アーティストはなにを目指すのかという話

アーティストはなにを目指すのかという話

スランプに陥る時っていうのは、だいたい迷った時か、「目下の目標だったことをクリアしてしまった時」なんだと思います。燃え尽き症候群という言葉があったりもするけれど、これまで目指していた旗の麓まで来てしまって、次の旗がない場合どうすればいいんだろうという状態。
別にクリアした状態じゃなくてもそういったことは起こり得ます。その旗に向かっていてが正しいのかと疑問を持ったり、ただただ毎日の繰り返しに飽きてしまったり。なにを目指しているのか。という疑問。

夢に向かって頑張ってるね。と声をかけていただくことがあります。その度に思うんです、「あれ、夢ってなんだっけ?」と。自分でも確かじゃないのに、なんで周りが自分の夢の内容を知ってるんだろう?これはつまり、周りが思っている「アーティストとしてのステレオタイプな目標」というのが存在しているんだろうと思います。例えば有名になる、とか。
目標と夢は少し違う。5年先を見据えて常にいろんな計画を立てて動いているけれど、それは別に夢ではない。将来と名が付くほど先の未来に、自分は具体的にどうなっていたいかと聞かれるととても難しい。

少し前までは、「海外で本場のアートを学びたい」だとか「海外でアーティストとして生きていきたい」なんてことを考えていました。何が本場なのか、何がアートなのか、何がアーティストかなんてことを深く考えたこともないのに。そして現在海外の美大で修士を終えようとしていて、そして作家として生計を立てられるようになりました。何がしたいのか?という本質への答えは今までずっとふんわりとしていたように思います。 アーティストとして有名になる?お金持ちになる?なにか大きな賞を獲るとか。結局別にどれにも興味もなければどれも本質からは遠い。

そんなことを漠然と考え続けて来た10年でしたが、いろいろとこのブログを書いているおかげもあって、思考の質も少しずつ上がったせいか、はたまた活動を続けて来てわかったことが増えたせいか、いろんなことがわかるようになって、ステップアップしたからこそ、新しい世界に入っていくことでまた、いろんなことがわからなくなりました。
そしてまたそれを乗り越えて、いろんなことがわかってきました。このサイクルはきっと永遠に続くんだろうけれど、少し言語化して、ここにまとめておこうと思います。こういうはふと気付いた時に見失っていることが多いから。そして多くの場合、その目標などのワードはワンフレーズなんですよね。別に制限があるわけではないのに。そうすると結局ふんわりとした目標になってしまって、結果それゆえたどり着けない。今回は前置きが長くなってしまいましたが、いろいろと分解して解釈していきましょう。

制作へのモチベーションが根源

もちろん、アーティストが目指していることは、作品の質の向上なのは言うまでもありません。やりたいことがある、表現したいことがある。研究を続けていい作品をもっともっと作りたい。それがまず最初の部分にあって、それがまず全てのモチベーションの根源になっているはずです。ただ自分の創作意欲を制作にぶつけていくことだけが、やりたいことではないはずです。もしそれだけであれば作品を展示する必要もなければ、売る必要もないはずですよね。中には実際に展示にも販売にも興味は全くなく、自分の制作だけのために制作をしている人もいるかもしれません。食べて行くために、作品を世に出しているだけの人も。Henry DargerやVincent Van Goghなど時代は違いますが、制作をし続け、販売数がほとんどない作家だっていました。
今回は作品制作への思いとは違う部分での目標にフォーカスを当てようと思います。

多くの人の目標とは

まず第一段階として考えられるアーティストとしての目標は、「生計を立てられるようになること」だと思います。アーティスト人口の多いドイツでは、たった約2%の人が、アーティスト活動からの収益で生計を立てられているという記事を見たことあります。データの調査法などや定義については記載されてはいませんでしたが、肌感でもごく少ない一部の人たちしか生計を立てれていないのは感じます。こんなにもアートマーケットが確立しているドイツでさえも。私の知人でも、作品がよく売れているように見えても、まだ副業をしているという人がほとんどです。年齢層が高い人が多いため、家庭を持っている=家族を養えるほどの収入がない という状況だと思います。そういった意味で、生計が立てられる、つまり生活に不安のない生活、そして副業に時間と労力を取られず、集中してアーティスト活動を行える環境を第一目標に置いている人が多いでしょう。

ですが、そうなると前回の記事で述べたように、具体的な未来の計画等が見えてきません。そして生活を安定させる目的が大きくなってしまうと、「売ること」にフォーカスしてしまいがちになります。これは実際に周りの友人をみてもそうです。

そうなると次のステップ(第二の目標)としては、「収入に安定性を求める=売買に気を取られないようになること」はとても重要なことでしょう。作家としての力がついてきて、売れる作品か売れない作品かで作品自体を判断するのではなく、作品自体に高い価値を自ら見出していくことがいずれできるようになるはずです。

