絵を描いて生きる -Life of Art- http://mskham.com オランダ在住画家Masaki Haginoが綴る、アート系オピニオンブログ Fri, 03 Sep 2021 09:59:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 http://mskham.com/wp-content/uploads/2018/05/cropped-main-32x32.jpeg 絵を描いて生きる -Life of Art- http://mskham.com 32 32 「自己満足な作品」とそうじゃない作品の境界線 http://mskham.com/2021/09/03/post-575/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-575 http://mskham.com/2021/09/03/post-575/#respond Fri, 03 Sep 2021 09:22:20 +0000 http://mskham.com/?p=575

よく日本で耳にする、「自己満足な作品」っていう言葉。
実際どういう作品たちを指していて、どういう風に世間では捉えられているのかを少し考えてみようと思います。(クラブハウスで色々と考察に付き合ってくれた皆さんありがとうございました。)

日本ではアート作品に対しての酷評の一つとして、「君の作品ってさ、自己満足だよね」っていうワードをよく耳にします。実際これってどういう意味なんだろうか?っていうところからスタート。自己満足がいいのか悪いのかっていう話はとりあえず置いておきましょう。

 

「自己満足な作品だよね。」が
何を意味しているのか考えてみる

色々と考えてみた結果、まずこの場合皆さんが使っている「自己満足」っていうワードには色々な意味が含まれているんだろうと思います。要するに、すごくアバウトなワードっていうことがわかります。人それぞれに含んでいる意味合いが多分違うだろうし、状況にもよるし、もっと言えばこれのワードが流行っている定型文みたいなものになっているので、結果的にこのワードを使う人も実際にどんな意味が含まれているのかということをわかっていない可能性も多分にあります。

クラブハウスで色々な人と議論してみた結果、一つ出てきた答えは、この自己満足だよね、って相手にいうシチュエーションは「自分の世界の中だけで楽しんでるよね」っていうことをニュアンスを含んでいるんだろうということです。つまり「あなたの作品の伝えたいことなり、コンセプトなりは、こちら側に届いてないよ。」っていうことを相手に伝えていることが多いだろうということです。
趣味で絵を描いて出来上がった作品っていうのは、特に美術の世界に対して、もしくは鑑賞者に対してどういう意味をもたらすのか、などといったベクトルを持っていないことが多いでしょう。基本的には自分が楽しくて自分の好きなように作った、自分の世界の中で完結していることが多いであろう、なので、こういった作品は割と相手の目にどう映るのか、例えばここでいう美術史的な史学的価値っていうのがどうとかみたいなことを考慮に入れていないと思われます。

この「こちら側(鑑賞者側)に届いてない」ということは、つまりその作品と鑑賞者の間での対話が行われていないということを指していそうです。「対話の素となる共通言語を所有していない作品だ」とも取れるでしょう。

 

美術作品における、
鑑賞者と製作者の共通言語とは

ではその共通言語はなんなのか?一つは、いつもこのブログで言っているように、「美術史学的価値」です。美術の世界では誰もが美術史の知識を持っているものなので、それを前提条件として美術史を踏まえた価値っていうもので会話することができます。ゴシックから数えても数百年の美術の歴史を踏まえた上での新規性が絶対的に必要なのが現代アートということになりますが、現代アート以外のアート作品だってもちろん存在します。そういった場合でも、その作品がどの時代に属されるような作品で、どういった価値を保有しているのかという価値基準はある程度必要かも知れません。そういった意味では現代アートの方がわかりやすいかも知れません。新規性というのはもう既にそれだけで確固たる価値がそこに存在するからです。ですが現代アートに属さない作品の価値基準は様々かも知れません。大きく分けていくつかありそうなので挙げてみます。

①伝統系
例えば19-20世紀に栄えた印象派に属するような作家さんたちは、現代の日本でもたくさんいらっしゃいます。そこにはもちろんさらなる新規性を見出し新しい印象派を求めている人もいますが、多くの場合は過去の印象派の絵画を継続しているような作品が多いです。日本画とかっていう方がわかりやすいかも知れませんが、美大にもある日本学科っていうのは古来からの日本画の描き方を学んだり、伝統文化を継承していく側面があったりします。これに属される作品っていうのは、その技法や表現方法の範囲内での「上手さ」や「忠実さ」、その中での「新規性」などが価値の共通言語になりそうです。それぞれの技法や時代に属す描き方の絵画教室があったり、そのコンクールなどがあったりしますね。

②工芸系・クオリティ系
上とかぶる部分が多いかなとは思いますが、緻密な作業で出来上がったタイプだったりして見る人をあっと驚かせるような作品というのもありますね。絵画で言えば、画力を全面に押し出すような作品だったり。これも共通言語はわかりやすくて「上手い」「すごい」っていうのが一番わかりやすい共通言語でしょう。新しいアイデアだっていう新規性ももちろん出てきそうですね。ただそういった場合は少しデザイン性のベクトルなケースが多いのかなとも思います。作品の中身のコンセプトなどの部分の新規性ではなくて、表現方法の技法や素材なんかにフォーカスされた「新しさ」っていうのが多いのかなと思います。

そして一番このテーマにフィットしているグループが次の

③自己表現系
日本で広義化した「アート」っていう作品では、かなりの比重を占めそうですが、自分を表現していくことで「感性」っていうワードが重要な形態ですね。このグループの作品に対してが、一番「自己満足だよね」って言われてしまいやすいのかなと思いました。まぁそりゃあ自己表現だったりするわけでなので、自己満足だよねって言われてしまうのは仕方がない。それがいいか悪いかっていうのは別の議論かなとは思うけれど。この場合の共通言語が他に比べて圧倒的に少ないことが今回の問題点かなと思いました。抽象的表現が多いので、上記二つのような「上手さ」を作る側も見る側も求めていなかったりします。そして新しさっていうのが判断しにくい。日本でアートっていうもの自体の広義化の中にいるくらい、普遍化し、多くの日本人が「アートは自己表現」「アートは問題提議」(ていうかこれ誰が言い出したの?)って思っている部分がある、そんなくらい普遍化した表現内容なので、そこには「内容の新規性」の余白が少ないでしょう。自分というフィルターを通して見た世界、社会への問題提議とか、ファンタジーだったり。なので結果的に「共感」が共通言語になりうるんだと思います。ただそうなると共感できなかった場合、その作品はひょっとしたら独りよがり」の作品に成る可能性があります。

例えばその共感性っていうのが、非常にわかりやすかったら共通言語になり得ると思います。絵本とかっていうのがわかりやすいと思いますが、「ああ、教訓としたいことはこういうことね」っていうのは大人は読んですぐわかるものが多いでしょう。家族は大事にしようねとか、人に優しくしようね、とか。絵本の昔話とかっていうのは、絵と物語(つまりは表現されたもの)で、子供に何を伝えたいのかがある程度分かっているので、非常にシンプルな共通言語を持っていると言えます。

ただやはりアート作品となると、シンプルなものよりもいかに自分の考えが、自分の世界観が、自分の感性が独特なのか、という独自の世界観っていうものを追う傾向にあります。なので結果的に「現代アートっぽい」難解性を所持しようとしてしまう作品が多いような気がします。この難解性というものに対して、作者と鑑賞者の間の共通言語」「読解の鍵」になるはずです。作品の中に共通言語を持っていない場合は、鍵を持たないでクイズに挑むような形になってしまうので、結果的に生まれた言葉が「見る人それぞれの感じ方があっていい」とか「アートは感性で見るものだ」というような言葉が生まれたんだろうなと思います。侘び寂びとか、情緒とかが得意な日本人らしい作風だなと個人的には感じています。現に世界レベルアートフェアを見ても、日本人の作品だなっていうのはパッと見てわかるくらいには、特徴的だなと思います。

 

今日のまとめ!

という感じで、少しまとめると
「自己満足な作品だよね。」っていう酷評に近い意味合いを含んだこのワードの裏には、「独りよがりだよね」っていう意味合いが含まれていて、それがどういう意味かと言えば、「君が作品を通して伝えたいことが、伝わってこない」ということを示唆しているのかなと思いました。ではなんで伝わらないのか(あなたに、もしくはすぐに、伝わるべきかどうかっていう部分は置いておいて)というと、「作者と鑑賞者の間に、共通言語が存在していないから」と言えるのかなと思いました。

まぁ別に、そんなことを言ってきた人に分かってもらう必要がそもそもあるのか?とかそういうことは別の議論かなと思います。例えば有名なコンクールとか、それなりの評価をする人に対するアプローチとして、共通言語の有無、もしくは多い少ないっていうのは作品の評価に直結するものだからです。特に今回は良い悪いという点には言及してこなかったのですが、個人的には共通言語が多い方がいい作品だなと思います。それは単純明快である必要はなくて、難解だけれど共通言語が多い作品というのは、時間をかけて理解されることで、より作品の素晴らしさとなるのかなと思います。多分これは日本語的にいうと「深み」みたいなことで、これは前回の記事で書いてました。

 

更新が遅くなってしまってすみません。
書いたよー!っていう報告はツイッターでしてるので、もし良ければツイッターのフォローをよろしくお願いします。

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「良いアート作品」とはなんだろうか? http://mskham.com/2021/08/05/post-562/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-562 http://mskham.com/2021/08/05/post-562/#respond Thu, 05 Aug 2021 13:30:14 +0000 http://mskham.com/?p=562 投稿がだいぶ空いてしまってすみませんでした。
ちょこちょことクラブハウスではルームを開いていたのですが、ブログ更新までできないままでした。

さて、今回はすでにどこかで書いたかもしれないけれど、もう一度まとめてみよう!をスローガンに(言い訳に)いいアート作品の定義について少し考えてみようと思います。

ちなみに、ドイツ版美術手帖的な『Monopol』という美術雑誌のPodcastでも、興味深い議論があったので、リンクを貼っておきます。(全ドイツ語)

Was ist gute Kunst? (what is good art ?)
今までこのブログでは上記の「何が現代アートになり得るか」的なボーダーラインについてまでのことしか書いてきていませんでした。では、その条件をクリアして現代アートとした上で、何が良い作品なのかっていう、さらなる評価についての話。

評価基準について

この「何がいいアート作品たるか」という部分は、非常に定義しにくいものです。それは単純に、ケースバイケースだからです。見方によって価値付け方、評価のされ方が違ってくるからです。ただ今回の場合は、

・現代アート中心

・コンクールなどにおける本質的な美術的価値についての評価

に範囲を絞って説明をしていきます。
なぜこのような絞り方になるかというと、端的に言えば「売れる(or売れやすい)作品」とか、「個人的に好き」とか、その作品が良いか悪いかの判断は、時代、場合、場所、判断基準によって大きく異なります。なので、そういうことではなくて、純粋な「現代美術作品としての価値」についての話だと思って、サクッと読んでいただけると助かります。

 

