということが共通している作品ですね。
追記:
Twitterで教えて頂きました。1966/11/9 インディカギャラリーでのオノ・ヨーコの展示。前日に訪れたジョン・レノンとの運命的な出会いとなった日。オノ・ヨーコの作品の一見難解であるInstructionArtの意図を読み取り、本人をも驚かせるアクションをするジョン・レノンでした。
そして後述しますが、ジョン・レノンもこのカテランのバナナで起きた事象と同じく、このりんごを齧って戻したようです。コンセプトに重きを置いていて果物はレディメイド。その物を食べられることで、より明確になる印象です。
オノ・ヨーコのインタビュー
https://youtube.com/watch?v=rajjTRMYbzE
③マルセル・デュシャン
もう一つ忘れてはいけないのが、前回の記事でも例にあげた、Marcel Duchamp(1887 – 1968)の『Fontaine(1917)』ですね。
自分で手作業で作った造形物でないものを使う「レディメイド」とのちに呼ばれる作品形態を使い、アートとはなんなのか?ということを観客に問いかけた作品でした。この作品はもちろん大批判を受け、展示会場から撤収されてしまいました。ですがこの作品がDADAからシュールレアリスムを代表する作品となり、今も世界中で評価されデュシャン以降、以前と線引きされるほどの作品として評価されています。
この便器を使った作品ということは、M.Cattelanの『America』の方が通ずる部分が多い作品ですが、今回のバナナの作品も同じように、そして結果的にも世界中の観客を「アートとはなんだろうか」という疑問の渦に投げ込みました。
④モナ・リザ
最後にもうひとつ。ギャラリーもインタビューで言及していますが、『モナ・リザ』もこの作品に関連しているというのです。
世界で一番有名かもしれないこの絵画。パリのルーブル美術館の目玉作品として、今ではこうして来る人はモナ・リザの前でスマホやカメラを向け、「自撮り」をする人が後を絶ちません。今回のバナナの作品だってそう、世界中で初日前日のプレビューから人気騒然となったこのバナナは、おそらく今日最終日も注目の的でしょう。
こうして多くの人が、どんどんその話題性を辿って、その作品の中身を評価する以前に、表面的な部分だけを見て自撮りして、家にあるバナナや他の果物をテープで貼って、SNSは今世界中で賑わっています。この表面的な部分が一人歩きして、さらにSNSという現代のパワーを借りて、それはシルクスクリーン以上の生産性と話題の大量消費性ができあがった作品は、ウォーホル以上、そしてアンチ・ウォーホルとも評価されています。
つまりウォーホルのシルクスクリーンで印刷を使った新しい生産性・繰り返しという行為を
現代のSNSのパワーに置き換えたような巧さがあったということですね。
そしてもう一つ私が面白いなと思ったのは、M.Cattelanはこの作品にエディションをつけたことだと思います。この作品は3つ複製されており、シリアルナンバーがあるということです。彼は、このどこでも手に入るバナナにどこでも手に入るテープを貼るだけで2秒で作れるこの作品を、インスタレーションでありながら、ちゃんと立体作品として扱い、エディションをつけたのです。保存ができないバナナなのにも関わらず一つの物体として捉えているあたりが、大量に複製したシルクスクリーン印刷ではなく、そしてコンセプチュアル(表面的の逆という意味で)ウォーホルとは真逆だという点に注目したいです。
彼の作品のバナナの向きが逆なのは、こういうところから来ているのかも知れません。
つまり彼の作品は、この選ばれたバナナが主役だったわけでも、テープが主役だったわけでもありません。
下にも続きますがこのバナナは、別のアーティストに食べられてしまったあと、ギャラリーは別のバナナをすぐ壁に貼り直しました。つまり彼の作品は「バナナとテープ」といった表面的な部分が主役なのではなく、これまで上にあげたような、ウォーホル的(またはアンチウォーホル的)、デュシャン的な作品の目に見えないコンセプトの部分で成り立っている作品でした。こういった作品群をコンセプチュアルアートとカテゴライズされます。(オススメの参考文献 amazon:コンセプチュアル・アート (岩波 世界の美術) )
ですので彼の作品のバナナを誰かが食べても、それは表面的な部分だけを食べただけなので、作品の本質はそこに残っているわけで、なにも問題がなかったということです。
もちろん、今後この作品が世界中の美術館で展示される未来、普通のスーパーのバナナが使用されて、展示期間中傷んできたら交換されるんでしょう。いやもしかしたらYokoOnoのように交換されないのかも。今回のアートフェアは数日だけのものなので、長期展示にはどうするのか気になります。
1300万円の価値とは
購入者にとって、どういう場所にあるのか
さてみなさんが気になる、なぜこれが1300万円もしたのか、そしてどこの金持ちがそんなもんに大金出したのか?という疑問です。美術的価値は上で説明したのですが、ここではもう少し別の、購入者側の考えを少し解説。
そもそものことを言うと、このマイアミという場所は、それはもうセレブばっかりが住んでいるような、ハイパーお金持ちの住む街です。そしてArt Basel Miamiはさらに世界中からお金持ちが集まり、数日間で数十億円が余裕で動くような世界です。1300万円なんてこの購入者にとってはおそらく「端金」でしょう。この作品を買った人は決してこのバナナを持って帰って、家に飾りたかったからお金を出したわけではありません。
購入者はこの作品の美術価値と話題性などを評価しました。そしてこの作品は世界中の美術館への展示が確約されることになります。(3つ目はすでに決定したらしいです)契約等は詳しくはわかりませんが、この作品のみならず、こういった新しい作品に大金を出す人は、こういった権利も一緒に手に入れます。
