作品に値段をつける意味と価値について

作品に値段をつける意味と価値について

読者の方からメールなりでいろいろ質問や相談を受けることが増えてきたのですが、その中でも多いのが、作品と値段の関係についての質問でした。
この件についてはみなさんきっと思うことがいろいろあると思います。
「自分は作品を売るために、作品でお金を稼ぐために、作品を作っているのではない」
という感情があるためです。
私はこのブログでよく、値段や作品売買についての記事を書いていますが、それはそれが必要なことだからであって、上のような気持ちで制作しているのは、作家と呼ばれる人たち皆、同じだと思いますし、そうあるべきだと思います。
自分のために、もしくは美術のために制作をしているわけで、それは家具を作っているわけでも、雑貨を作っているわけでもないわけです。それぞれのコンセプトや信念のもと、美を追求するという作家の本質を追うのが正しい道だと思います。美術は研究であるということをこのブログでも多く記述しています。そのために制作と実験研究を続けているので、私個人的にも売れる売れないは重要なことではありません。では、なぜ作品に値段をつけ、売買をしていく必要があるのかを考えてみようと思います。

私は活動していく中で作品に値段をつけることは、当然のことだと感じて行ってきました。ドイツで学生中に初めて活動をスタートさせた当初、値段のことについてわからないことばかりでした。教授にも値段について聞いたり、他のアーティストと展示を共にしたり、ギャラリストに聞いたりといろいろ自分の中で葛藤を重ねて、そしてこの記事を書くにあたって言語化をするのにかなり時間がかかりました。

アーティストは
作品を売る必要があるのか

「売る」ことだけにフォーカスすると、その必要は必ずしもないと思います。かなり偏った一例ですが、Henry Darger(ヘンリー・ダーガー 1892 – 1973)というアメリカの画家は、生前に作品を一度も発表しないまま亡くなりました。彼の人生や通院などの経歴などを考慮すると、かなり特殊な例ですが、こういう人もいて、それがきっかけで有名になった人もいたという例です。
絵画や造形は売れる形、飾れる形であることが多いですが、ではパフォーマンスやインスタレーション、音楽家でいうコンサートはどうでしょうか。形として残る形態として売るものでない作品も多いでしょう。ただ入場料や出演料などで金銭が発生していることもありますね。ですので、「作品に値段をつけ、それを価値として第三者が認める」という行為に意味があるのであって、その後本当にその人が持って帰ったかどうかは別の部分の意味があるのかなと思います。

つまりここでは

「売ること」「値段を付けること」を分けて考える必要があるはずです。そして同時に「作品を発表する意味」も考えていきましょう。

金銭が発生するかどうかを分けることで、どういうことを浮き彫りにしたいかと言うと、上で挙げたように「なんのために制作をしていくのか」というベクトルに依存するような気がするからです。

作品の価値と、値段

どこかの記事でもこれについて少し書いたような気がしますが、作品の値段が作品の価値に影響を相互的に与えます。さらに言えばそれに作家の立ち位置も加わる複雑なファクターです。
「自分はお金のために制作しているわけではないので、本当だったら値段をつけたくない、その人が欲しいと思う値段でいい。」と言って、言い値や物々交換で作品売買の形をしている人を、「日本で」結構見かけます。

作品は作る過程も、作った後も、作家として責任を持つ必要があります。じゃあ100円で。と言われて自分の作品が100円分の価値しかないということで納得できるのかな?と個人的には疑問に思います。
以前にも別記事で書いていますが、作品の価値を決めるのは、半分は自分で、もう半分は自分以外の誰かです。それは購入者なのか審査員なのかは場合によって変わると思いますが、ここで言いたいことは「作品の価値を提示する側と、その価値を認め受け取る側」の2つが存在するということです。上で挙げた例では、相手に自分の作品の価値を全て委ねる形だということになりますね。この部分がとても日本的だなと思います。なぜこういう形態が日本に多いのかなというと作品の受け取り方そのものを相手に委ねているからかなとも取れます。つまり相手の感受性に委ねる、情緒的な部分を作品にしている傾向にあるかなと思います。(ここらへんは別記事で書いてます)

「自分の作品に責任を持つ」または「愛情を持つ」ということの中に、「作品の価値を自分で見定めて相手に提示する」ということも含まれているように思います。これにはもちろん作家自体の立ち位置も含まれています。そして立ち位置という中には、同じように作家のこれまでの人生が詰まっていると言えるでしょう。わかりやすく言えば、研究にどれくらいの時間をかけてきたとか、技法習得にどれくらいの鍛錬を積んだのかということの価値への変換です。ですので、作品1つにかかった材料費や制作時間はある意味無関係と言えます。(もちろんそういうわけにはいかないと思いますが)