時代に適合していること
〜誰でも描けるあんな作品がなんであんな高額?〜

現代アートに絞って話をする、ということを上で説明していますが、これはつまり評価対象の作品がどの時代的な作品なのか、ということが非常に大切だからです。例えば今でも日本では印象派っぽい作品が人気だったりして、有名な画家さんの美術教室や○○派など、現代美術としてではなく絵画としての価値を評価するケースがあって、その最たるものが日展や国展だったりします。
詰まるところ、「絵が上手い」という価値は、「絵画としての価値」であって、現代アートの世界での価値と必ずしも一致するものではないということです。なので日展でバチバチに評価される作品が、NY現代美術館で評価されるか?みたいなことを聞かれると、そんなことはきっとない。という答えになるでしょう。

時代に適合するかどうか、は美術評価にとって大きなファクターになり得ます。これは、流行りに乗れっていうことではなくて、一昔前では評価されるであろう作品だったとしても、現代では同じように評価されないということです。これは難解な現代アートにおいて、一般人?がよく疑問に思う「あんな絵がなんであんな値段になるのか」に対しても答えにもなります。簡単にいうとその答えは「あの時代にあの作品を作ったから」そして、「一番最初に、あの作品を発表できたから」です。ここら辺は何がアートで何がそうじゃないかの話あたりでも話しているので、気になる方は別記事で。現代美術は研究に近いものがあるので、今の時代に鉄の精製方法をドヤ顔で発表しても、は?ってなるよねって話です。今、ピカソ的な作品を描いても、もうそれが評価される時代は過ぎたよね?ということですね。

なので「いい現代アート作品かどうか」ということは、何が現代アートたるかということを理解した上での作品である必要があるということです。

 

美術的価値と史学的価値

この部分が今回の記事でメインで伝えたかった部分になります。
上の部分と少し重なりますが、つまり「いい作品かどうか」ということは、「その作品は美術的価値を多く含んでいるかどうか」と言い換えることができます。では現代アートにおける、美術的価値って何なのかということになりますが、それは史学的な価値に直結します。

上のパラグラフで説明しちゃっていますが、現代美術は新しい価値を評価する部分が強いです。どういうことかというと…
「美術作品は模倣は評価されにくい」(これって○○のパクリだよね?)というのが創作においての大前提があり、過去の作品(つまり美術史)を全て理解した上で、それに被らなかった場合それはつまり新しいものということになります。
これをこのブログではよく史学的価値として説明しています。

つまり新しい美術価値を持っている作品は、現代アートとして評価を得うるよね、という最低条件になります。ここが重要。つまりこういう新しい史学的な価値を持っていない作品は、現代アートとして評価されないということです。

ただもちろん評価基準とかっていうのはもう少し複雑なので、これは言語化する上での「最低ライン」とかっていう感覚で聞いてもらえると助かります。

さてここまでが前提。

 

では良い作品とは?

(冒頭に書いたけれど)今までこのブログでは上記の「何が現代アートになり得るか」的なボーダーラインについてまでのことしか書いてきていませんでした。では、その条件をクリアして現代アートとした上で、何が良い作品なのかっていう、さらなる評価についての話をここからしていきましょう。

色々な記事を読んだり本を読んだり、話を聞いたりして、このよくある議論をこれまでたっっっくさんしてきましたが、私が納得したシンプルな答えは、

その作品が何を表現しているのか、
そしてその作品が良いのか悪いのか、
すぐに分かりきらない作品。

冒頭にLINKしたmonopolのPodcastでも同じことを言っている人が出てくるので、やっぱそうだよなーなんて思ったのが今回の記事を書き始めたきっかけ。

そう、すぐに分からないことが大切。私が制作をしている時も、常にわかりやすい答えにすがらないようにすることを心がけています。色が綺麗とか、上手いとか、オシャレとか、そういうこと。

これに対して思い出すことがあって…
友人と、とある当時の私よりも遥かに成功している画家の作品について話をしていて。友人がぽろっと言ったことを10年近くたった今もはっきりと覚えている不思議。
「僕なんかみたいな美術がわかんない一般人でも、あの人の作品ってすごいなって思うんだよねー。やっぱり誰にでもすごいなって感じられる作品って、評価されうる作品なんじゃないかな」
ってことを言っていました。
ちなみに私は、その画家の作品をあまりいい風には思っていませんでした。絵画としてのうまさ、凄さはあったけれど、日本人っぽい雰囲気推しの作風だなと感じていたので、友人に「そんなことないんじゃないかなあ」くらいに返していたと思います。

10年経った今この違和感を言語化できるようになったわけですが、結果的に言うと友人が言っていたことは、現代アートとしての評価としては真逆な感想だったことがわかります。

整理をするためになぜかということをもう一度説明すると、
現代アートにおける評価基準は、まず史学的価値から来る評価です。つまり評価をする側の人間に求められるのは、もちろん美術史学の知識が必要。なので結局見る目が必要になってくるのが美術評論になるわけです。美術館やギャラリーで、対象の人が「すでに評価した作品」をどう感じ取るのかということをしているのが、詰まるところ一般人ですが、これは価値を担保されている作品を見ているとも言えます。
コンクールなどで評価を下せるような人たちは、膨大な知識量とそして何より膨大な数の作品を見てきています。なのでパッと見て、「作家が何をしようとしているのか」ということがある程度わかります。中身(コンセプト)がない作品はすぐ分かるし、こねくり回して難解風を装っている作品。あの時代のムーブメントの後追いetc…

現代アートは非常に難解になりつつあります。コンセプトの価値の比重が非常に重くなっています。絵が上手いっていう絵画の純粋な価値っていうのは、上でも説明したように、時代に合っていないわけです。なのでそういったシンプルなわかりやすい作品というのは、判断が簡単なので「すぐ分かる」わけです。

逆説的につまりは、経験・知識豊富な評論家さえも「すぐに分からない」作品ということは、潜在的な価値を秘めているのかなと思います。もちろん素晴らしい作品はパッと見で分かる!みたいなこともたくさんありえることだとは思います。私も経験はあるのですが、ただ多分その時は、80%を直感でシビれて「すごい!」と思った後、残りの20%の作品の核の部分をじっくり吟味するのに時間がかかる作品だったりしたなと思います。

そこの割合だったり、「すぐ分からない」のすぐってどのくらいの時間なのかみたいなことっていうのは言語化すると難しいなと思うのですが、大事な部分は「分かりにくい」でも、「分からない」でもなくて、「すぐには分かりきらない」という絶妙なバランス部分かなと思います。

作家的にも、コンセプトを元に作品を作るわけですが、一目で内容が全て分かってしまうだけの作品内容はよくないのかも知れません。ただ伝えたいだけであれば、文章に書いて全員に配ればそれでいいだけになってしまいます。なので間接的な表現を行うわけですが、うまく隠してあることもいい作品たるファクターの一つになるでしょう。

例えば絵画ではないけれど、ふと思い浮かんだのが、Yoko Onoの『White Chess Set (1966)』という作品。真っ白い机と椅子、チェスの駒とその碁盤が全て真っ白に塗られたインスタレーション作品です。そこには「Play It by Trust(信頼して駒を進めよ)」という文字。チェスは例えば争いや戦争に置き換えることもでき、それが真っ白であればプレーすることは容易ではありません。純白という誠実さを印象付ける白、そして信頼というメッセージから、オノヨーコらしい、世界平和のメッセージが読み取れる作品かなと思います。

今回の記事に沿って説明すれば、
表面的なかっこよさなどよりも、コンセプトが目につき、一体何を表現しているのか?と思わせることに成功しています。見る人は、そしてチェスが真っ白であることで、「これじゃあチェスできないよ?」ということに気づき、ここで初めてこの作品の意図のきっかけをつかむことになるでしょう。ですがそしてPlay it by Trustの文字を確認して、このままチェスをしなければならないことに気づきます。信頼をキーワードにプレイをさせるという、彼女のインタラクティブアートは(見る人に命令をして実行させるインスタレーション)、こうして実際にプレイさせて初めて作品が成り立ち、見る人に伝わることになります。

このように、表面的な美しさや表面的な作品価値は一目で判断がつくものですが、内容を徐々に浸透させていくように相手に理解させることができる作品というのは良い作品だなと個人的に思います。今回は言語化するなんて野暮、と言えるような内容の記事だったので、難しいかったのですが、あえて言語化して説明するのであれば、こうかなと思って書き始めました。
いつものように長くなってしまったのですが、皆さんが思う良い作品のファクターなど、ご意見があればコメントにてお待ちしております。

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【お知らせ】ドイツのギャラリーにて個展開催 http://mskham.com/2021/05/17/post-559/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-559 http://mskham.com/2021/05/17/post-559/#respond Mon, 17 May 2021 08:46:43 +0000 http://mskham.com/?p=559 TwitterとFacebookでの告知でここではほったらかしになってましたので、すでに開催スタートになっていますが、お知らせです!
ケルン近郊の契約ギャラリーにて、5月14日から8月14日までの三ヶ月、個展が開催されます。

Stiftung KunstfondsというBonnの美術財団のギャラリー用助成金枠のNeuStartKultureという助成を受けての開催になります。展示用カタログとビデオを用意してもらっています。カタログについては展示が終わってからpdfで配布できたりするようにできればいいかなと思います。作品は過去のものから新作までおそらく数40点くらいは飾られているのかなと思います。下のyoutubeの動画ではうちのギャラリストとカタログの文章を担当してくれた美術史家が、私の作品について話をしてくれています。ドイツ語ですが映像の方では制作中のクリップや展示ギャラリーの様子も写っているので、ドイツ語がわからない方でもぜひご覧ください。後で私が適当に字幕をつけようかなと思います。

 

Herzliche Einladung
zur Ausstellung
“Masaki Hagino – Es weilt im Inneren”
Innovativ, durchdacht, preisgekrönt sind die Arbeiten des jungen japanischen Künstlers Masaki Hagino. In seiner ersten Galerie-Einzelausstellung zeigt Masaki Hagino Cyanotypien, Installationen und einzigartige atelierfrische Gemälde.
Zur Ausstellung erscheint ein Katalog in Deutsch, Englisch und Japanisch.
Da aufgrund der Pandemie keine Vernissage-Feier möglich ist, gibt ein kleines Video rechtzeitig zur Eröffnung einen ersten Einblick in die Ausstellung und die Kunst Masaki Haginos.
Die 280 m2 große Ausstellungsfläche bietet viel Platz für einen ruhigen und sicheren Besuch. Die aktuellen Corona-Schutzmaßnahmen, die zum Besuch der Galerie eingehalten werden, stehen tagesaktuell auf meiner Webseite.
Ab 14.05.2021 bis 14.08.2021
im Partout® Kunstkabinett, Strassen 85, 51429 Bergisch Gladbach
di, do, fr von 16 – 19 Uhr
sa 11 – 13 Uhr und nach persönlicher Vereinbarung.
Jetzt auch Online-Besichtigung und -Kauf möglich unter http://www.partout-kunstgeschichte.de
Parkmöglichkeiten hinter der Galerie.
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作家に必要な「基礎力」とは何なのか。 http://mskham.com/2021/05/17/post-554/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-554 http://mskham.com/2021/05/17/post-554/#respond Mon, 17 May 2021 08:30:44 +0000 http://mskham.com/?p=554

画家にとっての基礎力は?と聞かれると、恐らく日本人の多くの人が「デッサン」を頭に浮かべるのではないでしょうか。
それって本当かな、と思うので少し考えてみましょう。絵画中心の話題になって行ってしまいますが、美術全体にも関わる話になっていくかなと思います。

今回の記事の内容は、Podcastでも同じことを話しておりますので、合わせてどうぞ!