有名になることとは

アーティストとして有名になる。 ということが、周りが思っているアーティストの最大の目標なのかも知れません。有名になれば、できることも増えて、世界中の美術館で展示ができるようになったりして。ただ「有名になる」なんていうことは、とても漠然としてます。どのレベルで満足するのか、なにをクリアすれば有名と呼ばれるのか。今現在有名なアーティストは、果たして有名になろうとしてなったのか。いろんなことが定まってません。
一番わかりやすいのは、助成金やコンクールなどの大きな賞を受賞することが挙げられます。直接名誉に繋がり且つ知名度も上がる。公募のものがほとんどですので、目標にしやすいでしょう。
もう一つ上のステップは、個人的には美術館での展示になるかなと思います。ギャラリーではなく美術館と名のつく場所で展示することは、少し別のことなんです。ギャラリーというのは基本的に入場料は無料で、作品に値段が誰でも見えるようにつけられており、その作品の売買で成り立っています。つまり無料で店舗に入れ、商品が陳列されているショップなわけです。一方美術館は入場料を取り、作品の売買は一般的には行われておらず、作品を展示することのみに特化しています。もちろん集客力も違いますし、注目度も違います。
ここでの大きな違いは、(骨董系の画廊のようなことではない)ギャラリーはまだ地位の低い、わかりやすく言えば無名の若手アーティストを発掘し展示するのに対し、美術館はすでに名前が世に出ている、つまり集客力が見込めるアーティストの展示を行うということです。
このテーマだけに関して言えばつまり、美術館での展示ができるということは、美術館から「あなたは有名ですので=集客力があるので展示をしましょうというお墨付きをもらったような形になりますね。

目標として、夢として重要なこと

お金を稼ぐことと、名誉を手にすること、たくさんの人に作品を見てもらうこと。 作家が望んでいることはこうだろうというステレオタイプがあるのはわかります。美術関係者以外の人と話をすると、気づくことがある。冒頭でも言ったみたいに、なんとなくそういうモチベーションでやってるんだろうと思われている気がします。それは至極当然な感じ方かなと思いました。もしかすると多くの作家はその夢を漠然と追ってるかも知れません。特に有名になるということに対しては、高みに進んでいくという漠然とした目標の先にあるような気がします。ただ実際それを本当に望んでいるのかと、自分にいろいろと問いてみるとそうでもないです。

お金を稼ぐこと
お金を「稼げる」ようになることと、お金持ちになることは意味が違います。稼げるようになるということは作品の評価をたくさんもらって、作品に買い手がついているということ。その結果お金持ちになることにはなったとしても、「富豪になりたい」という理由でやってる人は少ないでしょう。とはいっても周りでもお金儲けのためにやってる人もちらほら見かけます。趣味の延長で始めた作品が売れるようになっちゃってとか、もともと横のつながりがあるポジションの人が関係者に高い値段で買ってもらって、とか。え?あの作品のどこがいいんだろう、しかも結構高いし…なんて思うけど、友人知人がどんどん買っていくというケースを目の当たりにしたことがあります。
話が逸れちゃいましたが、つまり作家人生でお金に困ることは多くあって、そのためにお金が必要ということはよくありますが、富豪になりたいわけではないんです。稼げるようになるということを通して、作品の評価を集めたい。細かく考えるとつまりそれがお金に直接関わってきているということですね。

たくさんの人に作品を見てもらうこと
契約ギャラリーを抱えること。ということはひとつのステップアップで、多くの作家がそれを目指しています。それが叶わないポジションにいる作家もたくさんいるでしょう。もしかしたら、これを読んでくれているドイツに来たての人だったり、まだ学生の人だったり。
日本ではよく見かける、貸しギャラリーでの展示。多くの展示はこの場合、とても個人的で閉鎖的なものであるような気がします。友人知人や自分の関係者を招待して、作品を前に語らって。カフェでの展示やなにかに併設されている場所での展示でようやく、不特定多数の人に見てもらうことができる。というような状況かなと思います。一方ギャラリーでの展示というのは、ギャラリーが告知を出して訪れた新規の客+ギャラリーがすでに抱えている顧客+アーティストの友人知人が訪れます。この二つで、もちろん来客数も大きく違うとは思いますが、一番の違いは(言葉を選ばずにいうと)馴れ合いの客が少ないということです。もちろん貸しギャラリー自体も顧客を抱えているでしょうか、お金を払えば展示を許される場所であるオープンな貸しギャラリーと、ギャラリーが査定を済ませた契約アーティストしか展示が許されない契約型ギャラリーの顧客種類は、数も質も違うはずです。
たくさんの人に作品を見てもらいたい。ということを咀嚼すると、つまり「たくさんの人から評価を受けたい」という事になるでしょう。それは果たして自分の友人知人から集めたものでいいのでしょうか?個人的な顧客(ファンも含め)とは違う、たくさんの友人知人だけで成り立つ展示会は大盛況のうちに終わるのは当然です。ただそれらから得た評価をまっすぐな評価として受け取っていいのかという疑問がありました。
では先ほども出た、カフェなどが併設された場所での展示ではどうでしょうか。作品をみる人々は、美術関係者でもなければ、美術に高い興味があるというわけでもないことが多いはずです。目的は別であったところ、展示がやってるのでついでに見ていこう!という状況が多いはず。自分でオーガナイズした貸しギャラリーでの展示よりも来客数は増えるでしょうが、それでいいというわけではありません。