美術館の展示にキャプションがついていると思いますが、(作品のタイトルとか大きさとかが書いてある、絵の横にあるあれです)そこにどこからの出展かが必ず書かれています。世界中のの美術館を回るような作品は、美術館側が展示期間中、他の美術館から、もしくは個人所蔵者からその作品をレンタルします。美術館間ではほとんどレンタル料は発生しないそうですが、個人所蔵間ではレンタル料が発生します。
ですので、この先何十年何百年と続く美術の歴史で、この3つの作品は世界中の美術館を巡り、その度にレンタル料が発生します。(作品の価値によってその値段は変化します)
実際にこのアートフェアに行ったVIPのコレクターに電話で聞いてみました。(もちろん大富豪) 彼いわく、「私も買おうか悩んだ。だが彼のあと2つ先くらいの作品を買った方が良いと思ったから今回は見送った」そうです。このバナナで世界中で人気になることは、彼は確信していて、アーティストがそのプレッシャーの中で作る次の作品、もしくはその2つ先の作品のほうがもっといいものになる、そしてもっと話題になる、ということまで視野に入れていたということです。
もちろん彼らはビジネス的な投資も視野に入れていますが、美術愛好家として、今回のケースのように作品にお金を出すことによって、相乗効果として作品の価値があるようなケースを理解しています。ただの金持ちの道楽か?という疑問もあるかも知れませんが、多くの本当のお金持ちの方々は美術に対する知識と、権利購入などの経験、そして横の繋がりもあります。一般人には見当のつかないような世界が広がっているため、理解しがたいかも知れませんが、美術関係者の中での今回のこの作品の評価は世界中でかなり高いことだけは事実です。
もちろん面白おかしく書いているネットの記事も多いですが、理解できないからといって否定するのではなく、理解できない自分の知識と見聞力を疑うことが、難解な現代アートを見る時に大切なことだと思います。
そういったわけで、長くなってしまいましたが
アートとはなんなのかと言う部分、そして現代アートの可能性を感じた、とても面白い「事件」でした。
そして多くの美術関係者はもちろん彼の作品を評価でき、
美術の知識がない人たちは、憤りを感じる。
このブログでメインで話しているような部分が浮き彫りになった面白い現象が起こった週末でした。
そしてこのバナナを実際に食べちゃったこのパフォーマンスアーティストも、評価に値すると思います。
彼はこのバナナの作品をリスペクトし、この作品を食べることで、M.Cattelanが意図していた作品の価値をさらに高めることになりました。
(ギャラリストがその後めちゃめちゃ怒った映像もありましたが、結果的にお咎めなしだったようです。)
なぜなら「バナナは、バナナだから。」
このあとこのバナナはすぐ別のバナナに置き換えられます。この作品がコンセプトの上で成り立っているよい証拠で、実際どのバナナで、どのテープでなければならないということよりも、大切なことがあるということがわかる作品ですね。
2023/5/5 追記
韓国の美大生が、美術館で展示されていたこの作品を、批判的にそしてリスペクトを持ってしてバナナを食べるという行動が話題になりました。同じようにネットではこの作品が再ブレイクして、「こんなのアートでもなんでもない」なんていう論争がまた生まれています。「お腹が減っていたから」という理由を説明していたようですが、のちにパフォーマンスだったと意見を変えて美術館側に説明をしていたそうです。
https://hypebeast.com/jp/2023/5/south-korean-student-eats-maurizio-cattelan-banana-sculpture
「こんなの誰にだって作れる。」と思う人も多いでしょう。
そう思った人にはこう言い返します。
誰だって作れるかも知れないけれど
でも誰も今までやらなかった。
美術は学問の一つでさらに現代アートのカテゴリの中では、その学問性と、新規性が大きな価値となります。「新しい研究発表」という言い換えてみるとその意味はわかりやすいかなと思います。
美術の歴史は数千年、数万年まで遡り、この中で数え切れないほどの数の作品が誕生してきました。それをまとめたものが、「美術史」です。
何が新しいアートなのか?
ここがこと現代アートの世界では非常に比重が重いわけですが、
その答えは
「今までに誰もしなかったこと」
当然ですがつまり、このことこそが「新しい」といえるはずです。
そういう意味で美術史学的な、学術的/学問的な価値を保有しているかどうかという点が価値を図る大きな点になり、この《Comedian》という作品は、上で説明したように非常に美術史学的な観点で大きな価値を保有していたと言えるでしょう。
余談ですが、
インスタレーションの作品は、「指示書」と呼ばれる、展示するにあたって細かな指示がある書類と作品の証明書を購入の際にもらったり、美術館に一緒に寄贈されます。この作品はバナナはこれくらいのサイズでこれくらいの熟れ具合。地面からどれくらい上で、バナナの角度は何度傾ける、テープの長さな何センチで、何度。バナナのどこにどう貼るのかなど、細かな指示書があるようです。バナナも2、3日おきに変えられるようです。
Masaki Hagino
Web: http://masakihagino.com
Instagram: @masakihagino_art
twitter: @masakihaginoart
-
前の記事
作品売買を視野に入れないでいいアーティスト活動とは 2019.11.20
-
次の記事
2019年を振り返って、そして2020年の目標 2020.01.03