 

デッサンは絵画の基礎なのか?

日本では特に、美大の入学試験でデッサンを描かされると思います。有名美大になればそのレベルは本当に高く、美研(デッサン中心の美大入試用予備校)みたいなものに通って、さらに浪人までしないと合格レベルに達せない、みたいな構図にもなってしまっています。もちろん合格後、一年生の間は基礎としてデッサンの授業があるのはどこも同じかなと思います。そういう構図なので、高校生も入学に向けてデッサンをやりまくり、美大生の1、2年生もデッサンをやりまくっている。そんな状況。
(もう一つ別角度の話をすれば、最近はキャラクター、イラストなどを描くような絵師さんも多いので、人体構造を理解するためにも解剖学やデッサンを勉強する方も沢山いるのかなと思います。)

なぜデッサンが基礎なのか?という話をすると、これは多分長い歴史からの影響かなと思います。
昔はやはり具象画が多かったですね。例えばゴシックから写実主義まで数百年、画家たちは人間の目で見た三次元の世界を、二次元の平面に表現をすることを行ってきました。内容はもちろんそれぞれの時代で様々でしたが、印象派から徐々に抽象絵画の表現方法が生まれるまでのこの数百年はずっと、「具象画」と括れるような表現を行ってきました。日本でもスタイルは違えど同じように世界の表現を行ってきました。日本画は静物を書くことも多いですし、物事をしっかりを見て捉えるという基礎力が求められることは理解できますね。

ただ絵画の在り方は時代と共に変化してきています。写実表現の先に、抽象表現があるとは思うので、「抽象画家にデッサン力はいらない」というのは一概に正しいとは言えないと思います。ただ現代絵画をいろいろと見ていると、具象か抽象かの二択ではないことは一目瞭然だと思います。そのカテゴリー以外の絵画にとって、デッサンは基礎としていまだに扱っていいのかな?という疑問が残ります。

現代美術の多様性とデッサン力

つまりこれまでの絵画の歴史、日本の定番の美術、もしくは過去の美大が教えていた美術の種類・属性にとって「デッサンは基礎力」として必要な物だったのかもしれません。では現代美術を行なっていくであろう、学びたいであろう現代の美大生にとって美大入試はデッサン力を基礎力として求めるままでいいのだろうか?
美大は置いといたとしても、現代美術を志す作家にとって今の時代も、デッサン力がいるのか?という話になってきますね。

現代美術は絵画や彫刻だけではなくとも、様々な形態がどんどんと生まれてきています。インスタレーションやメディアアート、もっと言えばパフォーマンスに対しての「基礎力」もデッサンなのでしょうか?デッサンを学ぶことで、物体を正しく見て二次元に表現する力を得る。もしくはその副産物的に、忍耐力とか集中力とか、そういったものも手に入るかもしれません。ですがそれだったら別にデッサン以外でもいくらでもそれを得る方法ができます。そう考えると、別にデッサンが作家の基礎力として扱われ続けるのは限界なんじゃないかなと思います。

では何が基礎力と成り得るのか?

ここからが本題になりますが、では現代美術のカテゴリーでは、なにが基礎力として扱うのがいいのかなと考えてみました。というのもこれはClubhouseで質問を頂いた時に答えた内容なのですが、割と自分でしっくりきたので、この記事を書いています。

僕が基礎力として必要かなと思ったのは、作品に対する評価力です。多分どこかの記事でも書いたような気がしますが、(後でリンク貼りますね)
いい作品を作るためには、「何がいい作品なのか」を知っていないと作れません。ただ自分でいいと思うという感情先行で作品を作っても問題はなにもないですが、世界的な評価を求めようと思ったり、美術の新しい価値を追い求めるような場合では、その評価は高くなりにくいでしょう。なので「この現代美術の世界でなにが良いとされ得るのか」ということを意識して、判断を自分でする力が絶対に必要になります。

これが過去の場合だったら、人体を、静物を、風景を上手に描くということが、評価される大きな要因の一つでした。現在でも別に絵画にとって価値になり得るのは間違いではありませんが、これを現代美術の枠内で考えると評価が落ちます。(なぜならつまりその時代が過ぎ去ったから)

制作をする間は、その作品をいいものにしようと作家は頑張っているはずです。その間の良い悪いのジャッジは、100%作家本人が行うものだと思います。なのでその判断力を持たないといい作品が生まれてきにくいであるだろうと思うわけです。(逆にない方が、いいものができるっていう考えもあるのかも知れませんが、あくまで現代美術では史学的価値がないといけないという前提論なので、「絵画としていい作品かどうか」ではなくて、現代美術作品といていい作品かどうか、ということを混同されないようにして読んでいただきたいです。)

判断力はどう養うのか

ではその判断力はどう手に入れ、どう養うのか。そしてそれが基礎力としてどう作用するのかということですが、簡単にいうとその判断力は、作品をたくさん見るということになると思います。作家個人の中の在庫量(知識量)を増やすということが必要になると思います。それはよくここで言っている「美術史勉強しないと、史学的価値を理解できない」っていうことに直結すると思いますが、要するに作品をたくさん見ると、同時に作品のいい悪いを自分で判断する力を養うことができるのかなと思います。美術史を勉強する、本をたくさん読む、ギャラリーにいく、美術館にいく。インターネットで世界のアートシーンをしる。

なぜ作品をたくさん見なければいけないのか、たくさん見るとどうなるのかというと、自分の中に在庫が貯まっていきます。経験値ですね。その次にこの経験値、在庫っていうのが貯まっていくとどうなるかというとランキング付けができていきます。このランキングがきっと重要。
判断力というのは、わかりやすく言えば比較をするということです。そして比較とは、つまり○○(3位)よりは優れていて、△△(1位)よりは劣っている。という比較を行うことで、暫定2位を決める作業です。
例えば、これが食・味覚については人間はとても得意です。食べる行為をずっと繰り返してきているわけですので、子供よりも大人の方がつまり「舌が肥えている」ということになると思いますが、この舌が肥えているという状況は、自分の中のランキング総数が増えているという状況になります。その総数が多いということは、ランキング付けが繰り返された回数でもあるわけなので、精度が上がっているということが言えるでしょう。(これは個人的な趣味趣向という点を度外視して)

 

つまり美術に関しての基礎力とは

いい作品を作れるようになるために。
つまり大切なことは、「いい作品がなにかを知ること」だと思います。それが別に絶対的に正しい必要もなければ、おそらく正しくないとは思います。その良し悪しを判断する精度というか純度みたいなものはまた別の議論になると思いますので、まず自分で判断してそれを信じていくほかありません。個人的な趣味趣向でもきっと構いません。その後その判断をただの個人的趣味趣向から、研究を進めて自分の感覚と世界レベルの感覚をすり合わせていくような行為が大切になってくるだと思いますが、基礎力という段階ではそこを気にしなくてもいいでしょう。

自分の作品にどういう価値を見出すのか、その発見と思考の手伝いをしてくれるのが、この自分の中の在庫を増やすという行為になると思います。これができていれば、「自分の作品は絶対にいい作品なのに、なんでだれもわかってくれないんだ!」っていう井の中の蛙的な事故はなくなるはずです。

今ではインターネットで世界中のアーティストを知れる時代です。それは美術史の中の人でも、現代アーティストでも、好きなだけ知ることができます。
「知らない」は、「できるのにやらない」という結果です。ただの怠慢の言い訳でしかありません。

知ることで、つまり在庫を増やしていくことでどんどん評価の力がつくので、自分の作品について、制作段階からブラッシュアップが可能になります。技法は後からでやればついてくるものです。なので一番最初の基礎力っていう部分では、この判断力になるのかなと思いました。

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Clubhouse始めましたという報告と、SNSについて http://mskham.com/2021/03/20/post-551/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-551 http://mskham.com/2021/03/20/post-551/#respond Fri, 19 Mar 2021 15:40:13 +0000 http://mskham.com/?p=551 ちょっとプライベートの方が立て込んでいて、ブログの更新もポッドキャストもSNS全般、止まったままですみませんでした。
Clubhouseを始めたことをきっかけにSNSを積極的にやってみようと思って、色々と勉強しています。

ClubhouseはTwitterのアカウント名と同じで、@masakihaginoartでやっているので、ぜひFollowよろしくお願いします。有難いことに私がBlogで話している内容を、興味深く聞いてくださる方が多いので、roomを作ってmoderatorとして番組を持ってもいいかなと思っているので、色々とみなさんとお話できるいい機会かなと思っています。

 

今までSNSに積極的ではなかった件について

一応InstagramやFacebookにて投稿や拡散を続けていたのですが、効率的だったのか、正しい活用方法をしていたのかと考えるとあまりそうではなかった様に思います。一つは単純に、あまりSNSに噛り付いている時間を取る気にならなかったこと。そしてSNSでのセールス的なアプローチにいい印象を持っていなかったことが大きな理由でした。

特に後者ですが、アーティストの方で同じ様に感じている人は少なくないのかなと思います。自分の作品を商品的な「セールス」をしてる人に少し嫌悪感があったりするのかなと思います。少しチープに見えるというか。例えば一方で美術館で展示して、どこかで受賞してっていう人がいる中で、一方ではSNSで必死になっている、という比較があったりするからですね。

あとはもう単純に面倒だったりもしますし、投稿の題材にバリエーションがないということも挙げられるかなと思います。制作に数週間かかったりすると、毎日毎日代わり映えしない制作シーンがロールに上がり続けることになったり。そして過去の作品を挙げていると、しつこく見えてしまったりするのかなとか。

 

実際のSNSの活用法

色々とやってみて、勉強してみてわかったことは、上記に挙げたことをあまり気にする必要はないかなということです。この時代にどのレベルの人でも、SNSをやって、マイナスにネガティブに働くこと、デメリットになることは少ないかなということです。
やはりこの時代にSNSである程度露出度を持っていないことは、デメリットになることはないとしても、非常に勿体無いのかなと思います。つまりメリットの方が非常に多いので、そこに出てくるデメリットを気にする必要はないかなと思います。

やはり世界中でSNSでマーケティングを行なっている人が、圧倒的に多いということを忘れてはいけません。アーティストの方はやはりセルフプロデュースが苦手なタイプが多いかなと思いますが、おそらく思っている以上にSNSでのマーケティングは当然のこととして動いていることです。なので色々と自分の中で効率化をして、面倒な部分をクリアして行くといいのかなと思います。