 

求めているものは常に正しい人からの正しい評価

いつものように回りくどくなってしまいましたが、私がここ最近ようやく自分で納得いった、「なんのために描いているんだろう」の答えは「正しい人からの正しい評価」を求めているからでした。美術的観察眼を持っていない、一般のたくさんの人に見てもらい馴れ合いのいい評価をたくさん貰うことよりも、美術的評価をしっかりと下せる5人のコンクール審査員から貰う評価の方が私には価値があります。
以前から記事内でも言ってる、「日本ではクリエイターとデザイナーとアーティストがごっちゃになってる」という部分はここにも当てはまります。クリエイター、デザイナー系の方はターゲットとなる幅の広い不特定多数の人がいる上で商品を作り、たくさんの人からの評価を得ることに対して、私が思うアーティストと呼ばれる人が求めている評価というものは、数ではない質の部分だと思います。そしてその結果、その質が高い評価をもらった作品という価値に釣られて、たくさんの人がその作品を見に来て、たくさんの評価を落としていくことになるはずです。

ではここで言う正しい人って誰のことか。読み落さないで欲しい部分は「美術的評価をしっかりと下せる人」というところです。ドイツでは近年コンクールやアートフェアがどんどん増えて来ています。ギャラリーの数も増えたりしています。ですが、そんな新しくオーガナイズしている人たちは、(これも言葉を選ばずに言うと)今注目を浴びつつあるアートの分野で一儲けひてやろう!みたいな人たちが多いです。なんちゃってギャラリーでビジネス!的な考えの人が多いと言う意味です。ビジネスに変えて貰うことはアーティストにとってもちろん大事なのですが、言いたい部分は「売れる売れない」の部分のみの評価しか下さない人も多くいるということです。「美術的価値を見出した結果」→「売れる売れない」というプロセスではないということです。美術的価値と言う部分はクリエイターの作るもの(例えば雑貨とか)に当てはまることではなく、「学問としての美術」的な価値を指します。

 

上を目指すということはつまり質の高い評価を求めること

最近いろんな場所からのオファーがあって、いろんなレベルの場所での展示をこなしてきました。そして上でも挙げたようなレベルの低い場所での展示も、これまでのキャリアの中で繰り返してきました。ギャラリーのオーナーだからといって、すべてのギャラリーが上で挙げた「ギャラリーからの評価として価値」に繋がるわけではありません。先ほど言ったなんちゃってギャラリーからの評価なんてあんまり意味がないです。つまり、すべてを踏まえてここまでのことをまとめると

美術的価値を理解した(ちゃんと学問としての美術を学んで来た)人からの質の高い正しい評価

が、欲しいんだってことがわかったんです。
そしてその質というのは、上のレベルに行けば行くほど高まって行くはずです。

決してただお金持ちに成りたいわけでも
決してただ有名になりたい出世欲があるわけでも
決してただたくさんの人に見てもらいわけでも  ないんです。

上のことは、質の高い評価を得るまで、または得た後のただの副産物なんです。

そしてただその評価が欲しいために生きているわけではありません。「こうすれば良い評価をもらえるだろう」なんて下心がある作品は、ちゃんと、評価されない世界です。
自分がその階段を登って行き、挑戦して行くということは、自分自身が下す作品の評価、信念みたいなもののレベルも上げて行く必要があるということです。
作品に対して自分が貫いている信念があって、それを表現できるようになりたい。もっといい作品が作れるようになりたい。ということが一番上にあります。美術が学問であって、我々作家は研究者であるということはそういうことを指しているのだと思っています。

それを認めてもらえるかどうかの結果が評価になります。

 

なんとなくこのことがふとわかった瞬間がつい最近ありました。それは本当に、とてもレベルの低い場所で一度展示してみた結果でした。なんでこんなところで展示してるんだろうって疑問を抱えて作品の横に立ってました。前は人にいいねと言われることだけで満足していたのに、それだけじゃ満足できなくなってしまった理由ってなんだろう。とずっと考えていました。
評価にも、評価をする人にもレベルがあります。そしてそのレベルと質は上に行けば行くほど高くなるはずです。
良いか悪いかは、まだ自分には判断ができませんが、私が今求めて目指していることはそういうことらしいです。

あー長くなってしまった。ただ本当にすっきりしたんです、この答えが見つかって。長かったな、このことを見つけるまで。

Masaki Hagino
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