アーティスト自身、「自分の作品に値段をつけるということ」に対し、かなりの経験、葛藤、試行錯誤があります。これまで自分がやってきたことへの価値を、自分で見定め、見極める必要があります。ですので、作品売買という行為は、差し詰め「価値をつける側と、その価値を受容する側との確認作業」と言えるでしょう。

ですので、私は個人的に、作品の価値判断を全て相手に任せるという行為は、作品を自分で生み出したのにも関わらず非常に無責任な行為だと感じます。上の作業を放棄している、責任放棄と取れるからです。たとえ自分の作品が「商品」じゃないからと言い張っても、作品はモノである以上価値が存在します。それを名誉と交換することはできたとしても、(例えば受賞として)、無価値として交換はすべきではないと思います。自分の生み出したものが、ゴミではなく、商品でもなく、「作品」であるというなら、「作品としての存在価値」を用意するのが、生み出した側の責任かなと思います。

後述すると思いますが、オークション型の販売方法だって、最低価格を設定してからのスタートですし、作品の価値を判断できる人たちが集まった上で行われるものです。欲しい人がただ集まってじゃんけんして勝った人がもらっていくわけではありません。

こうして見ると、値段をあげることによって、購入者の線引きができることがわかります。お金持ちが正しい目を必ず持っているわけでは決してありませんが、作品に高額を出す覚悟をした人は、例えばいくらでも良いからと言われ100円で作品買おうとする人よりは、美術がなにかをわかった上で評価していると取れるでしょう。(まあ相対的に、と言わざるを得ませんが) 自分の作品を高額にすればするほど、購入相手を少し選別できるようにも思います。レベルの高いギャラリーやアートフェアに出入りする顧客も同じように、そういった意味でレベルが高いと言えるでしょう。売る売らないは置いておいたとしても、値段が高額な作品は、その作品を作るアーティストはレベルが高いということの裏付けになります。それは貸しギャラリーで個人で行う個展では判断できませんが、(個人売買は自分で値段を設定するため)ギャラリーを通すということはそのギャラリーが、そのアーティストとその作品のレベルと価値の保証をしているということですので、裏付けができるように思います。

 

作品に値段をつけて
そして売る理由

いろいろと理由がありますが、まず先にその必要性の物理的要因を述べたいと思います。

ギャラリーを通しているということ。

私はEUでいくつかのギャラリーと正式な書類契約を結んでいます。契約内容は展示期間の作品破損などにおける保険のことや金額のことがメインです。ギャラリーには建物の土地代や広報宣伝費、印刷物や、オープニングパーティーなどのイベント費、5人ほどのギャラリー従業員の給料。アートフェアに出展した場合はその出展費(数日間で100万円を超えます)や運搬費、滞在費など多方面で多額の維持費を含める出費があります。そのため、作品が売れた場合、作品の金額の50%をギャラリーに支払います。(税金を抜いた上で)(もちろんこれはギャラリーとの契約によってパーセンテージは変わります。ギャラリーでは50:50がメジャーかなと思います。)

ではアーティストはその50%に対して、何をバックとして受け取っているかというと、ギャラリーが抱えている顧客と展示機会と展示場所が主でしょう。特にギャラリーが抱えている顧客というのが大きく、アーティスト活動に必要な「作品を正しく評価できる相手」です。ギャラリー関係者には美術館関係者や、アートに詳しい人々も多く含まれます。クラシック音楽を聞き分けるには、確かな耳が必要なように、美術には目が必要です。その中には100円で絵を買おうとする人はいないでしょう。

契約ギャラリーで長期間、共に活動していくと、ギャラリーの成長をアーティストが支え、アーティストの成長をギャラリーが支える相互関係が必要です。ギャラリーは、私たちの代わりに、ビジネスをやってもらいます。ですので、そのために作品に値段が必要です。そしてその値段はギャラリーのレベルや顧客の関係性に大きく関わるので、正しい価値に見合った値段が必要です。例えばレベルの高いアートフェアにいくと、作品の値段の相場がぐっとあがります。桁が一つ増えることも。そういうところに出入りできるようなギャラリーは、もちろんその価格帯に見合った価値の作品を展示する必要があるでしょう。下に続きます。