 

Instagramについて

インスタはやはり作家について一番効率が良くて楽なSNSなのかなと思います。作品を、制作途中を撮って、さっと投稿するだけで済みます。
そこから作品が売れることもあるし、大きなビジネスに繋がることもよくあることです。

手当たり次第、投稿していても効果が得られない上に、効率化ができなくて結局面倒になってしまうので、少し勉強すると楽なのかなと思います。

When Is the Best Time to Post on Instagram in 2021? [Cheat Sheet] https://blog.hubspot.com/marketing/instagram-best-time-post
via @HubSpot @BigRedDawg16

タグの付け方とか、投稿の時間っていうのはもうすでに多くのアナライズがあるので、それだけでも参考にしてみるといいかなと思います。日本に適したアナライズもあると思うので調べてみてください。

忘れてはいけないのは、英語のタグも多く使うことかなと思います。やはり作家活動 x SNSで大切になってくるのは、海外を意識できるかどうかだと思います。島国の日本で海外に意識を向けて作品を発表して行くのはハードルが高いと思うのですが、SNSを使えさえすれば非常に簡単に効率的にアプローチができる様になります。

最近はClubhouseの可能性に驚いていますが、すごい方々もたくさんいて、いろんな話を聞けますし、どんどんと新しい使い方が展開されているので、私も今後利用していければなと思います。

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http://mskham.com/2021/03/20/post-551/feed/ 0
絵は上手くなければいけないのか? http://mskham.com/2021/03/18/post-542/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-542 http://mskham.com/2021/03/18/post-542/#respond Wed, 17 Mar 2021 23:55:54 +0000 http://mskham.com/?p=542 結構聞くことが、
「絵がもっとうまくなるためにはどうすればいいのか?」という質問、
「絵がうまいですね!」という感想。
これについて少し考えてみます。

 

「絵が上手い」
とはどういうことを指すのか?

ブログのネタ探しでYoutubeやSNSを見てみたら、割と美術系のものを見かけました。もちろんこのブログなんかよりもはるかに知名度もフォロワーも多いので、需要があって共感性があるんだなと思いました。
ただやっぱりSNSで目立つ人のほとんどは、美大を出ている人ではありませんでした。それは本職(アート)で食べていけてない素人出の人が、Youtubeを副業にしようとしているから、相対的に美大を出ていない人が多い、というわけでもありませんでした。すでに食べていけるような人が、私のようにポジショニングトークをしているケースが多いように思いました。

で、やっぱり思うのは、デジタルでもアナログでも「画家」の方が支持を集めていることはあっても、ここで言う「Artist」の方の露出はほとんどないということです。(ここで言う、ということがピンとこない方は、過去記事にたくさん美術と芸術の違い、現代アートとそうじゃないものの違いなどを言及しているのでそちらを参照)

そしてそこでよく聞く言葉が「画力」という言葉。成功に必要なのは画力。ということを聞くので、やっぱり画力があることが重要視されているし、それが「絵が上手い」ということなんでしょう。
では画力とはどういうことなのか?

一番わかりやすいのが、デッサンやクロッキーなどをベースとした、写実性の高い描写力であることが挙げられます。確かにわかりやすいし、画力だし、絵が上手いか下手かははっきり差がでます。以前にも挙げましたが、日本の美大入学に際し、そのデッサン力というのは非常に高いレベルが求められます。「入学する前」つまり大体高校生の段階、スタート地点前の段階で、それはもう高いレベルが要求されます。なのでそういう意味で美大生の、特に絵画系の学生の画力は非常に高いし、非美大卒の方が持つ学歴コンプレックスはこの画力の差がひとつの要因であったりするかも知れません。

もう一つはイラストなど自由なスタイルに見られるデフォルメだったり、独特のスタイルを通して、オシャレ、かっこいい、きれいと評価されたりもする、上記のニュアンスと少し違う「巧さ」でしょう。特に絵をデジタルで描く人が増えたことで、ここら辺の露出が非常に高く、興味がある人も多いので、「絵が上手い」と形容される幅も広がっていると言えます。

たぶん、絵の上手さを考えている人が今、頭に描いている絵画には
人物か、動物か、風景か。ほぼ静物画をイメージしているんだと思います。

なるほど、確かに静物を描く際には、画力があるべきだと思いました。絵画において、イラストにおいて、世界観や、個性なんかを求められはするけれど、それはたぶん、画力の上に成り立っているものである、かも知れない。と、思っている人が多い。

 

現代アートに求められるもの

さて一方、現代アートに対してはどうなのか。前提として繰り返すと、学術的価値がない作品は(現代)アート作品ではないよ!っていうことをこのブログではよく伝えています。クリエイションが全てアートではないこと、絵画が全てアートじゃないことを踏まえた上で。

上記で挙げたこと絵の上手さは、やはり技術面の話です。そしてかなり表面的な技法についての話だけですね。

よしもうはっきり言おう!

現代アートに、そんな表面的な絵の上手さなんて必要ない。

もちろんちょっと語弊はあるけれど、そう思ってもらってもいい。
逆に伝えたいことは、画力に悩んでいる、そして絵が上手いかどうかを論点にして作品と向き合っている場合は、それは逆説的に現代アートではないんです。ちょっと言い方を変えると、現代アートにそれは今、求められていません。

 

Interview mit Katharina Grosse

“Die Idee von Vergangenheit, Gegenwart und Zukunft verschwindet” – monopol Magazin für Kunst und Leben-

(現代アーティストの画像はまだ著作権がわからないので、雑誌のサイトのスクリーンショットを)

例えば、今年1月までベルリンの美術館で展示があった、今ドイツで大注目の現代アーティスト、Katharina Grosse (1961- カタリーナ・グロッセ)を見てみる。彼女のコンセプトはわかりやすく言えば絵画のキャンバスからの脱却。新しい空間表現やインスタレーション性のある絵画として新しい価値を持っている絵画です。

もちろん彼女の作品の中に、たくさんのテクニックや色の選び方、使い方が盛り込まれているが、おそらくみなさんが思っていた「絵の上手さ」はこの中に入っていないんじゃないでしょうか。ただ彼女の作品が、世界中で評価を受けていて、とてもフレッシュな現代アートであることは間違いありません。

前回の記事でも伝えましたが、美術史の中で絵画の基本的な画力の高さ、静物を写実的に描くという点において、それ単体で評価が得られていたのは、印象派より前の時代で終わっています。もう、古いわけです。求められていないし評価対象ではないわけです。ドイツの美大は、驚くくらいデッサンがへたな学生が山ほどいます。入試に求められない大学もあります。

現代アートに必要なことは、学術的価値であり、史学的な価値です。つまり史学から見た新しさが一つの指標になっています。新しいから次のレベルに進んだということになります。そして文化を次に進めることが求められています。

彼女だけではなく、ゲルハルトリヒターのスキージーの作品だって、簡単に言えば絵具を伸ばしただけだし、トゥオンブリーの作品はクレヨンでぐちゃぐちゃってやっただけだった。けれどそれが現代アートの中で正解だったし、評価をされたわけです。

 

現代アートに求められること
絵画に求められること

わかりやすく言えば現代アート・ファインアートはそういう一つの枠です。絵画とか、彫刻とかの中の別枠。なので絵画に求められていることをファインアートの中でやっても評価されません。どちらが正しいということを話しているわけではなくて、画力よりも目を向けなければならないことがあるということが言いたかったんです。自分の作品の中に、現代アートとしてのコンセプトの中に画力もいる作品だったなら、そりゃもちろん画力が必要です。ただ闇雲に、全ての絵画の現代アートに画力が入らないという暴論を唱えるつもりは全くありません。

ただ画力さえあれば評価される時代はもう100年前に終わってる。

あなたの作品が、絵画に止まるクリエイションなら、それは素晴らしい技術で評価されるべきものなのは言うまでもないです。絵が上手いことはすごいことです。それを目指すことを止めなさいなんてことが言いたいわけではありません。

ただもしあなたが現代アート・ファインアートの枠の中で、絵を描くのであれば、画力よりも必要なことがあることを知って欲しいなと思います。

絵画として基礎力としてデッサンを求められるのはわからないでもないけれど、必ずしも正しいのかというのは疑問があります。
実際ドイツの美大入学にはそんなに求められないし、オランダだってイギリスだってそうです。アジアの大学は求められる印象があり、作家の作品も似ていて、表面的な技術を押す傾向にあります。コンセプト力や、ここでいう学術的な価値が足りない作品をの価値を高めようとすると、どうしても外観=画力を、作品の表面的なクオリティを求めるほかなくなってきます。

見方によれば、作品の表面を素晴らしくしてしまうと、それは逆説的に「作品の中身が薄いこと」を露呈する可能性が出てくるということになります。ただこれは極論というか暴論で、決して画力を見せることが悪い結果をもたらすわけではなく、前述したとおりコンセプト上に必要な場合はなんの問題もなければ、むしろ画力が必要な話になります。
ただ事実、表面的なクオリティのみを追い求める作家も非常に多いわけで、それに紛れてしまうことは否め無いことかなと思います。

 

絵画と呼ばれるものが、全て「アート」にはなり得ません。クリエイションであることは間違い無いのですが。それは別に写真でも、彫刻でも同じです。なので絵画の画力を極めていく、ということだけに着目すると、その行動やベクトルはどちらかというと工芸の分野に近くなっていくような気がします。

制作において
個人的に気をつけていること

上に挙げたことにも繋がってくるのですが、絵のうまさ、かっこよさ、おしゃれさ、綺麗さ、エモさのような画力に繋がることを、私は個人的に作品の上に持ってこないようにしたいなと思っています。大切なのはコンセプトの部分なので、やはり作品を見る人が、上のような感覚を先に掴んでしまうと、思考を止めてしまうことが多々発生するからです。
上手い絵を見ると、「上手い!」という感情が先に芽生えたり、そこがその作品の持つ性質なんだと誤認され、作品の中身に目を向けられない可能性が出てくるということです。
逆に訳のわかんないものを見ると、「このアーティストは何を伝えようとしてるんだ。。。?」という流れになりやすくなりますね。

絵のうまさというのはそれだけを見れば、辿り着くのはあまり難しい話ではありません。日本の美大を出たような人ならデッサンなんて入学時にでさえ描けないと始まらない訳です。グローバリズムが進む世界で、おしゃれなもの、かっこいいものというのは「トレンド」という名前に変わって、みんなが共通した感覚を持っていたりもします。なのでなんとなくそのようなものを作るということは簡単なことで、そして多くの人が似たような作品を作れてしまいます。私が作れるのであれば、あなたも作れるし、誰かも作れるということです。

・史学的価値を持たせるために、新しくなければならない。
・作品の中身・コンセプトが重要。
ということを求める時に、私は制作をする際はずっと

かっこよくならない様に、上手くないものを作らないと。。。

と思いながらずっと制作をしています。わかりやすい答えにすがってしまわない様に心掛けています。いくら頭で作品のことを四六時中考えていたとしても、やはりいざ手を動かしていると、ふとした時に楽な方に寄って行ってしまって、時間を開けて作品を見直して後悔するという様なことがあったりします。なので頭で反芻しながら制作していることが多いです。

 

 

ということで、今回は画力について色々とまとめてみました。
これはきっと絵画だけではなく、他の媒体にも当てはまるだろうなと思います。何がアートで何がそうではないかということに繋がりますが、何を求めて制作をしているのか、作品を通した先に何をみているのか、どの部分での評価を求めているのか、ということを考えながら制作をしていくと、作品に必要なものが見えてくるのかなと思いました。

 

Masaki Hagino
Web: http://masakihagino.com
Instagram: @masakihagino_art
twitter: @masakihaginoart
Podcast: ART -アートトーク- (Spotify)
Clubhouse: @masakihaginoart
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【美術史解説】セザンヌの林檎から振り返る絵画の空間表現 http://mskham.com/2021/01/02/post-525/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-525 http://mskham.com/2021/01/02/post-525/#respond Sat, 02 Jan 2021 10:42:00 +0000 http://mskham.com/?p=525 今回は美術史の一ページを解説していこうと思います。絵画にとっては、空間表現が非常に重要。
私の作品のコンセプトの中心は、「空間表現」というものが非常に大きな部分を占めています。現在はそれに脳科学や心理学を応用して、「主観性・認識性」と組み合わせている状態です。空間表現を始めるようになったきっかけは、2010年頃、アメリカ留学から帰ってきて、美術史を勉強するようになった時に、こんなポール・セザンヌの一言を見つけたことがきっかけでした。(今手元に日本語の本がないので意味だけざっくりというと、)

画家は静物を、例えばコップの縁を楕円で描くが、コップの縁は正円であって、楕円ではない。
つまり画家たちはずっと分かっていて、嘘を描き続けている。

当時は写実主義から、印象派が台頭してきた時代。見たものをどう描くかということにまだフォーカスを当てている時代に、見えているものそのものに疑問を投げかけた人物です。今回はそんなセザンヌの空間表現について。彼が何に対して「嘘」と言ったのかを見ていこうと思います。

と、その前にざっくりと絵画を通して見た美術史の流れをおさらい。

 

印象派までの絵画

この記事で、写実主義のこととミレーについて少し取り挙げていますが、まずは印象派の前後の美術史について少し知っておく必要があります。遡ると印象派の前は写実主義(レアリズム)、その前は新古典主義とロマン主義、その前はバロック・ロココなどになります。絵画にとっての時代の流れを話をざっくりと解説。特に描写の「真実性」を観点に見てみましょう。

ルネサンス(1300年前後頃〜
ダヴィンチについての記事で、ルネサンスについて触れましたが、最初は識字率が低い世界で、聖書が読めない人にキリスト教の布教のため、聖書の内容を描くことが始まりました。当時は宗教が力を持っていた時代。絵画の技法も成熟してきた時代です。神々を描くわけですから、もう完璧な肉体美で描かれています。つまり別にそれを見て書いたわけでもないので(神々なので)、描写の真実性について言うと「嘘だらけ」の構成ですね。なぜならば内容を伝えることがメインの、道具としての絵画だからです。さらに言えば偶像崇拝は禁止で、上の理由の為の特別アイデアなので。

バロック絵画・ロココ絵画(1500年頃〜1700年頃〜)
ギリシャ神話などを題材にすることもまだまだありましたが、どんどん貴族が世界を台頭するようになったこともあって、宗教中心の絵画から、貴族の絵画に変わっていきます。劇場の一コマのようなドラマチックなシーンだったり、劇的なアングルやライティング。優美さや官能的な描写が好まれるようになります。貴族の依頼で描くことがメインだった画家たちは、もちろん貴族を美しく描く必要があるので、まだまだ嘘ばっかりの装飾や、身体の構造だったりがあります。まだ天使とか宮廷に飛んでます。

新古典主義(1700年頃から)
バロック・ロココのアンチテーゼとして、もう一回古典的なちゃんとした絵画を見直そう?と始まったムーブメントです。装飾や劇的な描写は減って、解剖学的なデッサン力などを求めていきます。この辺りから見えるものをいかに丁寧に描くのかということ、つまり「写実性」という考えが広まっていきます。アングルの『グランド・オダリスク』があんなにも素晴らしい絵画なのに、背中が長いということで大批判を浴びたことは、この時代の画家たちが正確性を重要視していたことを裏付けていますね。

Jean Auguste Dominique Ingres, La Grande Odalisque, 1814.jpg
リンク
Jean Auguste Dominique Ingres, La Grande Odalisque, 1814

ロマン主義(1700年後半から1800年前半)
よく内容の部分で新古典主義と対立的に見られたムーブメントです。画家それぞれの感情や思想、個性などが描かれるようになった時代です。これまで宗教、貴族、古典と内容が決められていた主題を無視した初めての時代で、現代絵画の始まりになったような時代と言えます。よってかなり自由な構図やテーマ、シーンが多く、写実的とは言い難い描写も多いです。ただ人物などのデッサン性は優れており、絵画としての「クオリティ」の部分は非常に高いと言えます。

写実主義(1800年頃から)
「なんか今までいろんなテーマとかで、美化したり、ドラマチックに誇張したり、いろいろあったけど、そんなんやめて現実そのまま描こう」となったのが写実主義。「見たまま」を丁寧に描いているわけなので、デッサン性ももちろん優れていますが、デッサン性と言う意味での「写実」という意味合いよりも、内容として「美化しない、現実そのまま」を描こうという、内容の写実を優先した時代です。ただこの19世記にに発明された写真の技術が爆速で進化したことによって、肖像画家の立ち位置が「肖像写真家」に奪われていってしまいました。

 

さて、見えるものを瞬間に、完璧にコピーできちゃう写真技術が生まれてきた結果、
画家たちは今後どこに向かえばよいのか…??

はい、ここまでが今回の前提です。
おさらいすると、
聖書の内容を描かないといけないルネサンス
貴族を豪華に描かないといけないロココ・バロック
いや、やっぱり古典に忠実になろうとした新古典主義
一方、思想、感情とか自由に描いちゃおうとしたロマン派
現実そのまま美化せずに描こうとした写実主義

描写の真実性・デッサン性・写実性という言葉はいろいろ含まれています。内容の面なのか、場面を作る構成の面なのかetc.
これはなにがその時代にとっての「真実なのか」という命題が含まれているから幅が広がってしまいます。

ではここで写真技術にぶつかった画家たちが取った次の選択肢は?

印象派からの絵画

後に印象派と呼ばれる画家たちは、絵画を次の時代に運ぶために、いろいろと新しい要素を探しました。例えば写真というのは一瞬を切り取るものですが、人間が見ている世界は、常に「動的」です。動画が誕生するのはまだまだ先の話なので、印象派ではそういった水面の輝きとか、風の描写や、木々が揺れる様子などを取り入れるようになりました。空気感やテイスト、雰囲気を追い求め、そのため新しいタッチが生まれたりもします。色の研究をして、人間の目で、脳で見ているもっと鮮やかな世界を絵画に取り入れようとしたり。これまでの絵画とは打って変わって、デッサン性とか遠近法とかをもう無視して、感覚的に「印象的な」絵画を描き始めました。この印象派の「感覚的な」絵画が今もなお日本で人気であり、日本で「アートは感性」みたいな認識を植え付けているように思います。ちなみにジャポニスムという日本の絵画も、同じくフランスに上陸し、評判を得るようになってきた時代です。ゴッホが浮世絵に影響を受けていたのは有名な話ですね。ロートレックやマネも同じように、画面枠で物体を切り取るような構図を取ったり、手前と奥の遠近感ではなく、上下や斜めの遠近法を使うのは日本絵画の特徴でもありました。躍動感を付け加えるために、描ききらない(描き残し)があったり。いろいろな技法や新しい構図、新しい絵画的なテクニックがどんどんと生まれます。

上の箇条書きに付け加えるように書くとしたら、印象派の絵画は

人間の五感や感性などのフィルターを通した世界観を描く時代

でした。
ここで大切なのは印象派を含むここまでの絵画は、人間の目で見た世界を元に描かれているという事です。それぞれの時代で描写の真実性についての信念の差はあったとしても、元に描かれている人物や静物たちは、ある程度は「モチーフを見ながら」描かれたものです。

そしてキュビズムに進むこのあと、セザンヌとピカソたちが考えた次の絵画は
「人間の目を通さない、世界そのもの」をどう描くのかということでした。

長くなりましたが、やっと本編へ。

まずは簡単にセザンヌの人物紹介

のちに「近代絵画の父」なんて呼ばれるポール・セザンヌPaul Cézanne, 1839-1906)はフランスの画家です。なぜ父と呼ばれたかというと、印象派のメンバー、ピサロ、ルノワール、モネなどのメンバーと親交がありました。よくセザンヌのアトリエに訪ねてきては、作品談議をしていたのだとか。印象派というのは、のちに説明をしますが、みなさんもよくご存知のモネを筆頭とする錚々たるメンバーが集まって、展覧会「印象派展」を始めたことをきっかけに活動して行ったムーブメントでした。ですがセザンヌはその印象派展に二度参加をするも、評判はよくなく、パリから故郷の南仏エクス・アン・プロバンスに移住し、そしてのちに後期印象派と属され、あのピカソに影響を与え、キュビズムの走りともなる独自の空間表現を模索していきます。

セザンヌの空間表現

先に答えを書いてしまうと、セザンヌが行った事は、数百年前から続いたレオナルド・ダ・ヴィンチが作り上げた「一点透視法からの逸脱」です。遠近感というのは、わかりやすく言えば人間の目が起こしている錯覚です。手前のものが大きく見えて、遠くのものが小さく見えるというのは、観測者がいての話です。冒頭に挙げたセザンヌの言葉も、人間の視点が存在するので、コップの縁が正円から楕円に変形します。デッサン性というのは、「人間の目に映る(人間が認識する)物体を正確に平面に再現する」ことを指します。
ということで、セザンヌが試みたのは「多点透視法」です。テーブルは上から見て描いて、ジャーは低い視点から描いて、これは右から、これは左から.. なので陰影法も複雑なものになっているのが見て取れます。

 

Nature morte aux pommes et aux oranges, par Paul Cézanne.jpg
ポール・セザンヌ – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる
『リンゴとオレンジのある静物』1895-1900

 

Paul Cézanne, The Basket of Apples.jpg
Paul Cézanne, The Basket of Apples, 1895 リンク

 