そして作品に人気が出てくるということ。

考えてみれば、「作品の値段を相手に委ねたい」と言っている方は、自分の作品が人気になったらどうするんでしょうか?早い者勝ちで100円置いていった人勝ちでいいのかな… 需要と供給ですので、1点ものの作品を買いたい人が増えた場合、値段を上げざるを得ません。例えば作品が完成したらすぐに売れていってしまったら、コンテスト等にも応募できない、展示も行えない状況に陥ってしまいます。作品が成熟してきて、作品がどんどんと売れるようになってしまえば、作品の外的価値も上がるわけですので、値段を上げてそれをコントロールする必要も出てくるのかなと思います。「売れない」ではなく、「売らない」という選択肢を取るためにも値段が上がるのは当然のことかなと思います。

 

作品を展示する意味と価値

一言で言えば「作品を大勢に評価してもらうため」と言えるでしょう。これを噛み砕くと、値段の話でも出てきたように大きく分けると、「作品の価値を相手に判断してもらうためと、「自分の価値付けが正しいかどうかの確認作業」になると思います。あともう一つ個人的な展示理由は「作品を客観視するため」です。

 

作品の価値を相手に判断してもらうため

これはつまり、購入とは無関係の評価の部分です。 買う買わないは、全員の評価に必ずしも直結しません。お金はいくらでもあるしこの作品は欲しいけれど、ただ単純に部屋に飾るのが好きじゃないとか、サイズ的に無理とか、評価をしていても別に買わない理由はいくらでもあります。払える払えないとは別に。
そしてこの他人からの評価自体も、アーティストによって価値が変わるでしょう。あまり他人からの価値を気にしない人もいるでしょうし、参考にする人もいるでしょう。 個人的には「人を選びます。」 作品を褒めてもらった場合、どの部分がいいと思ったということを私に直接伝えてくる人がほとんどです。その内容が非常に大事だと思います。そしていい内容も個人的にどうでもいいとこ褒められてんなあと思ったとしても、どんな評価もすべていいデータです。自分のコンセプトがしっかりと届いた評価であればやはり嬉しいですし、全く的外れな感想をもらったら「あーこの人別に美術に詳しくないんだな」と思うこともあります。が、「届かなかった人がいたのはなぜだろう」ということを考えるきっかけになります。もちろんその人が正しい目を持っていなかったかも知れませんし、自分の作品が至らなかったかも知れません。万人受けする必要はないので、ここで引っかかり続ける必要はありませんが、個人的な意見としては「万人受けしない作品の方が良い作品」だと思っています。この万人というのは、美術に詳しくない人、つまりちゃんとした目を持っていない人を含めてです。万人受けする作品は、多くの場合表面的な作品が多いと思うからです。アイデアが面白いとか、おしゃれだとか、かっこいいとか、綺麗だとか。

自分の価値付けが正しいかどうかの確認作業

これは作品に値段をつけて販売も同時に行う展示だった場合。個展じゃなく他のアーティストとのグループ展や、アートフェアの中だと、自分の作品の周りに数千の作品が並ぶこともあります。その中で作品購入までに至った場合、自分の作品の価値付けに対して、多くの比較対象がいた中での購入になるわけですので、確認作業としては成功なのではないかなと思います。実際に美術館やグループ展、アートフェアに多く出入りするようになってから、作品を評価できる目というものが養われたようにも思います。この目が養われると、自分自身の作品も客観視できるようになるので、作品のレベルアップに繋がると思います。美術史を勉強することもとても大事ですが、同時に現代の作家の展示も多く見回る必要があります。この点は、欧米の大都市にいる方が良い作品に出会えることが多いでしょう。毎週末ギャラリーのオープニングパーティーに出入りできるような環境は、非常に価値があると思います。ですので作品を多く見るということと、作品を多く出展して確認作業の場数を踏むのは非常に大切だと思います。

つまり出展側として(評価を受ける側)の訓練と、見る側として(評価する側)の訓練をたくさんして、自分の目とその思考を練り上げることが大切です。そうすることで、自分の作品を自分で評価できる力が身につくように思います。

 

さて、また少し長くなってしまいました。
ですがこの考えを言語化するのにかなりいろんな本も読んで、いろんな人と話して自分の考えをまとめることができました。
作品に値段をつけることは当たり前だと思っていましたが、いざこうして「なんでなんだろう」と深く考え言語化することができたのは、一つ成長に繋がるように思います。
それに時間と意識を取られすぎるのは問題ですが、ギャラリーをいつでも見て回れるような場所に身を置けるということは、大切なことの一つかなと思いました。

 

Masaki Hagino
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