セザンヌの林檎やコップ、ジャーをモチーフにした作品はいくつかあります。
上の作品では、真ん中の器(なんて名前だっけ)は、人の身長ほどの視点からのパースで描かれていますが、その左下のお皿はかなり高い視点で描かれているのがわかります。同じようにそれらが置かれているテーブルもかなり上からの視点なので、全体を見ると、真ん中の器やジャーが滑り落ちてしまうほどの斜面になっているのがわかります。
下の作品では、机の右側と左側の線の高さが一致しないのが見て取れると思います。つまり描いている視点が違うということですね。

このあとキュビズムが始まっていきますが、セザンヌのピカソたちがやる事との大きな違いは、多点透視法でずれた描画をうまく繋げて、歪んだ絵にならないように再構築を心がけたことです。この部分が後にピカソに「そうあるべきではない」とアンチテーゼを取られ、ピカソはキュビズムをさらに展開していきます。セザンヌはこの布や物体をうまく使い、視点の歪みを隠しているのが見て取れますね。下の絵では机の端の線が、物体で隠されているのがよくわかると思います。
キュビズムの観点から見ると、「セザンヌ的キュビズム」「分析的キュビズム」「総合的キュビズム」と、三段階に分けられたりもして、世界を分析・解体・構築していくことでさらに複雑化していきますが、話がどんどん伸びていってしまうので、今回の記事ではキュビズムまで全部解説はやめておきましょう。

 

絵画の空間表現について

絵画というのは、平面の上に立体の世界を描いていて、観察者は中の世界を立体だとちゃんと理解できています。それはなんでかと言えば、空間表現が平面上で行われているからです。こうしてルネサンスからの絵画を見てみると、空間表現においての”写実”は大きく変容していることが分かります。中身は何を描いていたのか、それにおいて外から何を求められていたのか。アンチテーゼがあってそれぞれの時代で、描いている”写実”の内容は変わりますが、それぞれの真実を描いてきました。

このあと、DADAがあって、シュールレアリズムが来ますが、精神世界での写実世界を画家たちは表現していくことになります。同時期には抽象主義や表現主義もあったりします。美術史をこうして流れで見てみると、絵画が何をしなければならないか、という命題に画家たちは常に向き合っていることが見て取れます。
セザンヌが行ったことは、美術史の中で非常に大きなことだったと思います。数百年続いた一点透視法からの逸脱と、「世界」の捉え方は非常に新しいものでした。

私が学部生の頃に出会ったのが、このセザンヌの作品についてで、卒論の研究のメインだったのがこの辺りでした。このあとさらにホックニー、マグリットと、デュシャン辺りを追加で研究した形です。
ドイツでDiplomをやっていたときの研究(修士論文)は空間表現に美学を取り入れて(ヒュームとカント)、そして現在は脳科学を足して「主観性」についての制作研究を行っています。
需要があれば自分の研究についても解説しますね。

 

 

ということで今回はセザンヌをベースに、絵画の空間表現についてまとめてみました。
本当はこのままモランディと、キリコまでやっちゃおうかと思ったのですが、それこそ論文的なアプローチになってしまうので、ここで区切ろうと思います。

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http://mskham.com/2021/01/02/post-525/feed/ 0
つよがりから始まったひとつの人生 http://mskham.com/2020/12/23/post-515/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-515 http://mskham.com/2020/12/23/post-515/#respond Wed, 23 Dec 2020 10:29:51 +0000 http://mskham.com/?p=515  

「わかってるよ。」

僕が今こうして、ドイツ・オランダにまで来て、表現する果てのない道を歩いている理由は
たったひとつの、”知ったかぶり”から始まっている。

当時20歳だった僕は、大学でグラフィックデザインを学んでいたのだが
ふとした教授の一言が原因で、デザインに飽きたと言ってもいいような感覚を覚えた。
決して力作とは言えなかったものの、教授に作品を見せたところ、彼から返ってきた言葉は
「これじゃぁさ、売れないよね」
だった。この一言で、僕はデザインというものに、面白味を味わえなくなってしまった。心の中で何かが音を立てて崩れる、とはこういうことをいうのかもしれない。
良いか悪いかではなくて、売れるか売れないかでしか判断されない世界では、やっていきたくないなと、そう思った。

その数ヶ月後、僕はアメリカでカメラを抱えて立っていた。

 

 

 

デザインではなく、絵を描いてる、アメリカ帰りの不思議な教授が
うちの大学にはいた。彼の紹介で僕はアメリカの写真家を訪ねていた。

20歳の僕は、アメリカでなにをすればいいのかもわからないまま、
アートのことなんて何ひとつ知らないまま、そこに立っていた。
そんな僕に、写真家のLonnieは聞いた、
「what do you want to do here」と。
ぽかーんとしていた僕に彼は、写真集を作ってみることを提案してくれた。

ここからの3ヶ月、文字通り毎晩、僕は涙を流した。
英語も満足にできない僕は自分の不甲斐なさと戦い、毎日ベッドの上で目に見えない敵に泣かされていた。
何かを成し遂げなければならない、そう自分に課したプレッシャーに押し潰されていた。

Lonnieは僕によく質問した。
「なんで写真を撮るんだ」「何でこの写真がいいと思うんだ」
「じゃぁなんで表現したいんだ。」
絞り出した中身の詰まってない答えを彼に献上すると
彼はそれを突き返してさらに質問をした。そして僕は黙るしかなくなって、彼の前でもみっともなく涙を見せた。

僕は生まれた環境のせいか、一人で物事を「考えること」に長けていると、そう自負していた。
ただそんな謎めいた自信を持っていた僕は、彼の質問にこれ以上答えられず
結局彼の前で何度も悔し泣きをしたのを覚えている。

僕はそれから、「考えること」を学び
毎日街で写真を撮りながら、「考えること」をしていた。
なぜなんだろう、答えのない数式を突き出されたような気持ちで
僕は毎日考えながら泣いた。その答えはいつしか

「なぜ表現をするという道の上で生きていたいのか」

というところに、行き着いてしまっていたからだ。

結果、自分を見失い、たくさんの「なぜ」という言葉に負け、
心を弱らせていたところに、憧れだった先輩が別件でアメリカに来ていて、
同じくLonnieを訪ねてきた。

その日の夜、僕は彼女と2人で話をしていた。
事の発端は、彼女の持っていた筆箱だった。
凛としている、と形容できる猫のような鋭い目をした彼女に
僕はいろんな強がりと知ったかぶり、嘘を塗り固めて防御体制だった。
しかし彼女の目はそんな僕の強がりという防具をあっさりと破壊し
僕は、彼女の前で自分の惨めさを知り、また涙を流した。アメリカに来てから泣きっぱなしだ。

グズグズしている僕に彼女は
「今からでも何も遅くなんかない。
日本に帰る前にできることはあると思う。」
と、言ってくれた。
そして鋭い嫌悪が見え隠れしているような彼女に、僕が言い返せた言葉はたった

「わかってるよ」

という、精一杯のつよがりだった。

泣き顔をこれ以上見られまいと
ソファーで灰色のブランケットを頭までかぶり、小さくなりながら
彼女が寝た後も僕は声を殺して、またも涙を流した。かっこわるいったらない。

 

・・・

 

人生で初めてとも言えるような挫折を味わっていた、そんなアメリカでの生活の中で
Lonnieの計らいで、僕は世界中で有名なテキスタイルの美術館で仕事の手伝いを特別にさせてもらっていた。
そこでartistの手伝いや、美術館調査としてNYにつれて行ったりしてもらった。

そこで、artについて何も知らない僕は
一つの大きなことに気づいていた。

アメリカのartistの言っていることがわからない。

彼らは、大学などで美術史をとても勉強してきたようで
日本の大学にいた僕は、彼らがコーヒーブレイクの中、話にあげる過去のartistを知らなかった。

 

ちょうどその頃の僕はやっと撮り溜めた、自分で現像したフィルムをLonnieの書斎で夜な夜なスキャンしていた。
彼の書斎は図書館の写真コーナーよりも、写真集や関連書が並んでいた。
考えることをやっと始めた僕は、彼にとって生まれたてのひよこのような存在だったのかもしれない。

「この本、少し自分の部屋に持って行って読んでもいい?」

ロバートキャパの写真集を抱え、そう聞いた。
なにやらモノクロの古いアートフィルムを見ていた彼にそう聞くと
彼は目を輝かせて、頷きながら、こっちにきて
「Sure, Mr.Masaki」
と言いながら、僕の肩に手を置いて、ぽんぽんっとした。

翌朝彼は、そういう競技があるかのような、いつものスピードで書斎とキッチンをばたばたと往復しながら、
「写真集はどうだったか」と僕に尋ねた。
うん、よかった。と、当時の英語では、その時の感情を伝えきれずにいたが
彼は何かを察して、嬉しそうにニコニコしながら、家を出て
砂埃を巻き上げながら、車を飛ばして出かけていった。

その日の夜から僕の部屋の前には、
彼がチョイスした写真集が、毎晩数冊ずつ、書籍から運ばれ
どんどんと積まれて行った。
定期購読している写真集ジャーナルが届くと、
彼は封を開ける前にそれもまた、今にも崩れそうな本の山の一番上に積んだ。

その日から僕はその廊下に積まれた本を
メモを取りながらよみはじめた。
大学の図書館にも、街の図書館にも通った。

そして美術史を学ぶことを始めた。
美術を学ぶことを始めた。

考えることを始めた。

 

Lonnieは優しい人だったけれど、厳しい人でもあった。
教えてほしい質問には、何一つ答えてくれなかった。
ただ、離れた場所からたくさんの「why?」をぶつけてくるだけだった。
そしてそれが何よりの道標だった。彼の優しさが詰まっていたと思う。
作品の中では、何一つの妥協を許さない、全てのことを言語化できる必要がある。

いつだったか、何度目からの彼のwhy?に答えられなくなった時に
耐えかねて、彼に「それに答えなんているの?」と聞き返したことがった。

「その答えが必要かどうかは、自分で決めれば良い」

と、結局彼は僕に答えを教えてくれることは一度もなかった。

 

僕がアメリカを去る前の最後の夜。
彼は僕が作った写真集の最後に、一言書いてくれた。

「See True」

と。

・・・

あのアパートメントの角部屋の一室で、僕は何度涙を流したんだろうか。
朝6時頃になると、外にある大きなビルの窓という窓が光を反射させ
無音の部屋に光をこれでもかと言うほど押し込む
少し大きめなベッドが二つある、孤独な小さな世界が広がる部屋だった。

あの部屋で泣いていた頃から12年が経った。そして今オランダでひとり、作品を作って生活している。
あれからどれくらい成長したのかは計ることはできないけれど
少しでも何かが変わっているといいなと、心から思う。

 

 

*6年前に書いた日記の文章を見つけたので
少し加筆して掲載してみました。

この滞在時で作った作品集はこちら
https://www.masakihagino.com/intimacy

初めて海外生活で触れた、アメリカ人の「愛情表現」に感動した。
今となっては、出来が悪い作品だけれど、初めて作った芸術作品だった。

Lonnieは
「枚数を増やすために、クオリティが足りない写真もちらほらある。
けれど初めてで、そして知らない土地で、よくここまでできた。A+はあげられないけれど、
期待を込めてA-だ。君はきっと良いアーティストになれる」

と言ってくれた。12年経った今でも、一字一句覚えている。

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http://mskham.com/2020/12/23/post-515/feed/ 0
【ドイツ美大受験】マッペの作り方と、美大受験について【保存版】 http://mskham.com/2020/10/28/post-507/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-507 http://mskham.com/2020/10/28/post-507/#respond Tue, 27 Oct 2020 17:53:27 +0000 http://mskham.com/?p=507 今回も質問を頂いた内容から、記事を制作しています。今回は美大受験のあれこれ!
(こちらから匿名で、質問を募集しています! https://peing.net/ja/masakihaginoart

そろそろそんな時期か、と思い出しましたが、記事にするには数ヶ月遅かったかも知れません。とは言ってもドイツ美大の受験時期はわりと大学によってばらばらで、3月くらいが締め切りのところがあったと思うので、そこらへんのところも踏まえて話を進めていこうと思います。
ドイツ美大受験とこのマッペ(ポートフォリオ)についての記事があまりないので、今後受験を控えている人、ドイツ美大留学を考えている人になにか役立てば幸いです。私は最終的には絵画学科の教授のアシスタントの補佐をやっていたので、応募学生の作品集のアドバイスや、保護者や応募者説明会に出たりもしていたので、参考までに。

注: 私は絵画で受験をしていたので、デザイン系や、彫刻系、映像系とかとは受験内容や提出内容が違うので、その辺りの情報の差はあらかじめご了承ください。

先に記述しておくと、ドイツ美大留学に必要なドイツ語レベルは、B2-C1レベルです。認められたドイツ語試験(Telc,DSH,TestDaF etc.)の結果を、受験の際提出する必要があります。

 

ドイツ美大のシステム

ドイツの美大は、Universität, Kunsthochschule, Kunstakademieなど、大学の形態の名前がいくつかありますが、いろいろ時代の流れとか名称の関係らしいので、現在では基本的にはドイツにある美大のほとんどが、日本でいう国公立の美大という認識で大丈夫だと思います。(実際はもちろん違うはずですが、学費とかの面で学生側からみると、という意味合いで)ですので、ほとんどの大学が通常の大学のように学費は無料で、雑費や街の公共交通機関の定期券代などの支払いが、一学期に数万円あるだけです。留学生ももちろん同じです。
大学の一覧等があるサイトを載せておきますね(https://studienwahl.de/studienfelder/kunst-musik/kunst) (動画の上にある緑のボタンを押すと、大学一覧が出ます)

受験当時私が悩んだのは、大学のシステムの差でした。Bachelor-Master制度(学部、大学院)を採用している大学があまり多くありません。(ベルリン美大UdKとか)多くがDiplom(ディプロム)と呼ばれる少し昔の制度がそのまま使われています。これは五年一貫制でMaster大学院相当の学位になります。

Meisterschülerについて

そしてこれがややこしいのですが、英語でMasterはドイツ語ではMeisterになりがちで、ここで浮かび上がるのがMeisterschüler(マイスターシュラー)という学位です。当時私はめちゃめちゃ勘違いをしていて、これがドイツ語でいうMasterの学位だと思っていて、日本で学位を持っている私は大学院に行けばいいかーと思ってたのでMeisterschülerになりたいです!とかって教授にメールを送っていましたが、これはおそらく不可能というか制度的に無理だと思います。(まぁドイツは教授がオッケーっていったらオッケーなので、例外はありそう)
MeisterschülerというのはDiplomの後、特別に選ばれた学生が行える博士号に近いような学生の称号です。詳しくいうと学生ではなくなります。(私が通っていた美大では、Meisterの人は学生書ももらえないし、健康保険とかも学生料金ではなくなりました)これは毎年募集があって応募して試験に合格すればいいという入口が用意されているものではなくて、教授が自分の弟子にしたっていう称号をかけて、選んだ学生に許可を与える非常に特別な称号です。教授会にかけられて許可されないといけないとかって話です。ですので長い教授人生でもMeisterschülerを数人しか取っていない人もいれば、毎年一人とる教授もいます。他の大学を卒業した学生を取る人もいれば、絶対に自分の生徒だった人しか取らない人もいます。なので、Meisterschülerについては名誉学位みたいなものだと思ってください。

 

受験時期や応募要項(Bewerbungsvoraussetzungen)について

日本の美大のように、応募時期がだいたい決まっているわけではなくて、9月-3月頃の範囲で大学によって応募時期も内容も様々です。ちなみに大学はWintersemesterから始まるので、10月から始まります。なので結構早めに募集要項を確認しておいてください。早いところは夏頃に書類審査の締め切りがあります。
ドイツ美大受験最初の難関は、ドイツ語の応募要項を理解するところから始まります。必要書類や学費も大学によってバラバラなので気をつけてください。応募に必要な作品集や実技試験についても細かな取り決めがあるので注意してください。ドイツ風の履歴書も用意しましょう。

ほとんどの大学は、応募の段階で【書類と作品集を提出】、そして一次審査通過後(数ヶ月後)【実技試験と面接】の流れだと思います。大学によっては面接と作品集のみのところもあるし、当日に書類審査のあと、午前中に作品集を提出して午後に発表、そのまま実技が数日間始まるところもあります。

ここで注意してほしいのは、提出する作品集(マッペ)はほとんどの場合が、原本(作品のオリジナル)です。「2年以内に制作したもの」という制限もあります。マッペについては次で詳しく説明しますが、オリジナルを提出するのでポートフォリオバックごと送ったり、ダンボールを組んで送ったり運んだりしなければなりません。作品のサイズ規定も、持ち込める&送れる枚数も様々なので注意してください。なのでキャンバスの作品は難しいので紙媒体になってしまうこともあると思います。

そしてもう一つは、送った作品集と書類は忘れた頃にしか帰ってきません。ドイツのそこらへんの適当具合には慣れるしかありません。数ヶ月後のこともありました。ですので原本を送ることと、このことを掛け合わせると、わかる答えは「一年にいろんな美大に応募できない」ということです。作品集は多いとこだと20枚30枚とかだったりました。その枚数をひとつの大学に送ると、別の大学の応募締め切りにその作品たちが帰ってこないということもあり得ます。なのでたくさん応募する場合は計画が必要です。
大学によっては、持ち込みのみ受け付けることもあるので、車をレンタルして大きな作品を5点当日に運ぶ、というケースもあります。

実技試験は数日に渡り、ここらへんの日本の美大と変わらないと思いますが、デッサンとか造形とか基礎力の試験だと思っていいと思います。面接は作品集の説明とか大学に入って何がしたいとかかなと思います。

 

マッペ(Mappe)の作り方について

さて、ここが本題になります。作品集のことをドイツ語でMappeといいますが、基本的には原本、作品のオリジナルを指します。写真を撮って印刷したものをファイリングしたものでは足りないと言われることが多いと思います。大学によってはもしかしたら逆に原本を受け付けないこともあるかも知れませんので、注意してください。
質問でいただいたことにも共通しますが、悩むのが「どんな作品を入れればいいのか」ということです。デッサンとか、スケッチを入れるべきなのか?いろんなバリエーションを持たせるべきなのか?額とかは?などなど。

具体例を挙げにくいので、アドバイスとして概念的なものを先にお伝えします。見せるべき点は
1.「大学に入ったら、こういう方向で作品を進化・深化させていきたい」ということがわかる内容。
2. ただ趣味の延長で、絵を描きたい・物を作りたいではなく、「研究をしたい」というモチベーションが見える内容。
3. どういった道なりでここまで来たのか、というプロセスが見える内容。
4. 完成されきった内容ではなく、伸び代が見えるような内容。

以上を理解してもらえれば、きっといいマッペができると思います。
最初にも書きましたが、応募学生の作品集にアドバイスをする機会が何度かあったので…ダメなマッペを逆に説明します。

一つは内容がバラバラすぎるマッペ。
自分のいろんな可能性を見せたいがために、提出限界の20枚の中に、デッサン、スケッチ、色面構成、人物画、風景画、抽象絵画、具象画、木炭画・アクリル・油彩etc… と、ありとあらゆるものを放り込むパターンです。予備校っぽいものとかに入ったのかな、そこでいろいろやらされたのかなと思う内容ですが、これが一番ダメです。
のちに実技試験があればそこで基礎画力はわかるので、別に画力をマッペで見せる必要はあまりありません。力を見せるのではなくて、「作品の内容」を見せるのがマッペです。これは上で挙げた 1. 2. に全く当てはまりません。絵をこれくらい描けますということをアピールしているだけで、「どういう作品を作っていきたくて、今後入学したらもっと研究していきたいです。」が見えてこないのはNGです。

二つ目は、内容が定まりすぎているマッペ。
これは当時の私の最初の方のマッペでした。日本の卒業制作で作った作品を作り直して規定枚数ほとんどをその作品群で見せにいきました。上で見せたようにこれだと伸び代が全く見えません。何がしたいのかはわかったとしても、もう出来上がってるのでこのままやれば?っていう話になってしまうので、事前のアドバイスの時に「君はアーティストとして完成している。作品も悪くない。大学に来て学ぶ必要はない」と言われてしまいました。まとまりすぎて、バリエーションもないマッペは横から見てると1つを提出されたのと同じ意味合いを持ちます。20枚の作品提出上限のところ、1枚だけを出されたように感じます。なので研究をしたいというモチベーションがわかりにくいです。教授はこれからもっと学べる、やる気のある、伸び代のある人を取りたいと思うはずです。なのでメインの作品シリーズを出すことは間違っていませんが、それだけで固めてしまうのは良くないと思います。

三つ目は、作品になってない物ばっかりのマッペ。
スケッチみたいなものや、漫画とかイラストみたいなものを描いたものです。まずは作品と呼べるクオリティに仕上げてあることが条件です。作品の大きさもできれば規定ギリギリの大きさの方が印象はいいかなと思います。(サイズに意味がある作品でないのであれば)ちゃんと描き込んで、ちゃんと見せれる形のものにします。適当な紙に描いてあったりとか、ペラペラだったりとか、描きかけだったりとか。意味のあるアクリル絵の具での絵画ならいいですが、絵画としては技法とか画材・素材への意識は大切です。適当なアクリル絵画よりは、しっかりとした油彩の方が印象はいいのはなんとなくイメージはわかると思います。(もちろんアクリルがダメとかっていう話ではなく)とにかく作品と呼べるレベルまでは整え、作り上げるようにしましょう。

ということで、内容にある程度バリエーションを持たせ、かつ自分のメインの作品シリーズを見せつつ、そこまでの努力やプロセスを見せつつ、内容的に完成仕切っているわけではなくても構わないが、一枚としてはちゃんと完成しているものであるとよいです。

ここで裏技っぽいことを一つ。デッサンとか、過去の作品とか展示の写真とか、そういうものは画像を印刷してファイリングして、マッペの中に放り込んでおいてください。それで1点として換算しちゃって大丈夫です。これは作品集とは別です☆みたいな顔してさらっと過去のいろいろをがっつりいれとけば大丈夫です。もし面接の時に違反だよ?とか言われたら「じゃあ換算しないでいいです」と言えばいいし、それ以外の点で合格ラインだったら、そのファイルのせいで落ちることはないと思います。応募規定にそれは違反だと言及されていたりしたらもちろんやめてください。私は日本の学生の頃にやった石膏デッサンとか、過去の写真の作品とか、これまでの個展・グループ点の様子などなど、これまでこういうことをしてきたよっていうことを見せるファイルを一緒にいれてました。面接の時にそのファイルも教授たちは回し見て、その中のものについて質問があったりもしました。(規定では過去2年以内の作品のみ受けつけると書かれていても)私が教授の立場だったら、気になる学生なら画力だって見たいし、過去どういう努力をしたのかを見たいです。

 

合格の確率を上げる方法

応募やマッペとは別の話で、そしてこれが一番と言えるほど大切な、大切な工程がもうひとつあります。それは応募よりも前に教授と事前面接をするということです。この大学のこの教授のところにいきたいと思ったら、応募の時期の前に、作品集を持って教授と事前に面接をして、「顔と作品を覚えてもらう」ことが大切です。これをやるとやらないとでは、合否の結果に非常に差が出ると思ってください。試験のときの面接は時間制限もあるし、各学科のいろんな教授を前に、いろんな質問があります。ですので事前にじっくりといろいろ話せる機会を設けましょう。

面接の時期は、受験の2、3ヶ月前がいいと思います。7月末から9月末、クリスマス付近、2月3月は休みの時期なので教授には会えません。ですのでその時期を除くといいです。わりと面倒がられるので、うまく入り込む方法を考えます。

方法ですが、結構ややこしいです。ホームページに載っている教授のアドレスとかには、おそらく返事が返って来ません。学科には教授のアシスタントと、学生のアシスタント補佐や学科リーダーのHIWIと呼ばれる人たちがいます。まずはいろんなところから、これらの人たちの連絡先を手に入れて(HPに載ってることもあります)教授のアポイントをとれるところまでいきましょう。やる気をみせて、「どうしても事前に作品集を見てもらい、面接をしたいんです」と連絡をします。こういう自分からの見せに行く面接のようなことをドイツ語では「Vorstellungsgespräch」 などといいますので、メールの件名とか、お願いの内容は「Ich möchte einen Termein für das Vorstellungsgespräch bekommen.」みたいなことを伝えます。

ここで一つテクニックが必要です。ドイツの美大ではだいたい7月頃にJahresausstellungという、大学全体の合同展示会があります。アトリエとかキャンパスを一般にオープンして展示会を開きます。一般の方が見に来る、学園祭や卒展みたいな感じですね。この時に合わせてアポイントメントを取ると、教授に会える確率も上がるでしょう。

そしてもう一つは受験を考えている用に、大学はいろいろ企画があります。保護者も参加できる大学説明会みたいなので、オープンアトリエになっていたり、各工房も見学できたりします。そしてMeppenberatungというその大学に応募を考えている人のマッペを見せてアドバイスをもらえる日があります。これに行くこともおすすめしますので、まず大学のスケジュールを確認して、予約とかがいるかどうかを確認してください。教授、もしくはアシスタントがマッペを見てくれます。他の応募予定の人たちの前で見せて、その場で講評しますので他の人のマッペも見れると思いますし、ドイツ人がどういう作品を持って来ているのか、ドイツのマッペってどんなことなのか、教授がなにを聞いてくるのか、どう答えるのかいろいろ視察できる機会です。

ただし、私がおすすめしているのは、この受験予定者がたくさんいる中でのMappenberatungで、作品を見せるのではなく、個人的な一対一のVorstellungsgespächです。両方行けるなら行けばいいと思いますが、大切なのは圧倒的に後者です。ですのでMappenberatungがある近くに、メールで「アポをとりたいんですが…」と連絡すると「あ、じゃあMappenberatungにおいでよ!会えるのを楽しみにしてるね!」って終わってしまいます。ですので、時期をずらして連絡してください。Mappenberatungには行けないとか、どうしても個人で見て欲しいとか、いろいろ理由をつけるといいと思います。とにかくそれくらいVorstellungsgesprächは大切だと思ってください。顔を覚えてもらって、ゆっくりといろいろと面接をしてもらえるチャンスです。

そして面接(Interview)へ

事前面接にしろ、二次試験にしろ面接は避けて通れません、大切なのは、自信を持って話すことです。ハキハキと。
そしてこのブログではたくさん言っていますが、作品のコンセプトを口頭で説明できることが大切です。1分2分で、コンパクト自分の作品についてできるだけ学術的に説明できるようにしましょう。もちろん学生未満の方やまだはっきりとしたコンセプトがないような方は「こういう時代・画家に興味を持っている。だからこういう作品を作っていきたい。」とかでも結構です。そして「大学に入ったらこういう授業を取って、もっとこういうことを勉強して、作品のコンセプトを深化させていきたい。」とかっていう明確な「大学に入ってから、自分はどういうビジョンとモチベーションを持っているか」ということを話すことが大切です。完成しきっている必要はないけれど、ただなんとなくではなくて、できるだけ今できる細かな説明をするようにしましょう。
私も受験生や生徒を見る機会がありましたが、どの教授も「大学でどんなことを勉強したいか」そして「将来どんなアーティストになりたいのか」「どこまでを目指しているのか」を聞きます。ドイツの美大は各学科1年に5-10人程度しか生徒を取りません。ですので有望な人材を選びます。ただ絵がうまくてやる気がない人よりも、今はそうでもなくても、モチベーションとプランがある方を取るはずです。

面接でドイツ語に不安な方。
私は面接で聞かれるだろうなと思うことを自分で何十個もドイツ語で用意して、それに対する答えを事前にドイツ語でノートにまとめていました。語学学校の先生にチェックしてもらったり、ルームメイトのドイツ人にシュミレーション面接をしてもらったり、まだB2の拙いドイツ語だったからこそ、用意をして挑みました。暗記できればすればいいし、当日それを見ながら話しても別に文句は言われないと思います。ちゃんと用意して来たんだなと好印象なはずです。
ドイツ語をパーフェクトに話せる必要はありません。ただ、こと自分の作品についてと、美術に関するワードに強くなればいいんです。

・まず自己紹介、今までどんなことをして来たのか。
・教授たちはマッペを眺めながらなので、「Haben Sie irgendwas, über Ihre Kunstarbeiten zu erzählen?  作品についてなにか説明したいことはありますか?」と聞かれます。
・大学に入学したら、どんなことを勉強して、アーティストになるかビジョンはありますか?

この他にも自分の作品のモチーフについてだったり、技法についてだったり、いろいろと聞かれると思います。なのでたくさん準備しておきましょう。

 

 

ということで長くなりましたが、ドイツ美大受験・応募についてあらかたまとめられたかなと思います。
大学によっては、日本で学位を持っていると(Zweitesstudium)だと入学できない・しにくいというような大学もあります。(デュッセルドルフ美術アカデミーとか、ベルリン美大はよくそういう話を聞きます。実際は教授次第みたいなところはあるので、情報を集めてください。私はそういう話を結構聞いたので、そもそも受けませんでした。)

もし希望する人が入れば、ZoomやSkypeかLINEで、私とドイツ語でプレ面接みたいなのをしてもいいかなとも思いました。マッペの講評なんかも私でよければ…
希望者がいればメールなりSNSのDMで連絡いただければなと思います。

みなさんの受験がうまくいきますように!

Masaki Hagino
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みなさんこんにちは、Masakiです。

前回の記事でいろいろ悩んでいましたが、決断してから数日!
最低限必要な知識と機材を集めて、Podcastを始めることになりました。

番組名は『ART TALK -アートトーク-』です。
ここからそのまま聞けます…よね、大丈夫かな。

Anchorのリンクはこちら anchor.fm/masakihagino

Podcastとは?

Podcastというのは、わかりやすく言えば録音型のラジオ番組のことです。iPhoneをお持ちの方は、すでにiTunesの純正アプリ(紫色のアイコン)が入っていますので簡単に聞けます。ラジオ番組の収録だったり、英会話系だったり、ビジネス系など、様々なジャンルのPodcastがあり、なんとすべて無料です!(たぶん)新しいエピソードが更新されれば自動で更新されるように設定できます。Podcastを今まで使ったことがない方は、これを機に利用してみてください。本当に勉強になる、楽しい番組がたくさんなので、ぜひこれを機にPodcastにハマってください。PodcastはiTune以外にもいろいろプラットフォームがあります。Anchor, Google, Spotifyなどでも同時にアップロードされているので、(まだ反映に時間がかかると思いますが)お使いのアプリで購読をしていただければなと思います。

iTunes Podcast
https://www.apple.com/jp/itunes/podcasts/index.html

 

音声媒体の時代

iPhoneがイヤフォンジャックを取り払って、AirpodsというBluetoothイヤフォンで音楽を聞くことが数年前から始まりました。それを機にどんどんワイヤレスイヤフォンが出てきて、不便だと言われていたはずなのに、今やワイヤレスが普遍化してきました。
Youtubeが人気になりましたが、動画媒体は、結局スマホ画面の前にずっといないといけません。これでは別に有線イヤフォンを使っている時とあまり差がありませんでした。ですがワイヤレスが普遍化してきたことによって、今度は動画ではなく、音声媒体で「ながら作業」をしながら情報収集が始まってくる次の時代になってくると言われています。いざ音声で情報収集を始めるとかなり便利だということに気づきます。
別の作業をしながら、散歩とか、車の運転、通勤電車の中、料理中、入浴中、眠る前。普段は音楽を流していた場面で、私はもっぱらPodcastです。語学学習にも使えるし、Ted Talkとかで最新の研究について知ったり、睡眠前は小説の朗読を聞いたりもできます。

 

BlogとPodcast

これからは文字でじっくり伝えることができることはBlogで。長々と話せる内容はPodcastで。使いわけをはっきりするつもりはありませんし、内容が重複して連動していくと思いますが、どちらの利点も生かしていければなと思います。文章だとそれなりに時間がかかってしまうのですが、この感じのPodcastなら簡単にアップロードもできますので、更新頻度をあげていければなと思います。それにアーティスト仲間など、ゲストを呼べたりできればまた楽しくなっていくのではないかなと思います。
トークテーマのリクエストを激しく募集していますので、ラジオっぽく質問コーナーでもなんでも用意するので、皆さん是非コメントをお願いします。
Podcastの更新報告はブログではその都度していかないので、Twitterか、Instagram(のストーリー)で更新報告はしていくと思いますので、そちらもフォローまたは、各プラットフォームで登録の方をよろしくお願いします。

 

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